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真理を求めて

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2011.10.22
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判決要旨には政治資金収支報告書の虚偽記入について大久保被告の関与を語るところがある。ここにも僕は違和感を感じる。そこでは、

「収支報告書に新政研及び未来研からの寄附であるとの虚偽の記載をすることを承知の上で、同人らをしてその旨の記載をさせ、提出させていたことが認められる。したがって、陸山会の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」

「被告人大久保は、本件各寄附が新政研及び未来研からのものであることを内容とする第4区総支部の収支報告書が提出させることになると承知の上で、それに至る各作業をさせ、これを提出させていたことが認められる。したがって、第4区総支部の収支報告書についての虚偽記入につき、被告人大久保の故意は優に認められる。」

と書かれている。虚偽記入について、大久保被告がそれを承知の上で書かせていたという「共謀」の証明を述べているように見える。この証明が、どうも論理的にすっきりしない。この証明には、この結論を論理的に導く前提が必要だ。それは、新政研及び未来研という二つの政治団体がダミーであり、しかも大久保被告がそれを認識していたということだ。この前提がなければ上の結論は出てこない。

収支報告書には新政研及び未来研の寄付は記載されているから、記載漏れではない。この記載が虚偽であるという告発だ。つまり正当な寄付ではないということだ。これは証明された事実なのか、ということにどうしても違和感が残る。

確かに西松建設そのものの裁判においては、西松建設という会社がその政治団体がダミーであることを認めている。だが、西松建設が認めているからといって、それが事実になるのだろうか。裁判というのは事実を明らかにするところではなく、事実ではなくても会社にとって有利と判断すればそれで手を打つということもあり得る。西松建設は、郷原さんによれば全面降伏したと指摘されていた。そのような会社のいうことをそのまま信じられるのだろうか。

大久保被告が関係した西松建設事件では、どういうわけか、この政治団体のダミー性が裁判で争われていたのに、その判決を迎えることなく終わってしまっている。どうしてなのか?それはダミー性を否定する証言が現れてきたからだ。もちろん、その証言によってダミー性という事実が否定されたわけではないが、そのような証言の元では、大久保被告がダミー性を認識していたということが証明できなくなる。それで裁判は、訴因変更を経て、より証明できる可能性の高いものにシフトしていった。そのような経過を見ると、どうしてもこの判決要旨の言葉には違和感を感じる。

弁護人の主張を退ける判決要旨の論理も、両政治団体がダミーであり、献金そのものが不正であることを自明の前提としている。そして、それを大久保被告が承知していることも前提としている。だがそれが証明されたようには僕には思えない。いったいどうやって証明されたのだろうか。唯一の根拠は、西松建設本社の裁判で、西松建設側が認めたということだけなのではないか。

この構造はえん罪の構造にも似ているように感じる。えん罪でよくあるパターンは、本来の主犯格の人間が、自らの罪を軽く見せるために、主犯格の人間をでっち上げるものだ。他人の証言で主犯にされた人間は、当然のことながらそれを否定する。しかし、罪を認めて観念した人間がすべてを話した、という前提でそれが事実のように扱われると、やってもいないことをやったようにされてしまう。

確かなのは、あいつが言ったという証言だけだ。しかし、その証言の中身が正しいかどうかは評価が難しい。疑われた人間にアリバイがなかったらさらに難しくなる。

西松建設は、本当に両政治団体をダミーとして作ったのかどうか。ダミーというほどではなく、会社に関係する人間が働きかけることで、会社の印象を良くしようと考えた程度ではないのか。西松建設側は、本当の犯罪行為は裏金をつくったと言うことの方だったようだ。その裏金をどこに使ったかが明らかになっていれば、それこそが本当の犯罪になっただろう。

こちらの犯罪は言い逃れが出来ない種類のものだったので、裁判を早く終わらせたかった西松建設は全面降伏したというのが事実ではないのか。その裏金が直接小沢事務所に入っているのなら、それで事件化できただろう。しかし、それがなかったので、新政研及び未来研という二つの政治団体の寄付が裏金だとにらんで大久保被告の逮捕をしたのだと思う。だがそれは証明できなかった。

大久保被告の裁判で出てきたのは、両団体には実体と呼べるものがあり、しかも個人の金で運営されていて、形の上では西松建設そのものの金が入っていたのではないということだった。つまり裏金が流れていたわけではないのだ。会員に対して上乗せされた給料が、献金目的だったというような解釈もされていたが、もしそうであっても、そのような会社内部の状況を大久保被告が知るはずもないので、本当にそうであっても、それはよほどのことがない限り分からないようなものになっていただろう。

このような疑念がたくさんありながら、西松建設事件に関して裁判所がこうもはっきり言い切るには、やはり論理的根拠が怪しい。こんな怪しい論理を、どうして裁判所は言い切らなければならないのか。どうしても有罪にしなければならない理由があるからだと憶測するしかない。あらゆる前提を考慮して、そこから論理を導いているのではなく、結論を導きたいことに合わせて、ご都合主義的に前提を選び、都合の悪い前提は捨てているように、論理のデタラメさを感じる。そこが違和感を覚える最大の要素だ。






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最終更新日  2011.10.22 19:28:18
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