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石井さんが指摘する原則的な考え方を出発点にして考察することにしよう。特別会計にどのような問題があるかという理論的な指摘だ。これは一つの抽象論として真理だと認識できる。まずは全体像の把握としては石井さんは次のような説明をする。
「利権を本質とする官制経済体制を形成する要素は次の四つである。第一に行政が「公共事業」および「経済振興」を展開する“政策”、第二に開発法、振興法、整備法、事業法、政省令、規則、許認可とからなる“法制度”、第三に補助金、特別会計、財政投融資計画で構成される“財政制度”、そして第四に特殊法人、公益法人、許可法人など官の企業群を擁する“行政組織”だ。 以上の“政策”“法律”“会計”“組織”の四本柱はすべて各省庁の縄張り(所管)となり、それぞれに連なる政治家があり、政治的“力関係”(政治力)によって機能するのである。これが紛れもない我が国官制経済のトータルシステムなのである。」 ここで語られている様々な言葉「公共事業」「経済振興」などと言うものを文字通りに意味を受け取れば、それはいいことのように見える。だがこれらは名が歪められているのだ。「公共」と名乗りながら、それは客観的に公の利益になるような事業として計画されていない。利権として大きな金が流れるような仕組みを持ち、金をばらまく機能を持っているものとして「公共事業」が実際には行われている。 詐欺まがいの利権システムに法的根拠を与える様々な法律における、「開発」「振興」「整備」などと言う言葉もやはりその歪みにこそ注目すべきだろう。この歪みが分かれば、石井さんが指摘する利権構造の枠組みも理解できる。 石井さんはこれらの歪んだ名の本質を次のように説明する。ごまかしの日本経済の財政面の実態がよく分かるだろう。 「我が日本国では、この周到に編み上げた官制経済体制のシステムの下に、政治家たちが笛を吹き「景気対策は税金をばらまくもの」「経済は政府の政策と予算で支えるもの」との“原理主義”を普及させ、学者も評論家もマスコミも、そして経済人と言われる人々までがこぞってこうした集権的意識構造の下に振る舞っているのである。 その結果、国の本来の会計である「一般会計」予算は85兆円と書いたカモフラージュ(迷彩)の中に置かれ、実際の運営は誰も知らない260兆円という巨額の金が闇の中のコウモリの大群のように飛び交うことになった。この中で補助金として配分される金額は少なくとも50兆円、公共事業関係で支出される金は国だけで30兆円にもなる構造が完成しているのである。これは第一章で詳しく述べる。 この国の「経済」は端的に言えば、国と地方と併せて国民の税金と貯金、年金、保険積立金など350兆円を上から流し込んで消費しているだけのものだ。つまり、市場特有の拡大再生産機能によって生み出される果実はないに近い。経済的価値を創出する“市場”が死亡状態となり、回復不能の、借金が借金を呼ぶ財政破綻構造に陥っている。積もり積もった本当の借金額は1000兆円を超えてしまっている。 この重い病を癒す方法は、ありもしない“市場”に向かって“金融対策”だ“景気対策”だとムダな金を突っ込むことではない。問題は単なる経済政策の領域にあるのではない。その鍵は“市場”と権力の間にあるのである。」 特別会計の目的は金をばらまくことであり、そのことで経済を発展させようとするものではない。ばらまくことが出来ればいいのであるから、必要性がないものでも大きな事業になれば遂行されることになる。その本質から言えば、穴を掘る事業とl、その穴を埋める事業をセットでやることが一番効率がいいかもしれない。問題は何かをすることであって、そこに役立つ何かを作ることではないからだ。 このような理解の下に、石井さんが指摘する具体的なムダを考察していこうと思う。具体的なムダの意味がよく分かれば、石井さんが提出するこの原則的な理論もよく分かるようになるだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012.08.18 13:58:24
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