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テーマ:本日の1冊(3684)
カテゴリ:読書(ノンフィクション12~)
「季刊考古学127号」雄山閣 久しぶりに専門書を借りてみる。特集が私の興味の中心である弥生時代だったからである。どうやらこの学会、弥生時代を専門にする学者が減ってきているらしく、なかなか特集が組めないらしい。それで考えたのが「新世代の弥生時代研究」。若者に発表の場を与えようということらしい。 論文の優秀さは、素人の私にはわからない。私のみるのは結論部分である。だから、邪道といえば邪道だ。しかし素人だから見えるものもあるのだろう。 かつて佐原真は、その処女論文において、香川県の小さな山の上の遺跡の鏃(やじり)が、ある時期大きくなることを証明して、一時期を画期としてこの地方の人たちが動物相手ではなく人間を相手に鏃を作り出した、つまり戦争を始めた、ということを証明してみせた。そのことの意味は限りなく大きかっただろう。それは日本人は弥生時代になって初めて戦争を始めたことを証明する糸口になるからである。 「新世代」の論文が短いのも、対象が限られているのも当然だろう。しかし、書く時の志はあくまでも学会にどう評価されるかではなく、自分の学問が未来にどう役に立つか、を基準に書いて欲しいと思う。重箱の隅の事実を証明して、事を済ませて欲しくない。しかし残念ながら、そんな論文ばかりだった。 「初期国家論から考える弥生文化の時代」という壮大なテーマの論文などは、まるで整理ノートのような内容だった。 わずかに京都大学大学院生の山本亮氏の「二重口縁壺にみる弥生から古墳」の結論部分は以下のようだった。 このように、二重口縁壺ははじめ広口壺の亜形式にすぎなかった。しかし広い地域間交流を含む社会の変化の影響を大きく受け、ついには、箸墓古墳の築造に際し、各地域を代表する祭祀の一つとして二重口縁壺の祭祀が採用されるという道筋を描くことができる。二重口縁壺は後の前方後円墳体制に象徴される、同一秩序の形成へ向けた動きを体現する存在であったと言えよう。(31p) まだまだ見ている未来の幅は狭いが、時代のうねりを想像させる論文だった。 大阪弥生博物館が学生と博物館と考古学を結ぶ新しい試みを始めているらしい。講座「若き学徒、論壇デビュー!」ということで、市民の前で学生が自らの卒業論文なりを発表するのは、大変いいことだ。また、あの博物館に行きたくなった。 2014年8月17日読了 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年08月17日 07時25分29秒
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