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カテゴリ:本
伊藤計劃の『虐殺器官』(この本に関しては後日)を読んだので(ので、っていうのも変か?)、久々に小松左京を読んでみた。
ヘタレSF読みの端くれなので、ずいぶん昔のことではあるが当然小松左京は読んだことがある。星新一が一段落し、筒井康隆や光瀬龍、ハインラインやアシモフ、ヴォークトを読んでいた高校生の頃だったと思う。 長編や短編集をいくつか読んでみて、読後に違和感、はっきり言ってしまえば生理的に気持ちの悪い異物感とか後味の悪さが消し難く残るので、小松左京を読むのは止めてしまった。むろん当時の自分の経験値や語彙ではその異物感の理由が何なのかは突き止められなかった。 およそ30年ぶりに読んだ小松左京。
一言でいえば限られた時間を生きる人間が恐竜の時代から地球の終末期までの時間や並行世界を行き来するSF。 ただし、この作品はそのプロットをなぞりつつも、描かれているのは宇宙に比べるべくもない微小な人間が持つ意志と運命(という名のオーバーロードだったりするのがSFなのだが)との戦いであり、時間の持つ価値であったりする。 恐ろしく大きなテーマを扱っていることもあってか、細かい部分に破綻はあるし、ラストに近付くにつれあちこちに粗さが出てきて、何となく物足りないというか最後までみっちり語りつくされたという充足感が十分に感じられないのは致し方ないのかもしれない(このラストでの失速感は何かに似ていると思ったら、永井豪のSF系マンガだ。デビルマンとか凄ノ王とか)。 しかし、そういう荒っぽさを補って余りあるスケールの大きさであることは間違いない。宇宙を飛び回る能天気なスペースオペラではないが、次々と目の前に現れる過去や未来の世界には目が眩む。力技のSF。 ゴルディアスの結び目 全編にセクシャルな色彩を強く帯びたハードSFの短(中か?)編集。 セクシャルなのにハード、それも時間や人間の意識と宇宙の始原、人類の終焉といった巨大な素材を落とし込んでいて、なおかつ前述の長編のような破綻とか語りの不足を感じないという点で、小松左京の力量が半端ないことがうかがい知れる。 それにしても博覧強記でエネルギッシュな人だなあ。
『ゴルディアス』よりも短い作品を10編収録した短編集。ハードな作品だけでなく、抒情的な作品も収録されている。 一押しは「神への長い道」で、小松左京が繰り返し扱っているテーマ、人類の精神と宇宙の始原から終末を超えた時間とを結ぶ力作。 3冊の中ではSF初心者にも読みやすいというかとっつきやすいように思う。 今回読んでみて、小松左京はやっぱりすごいと思った。現時点の日本ではおそらく一番スケールの大きなSF作家だろう。 力量は感嘆に値するし実際やっぱり作品は面白いのだが、しかし私自身の個人的な好みという点ではやっぱりちょっと違うなあ、と今回改めて再確認した。 何が嫌なのか考えてみたのだが、おそらく小松作品の全てに通奏低音的に流れている、剥き出しの男性原理的な部分が生理的にダメなんだろうな、という気がする。 昔は小松作品のエロティックな部分が嫌なのかと思っていたが、筒井康隆にもその手の作品はあるのに特に嫌悪感はない。 筒井康隆の作品にももちろん男性原理的な要素はあるのだが、彼の場合はそれを「照れ」とか「照れが高じて裏返しになった露悪趣味」とともに登場させている。なんかまあちょっとこんな感じなんですがどうでしょう、みたいな。そういうのはまあしょうがないねえ、という感じで、いささかげんなりしつつも特に嫌悪感は持たない。 しかし小松左京は、男性原理的な要素をそのまま、あえて言うならおっ立ったモノをぐいぐい見せびらかすかのように突きつけてくるので、読んでいるうちに疲れるというかめんどくさいというか鬱陶しいという気分になってしまう。もうおなかいっぱい、みたいな。 とはいえ、今回紹介した3冊はハード系SFが好きならば、あるいは日本のSFってどの程度?と関心のある人ならば読んでおいて損はないと思う。個人の好き嫌いを超えて、この3冊は日本のSFの名作であることは間違いない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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