中国留学、到着その後
昨日の続きを少々。大学到着の翌日、朝一番に若くて可愛らしい感じの女性が部屋を訪ねてきた。自分が男性だったら心を動かされそうな容姿だった。話すときついのだが(笑留学先の学部の宋老師といい、夏に学部を卒業したばかりの同世代だった。片言の日本語が話せるので、学部では彼女が私の支援を行う、ということらしい。だが、彼女の日本語は大学の第二外国語として学んだだけという覚束無さ、私の中国語も大学の第二外国語として学んだだけという怪しさ。結局意思疎通がなかなかままならず、後で知ったのだが、彼女は結婚の予定を控えていて、それなりに忙しかったということもあり、接触の機会は次第に減っていった。留学後半、私が学部にほとんど顔を出すことが無くなると、中国語が話せるようになっていた私は、皮肉なことに彼女と話すことは無くなった。もちろんその時はそういうことになるとは思いもせず、到着直後で自分には他に頼る人がいる訳でもなく、どういう授業に参加するか、どんな教科書が必要か、など今後の授業参加について相談できるのは彼女だけなので筆談を交えて話した。教科書の手配や授業の時間割などを持ってきてもらうよう彼女に依頼し、授業への参加は週が明けてから、ということになった。午後、生活に必要なものをリストアップし購入することにした。洗面器は、当時の中国のお約束で部屋に備え付けのがある。寝具や家具類は部屋備え付けだし、自炊ではないので必要なものは少ない。トイレットペーパー、タオル、石鹸と石鹸箱、洗濯洗剤、洗濯バサミ、茶葉、ホーローの丼と蓋付きマグ、箸とスプーン。古顔の留学生が一緒に行ってくれることになった。何せ右も左も分からない上に中国語もろくに話せなかったので有難かった。宿舎から歩いて10分ほどのところに2階建ての「百貨商場」があった。百貨商場とは言っても、ワンフロアの売り場面積はコンビニ程度しかなく、とりあえず生活に必要な雑貨は一通りあります、という程度。とにかく必要なものは、彼女の助けを借りてホーローの丼以外全て購入できた。もちろんレジ袋などというものは無かったが、量り売りの茶葉だけは紙で器用に包んでからへなへなに薄いピンク色の小さなビニル袋に入れてくれた。お茶がジャスミン茶しか無く、中国茶といえば烏龍茶だと思っていた自分にはちょっとしたカルチャーショックだった(笑そういえばホーローの丼は、後日大学内の小売部(小さな小屋掛けの売店)で瓶入りの怪しげなジュースと一緒に買ったのを思い出した。その頃にはもちろん1人で買い物ができるだけの根性が身についていた。翌日以降、宋老師に大学の中の自分が行く建物を案内してもらったり、後からやってきた留学生(日本人及び北朝鮮人)たちとの交流があったり、古顔の日本人教師と留学生が歓迎会を開いてくれたり、辞書を睨んで文章を作り、それを口ずさみながら郵便局に行って切手を買ったり、宿舎の中庭でバドミントンや屋外卓球をしたり、授業に出ると中国人の女子の同級生にわっと取り巻かれ、彼女たちが学食でご飯とおかずを買ってきてくれて、彼女たちの宿舎で一緒に昼食を食べたり(中国の常として、多人数で食べる時はシェアが基本)と中国に馴染んでいった。そのうち、待遇に文句があると外辧に直接交渉に行ったり、没有攻撃にひるみつつ対処を覚えたり、立ち食い学食で中国人学生に負けぬよう気合の入った食事をしたり、もしずっと日本にいたら決して経験できなかったようなあれこれを乗り越え、終いには中国に馴染み過ぎて人格にもいろんな意味で(笑)影響が及んだのだった。