|
カテゴリ:文学・芸術
「忙中閑画」は、私の父が1982年3月に発行した 父は、この画集のことを次のように説明しています。 「私は書家なのに画をかくことが好きで、暇々に画いたものを 私は仕事で遠くへ出向きます、旅のつど、いつも画仙紙の 書家という仕事上、画も墨だけで画きます。一つにはとても 心しんみりと画くかと思うと、からからと笑い乍らのときも 即ち忙中閑画。 たとえ技は拙くとも、画は私のこころの雫でもあります。 父は、画家になりたいという夢を持ちながらも 私は書の道を歩みませんでした。 今年84歳になった父は、現在も元気に その一つひとつを皆さんに紹介しながら 表紙の画 「花」です。 「あたたかい美しさ 見る人によってどのようにも見える この美しさは、決して人間のためだけではあるまい。 花はほんとうに美しい。 1981.5.11 」
5月に画かれた、この一輪挿しの花は 花は人間に美しく思われたいから咲くのではない。 だからこそ、人は時にその美しさにこころを奪われ 父の言う 中国戦線で、戦争を体験した父、 そして、私の知らない父 そんな父と画を通じて会話してみたい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
私も子供の頃、豆子先生にお習字を教えていただいておりました。今もお元気にご活躍のお姿を拝見してとても嬉しく思います。
先生が26年も前に書かれたという事に感銘を受けました。「癒し」の言葉や音楽や空間等を求められる今の時代にとても調和していると、本当に驚きです。 やはり、その道を極める方は、静かに心と向き合い、「気」を自然に表現されるのだと、とても感動しました。きっとその精神や考え方は、ひさし先生や、ほかのご兄弟方にも受け継がれていらっしゃる事と思います。機会がありましたらぜひ他の作品もご紹介してください。楽しみにしております (2007年10月18日 10時03分05秒)
junkoさんさん
温かいコメントありがとうございます。 とても嬉しいです。 画集の画をカメラで写すのが なかなか難しくて、 作品の迫力や繊細さを 損なってしまっているようで気になっています。 でも、めげずに続けていきます。 (2007年10月19日 17時56分05秒) |