|
カテゴリ:et cetera
サンスクリット語の最初の音aと最後のnに漢字の阿吽を当てたもので全ての始まりと収束を意味していると古来より。宗教心は欠けるがお寺で見かける金剛力士像の左右の仁王像も同様に表現しており我々は真ん中で前方の境内に彼岸を後方に批岸を見て宇宙の始まりと終わりの神羅万象そのものをを体験することになる。見慣れた五十音の文字の配列のなかにも深淵な世界を感じたりもする。しかし現実のこの長きに渡る謹慎状態のステイホームでは読書や音楽映画絵画鑑賞、趣味や運動、演奏や創作など個人的にはいつになく捗ったりしても,グループでは創造制作や仕事勉学や旅さえされなかったりで これまでになく時間の浸り方に苦慮したところもある。かってないその自由と不自由の間で社会や経済の影響はまだで、この暮らしの中からの光明は自らの行動にしか輝かないのかなと。
お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|