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2022.11.20
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カテゴリ:現代史
​ 来る12月9日に全国一斉公開される映画『ラーゲリより愛を込めて』は、原作とはおもむきがちょっと異なるようだ(写真)。まだ予告編も観ていないが、安直な夫婦の純愛物語のようになっているようで、原作の感動が活かされるか、不明確だ。



​◎民間人を含めて大量の日本人を拉致した「シベリア抑留」​
 遠いシベリアから12年の歳月を経て、人づてに「記憶」(!)が伝えた遺書がある。本ブログは、シベリア抑留という極限体験を味わわされた1人の元日本兵と彼を取り巻いた抑留者たちのドラマである。
 シベリア抑留は、日本人が初めて苛烈に味わわされたスターリン獄の収容体験であった。
 1945年8月、日ソ中立条約を一方的に破って、満州と南樺太、千島列島に侵略してきたスターリン・ソ連の赤軍は、防衛する守備隊、満州国官吏、警官、はては病院の看護婦まで、シベリアへ、最果ては中央アジアまで拉致した。いわゆる「シベリア抑留」である。

​◎収容所仲間から慕われた山本幡男​
 8月23日は、冷血独裁者のスターリンが、日本軍捕虜などをソ連内の捕虜収容所へ移送し、強制労働を行わせる命令を下した。そこから77年がたった。もはや生き残った抑留体験者は、指折り数えるほどしかいない。
 1956年12月末、最後の抑留者たち1000人余(彼らはスターリニスト当局によって戦争犯罪者とされ、ほとんど懲役25年の長期刑受刑者だった)がナホトカから帰還船「興安丸」でダモイ(帰国)となるまで、抑留者総数は概算70万人にも達し、極寒の地で貧弱極まりない食物と超重労働に駆られて死者は10万人にも達した。
​ その収容所(ラーゲリ)で、高い学識と高潔な人間性で収容者仲間から慕われていたのが、山本幡男(はたお)であった(写真=満鉄調査部に勤務していた頃の山本と家族たち)。​



​◎ラーゲリでアムール句会主宰​
 彼は、収容所で俳句サークル「アムール句会」を作って(むろん収容所内ではあらゆる集まりは厳禁で、監視の目を盗んで句会を開いていた)主宰し、収容者の情操を涵養し、勇気づけ、苛酷な労働と飢餓の中にも祖国帰還=ダモイへの希望の火を収容者たちの心に灯し続けた知識人だった。
 その山本は、収容者の人望を得ていたことと、なまじ戦前は左翼活動家であった過去から、収容所のスターリニスト看守たちに培養されたにわか左翼、いわゆる「民主グループ活動家=アクティブ」に吊し上げられ、袋叩きにされて体力を消耗、スターリニスト収容所当局の怠慢・無責任さから適切な治療もなく、癌を悪化させ、ダモイ2年前の1954年8月25日昼、収容所の寝棚で誰にもみとられずに亡くなった。
 仲間たちが、全員、重労働に従事していた時間帯だった。

​◎「遺書」を分担して暗記​
 真に驚くのは、山本の衰弱が激しくなった時、山本に遺書を書かせたことだ。しかし文書を所持することは、ラーゲリでは厳禁だった。見つかれば、没収はもちろん、懲罰房=重営倉行き、悪くすればスパイ罪で逮捕される。しかも重労働作業に出ている留守の間、収容所当局はしばしば私物の抜き打ち検査を行っていた(アムール句会でも作られた俳句は、句会終了後に即座に廃棄された)。
 だから書かれた遺書は、親しい仲間たちが1字1句暗記し、帰国が成った時、文字に書き起こして、奥さんや子どもの待つ留守宅に届けよう、と企図したのだ。
 人の脳の中までは、検査できない。
 そして2年4カ月後のダモイで、7~8人の仲間たちに分担暗記された遺書は、無事に「帰国」し、文字に書き起こされて遺族の元に届けられるのである。

​◎辺見じゅんのルポから山本の存在を知る​
 このような感動的で驚異的なエピソードを、僕はシベリア抑留やソ連反対派のラーゲリ送りなどを研究しながらも、つい最近まで知らなかった。
​ ノンフィクション作家の辺見じゅんが、山本と同時期を過ごした元抑留者を1人ひとり訪ね歩き、『収容所(ラーゲリ)から来た遺書』という優れたルポを書いているのを知り、それを熟読して知ったのである(写真=辺見じゅんと『収容所から来た遺書』)。​





 次回、そのルポ、その他に基づいて、当時の山本幡男と彼を取り巻いた人たちを紹介したい。
(この項、続く)

昨年の今日の日記:「世界の個人情報を大規模・広範囲に不法に集めるスターリニスト中国の恐怖の謀略」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202111200000/​





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Last updated  2022.11.20 05:24:31



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