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2023.09.26
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カテゴリ:登山


​ 僕の従妹が、前にアメリカに暮らしていた折、マチュピチュまでインカ道を3日歩いて行った、とマチュピチュ訪問後に聞いたことがある。インカ道を3日間とはタフで時間がなければ無理な話しだが、十分に魅力的だ。

​◎車の無かったインカ帝国、インカ道を脚で「チャスキ」が駆けた​
 おそらくオリャンタイタイボから歩いたのだろう。僕たちがクスコから来た列車は、終点のマチュピチュ村駅まで来る途中、オリャンタイタイボで停車し、アメリカ人らしい若者たちが何人か降りたからだ。
 インカ道は、タワンティンスーヨ(インカ)帝国が支配地のどこにでも往来できるように整備した石で舗装した道だ。総延長5万キロといわれる。
 インカは優れた文明を築いたのに、どういうわけか車輪や鉄、文字を発明しなかった。せっかくリャマを家畜化したのに、リャマに挽かせる荷車を作らなかったのだ。だからインカ帝国領内はどこまでも徒歩の旅で、通信には「チャスキ」と呼ばれる飛脚が、網の目のようなインカ道を駆け回っていた。

◎整備された歩きやすい道
 マチュピチュ「市街地」見学後、入口のレストランで昼食兼休憩を取った後、僕はインティプンク目指して、インカ道を登った(写真)。



 インカ道はフラットな石が敷き詰められ、よく整備されていて歩きやすい(写真)。​





​ 途中の墓地の大岩や宿泊施設らしい石組み遺構などに寄りながら(写真)、約1時間20分の行程だった。



 昼のランチにビールを飲んだせいで、足取りが重い。
 僕らのツアー一行のほとんどは昼食後にバスでマチュピチュ村のホテルに戻ったようで、途中で顔を合わせたのは、中年女性の1人だけだった。

​◎インティプンクから見下ろしたマチュピチュとワイナピチュ​
​ ついにインティプンク(太陽の門)に着いた。そこは峠に石組みで何かの施設が造られていて、僕の来た道と反対方向には、さらに山峡を縫うインカ道が続いていた(写真)。​



​ マチュピチュ方向を見ると、ピークの間の岩の尾根上に小さく見える。ワイナピチュも、ここからは全貌が良く見える(写真)。


​ インカ時代、インカ道を歩いてきたチャスキは、「太陽の門」からマチュピチュを遠望し、目的地の近いことに励まされたに違いない(写真)。​



 下界のマチュピチュ村までのヘアピンカーブの道が、岩肌を刈り込んで造られたことが良く分かる。
 石組みに腰掛けて遠くマチュピチュ方向を遠望しながら、来てよかった、と心から思ったものだ。

昨年の今日の日記:「台風が温帯低気圧に変わるって何だ?」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202209260000/​






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Last updated  2023.09.26 05:02:54



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