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カテゴリ:医学・医療政策・医療哲学
ノーベル賞自然科学3賞のトップを切って2日発表された生理学・医学賞は、あのmRNAワクチンを開発したカタリン・カリコ氏とドリュー・ワイスマン氏だった(写真=受賞後の記者会見で喜びを語る両氏)。 ◎mRNAへの薬の応用に立ちはだかっていた大きな壁 両氏の開発した対武漢肺炎(コロナ)ワクチンは、ファイザーとモデルナによりパンデミックの始まってたった1年で開発・実用化された。 実用化されたワクチンにより、世界で2000万人の命が救われたといわれる。両氏の業績、特にいち早くmRNAワクチンを将来性に着目して研究に取り組んだカリコ氏の功績は、文句なしのノーベル賞級であった。 カリコ氏がいち早くmRNAに目をつけ、研究を始めたのは1980年代のことだ。ただmRNAを薬に応用するには、2つの欠点があった。1つは、体内でいち早く分解され、不安定であったこと、もう1つは細胞に激しい炎症を起こすこと、だ。 このため医薬品への応用は不可能、と長く信じられてきたのだ。 ◎2005年にブレークスルーの発見 そのためカリコ氏の研究は、一時は資金打ち切りになったり、研究室が解散されたりと苦難の連続だった。それでも屈せずに信念を貫き通した一念は、2005年のブレークスルーを開いた。この年、ワイスマン氏と共同で発表した論文でmRNAの分子構造の一部を人工的に変えることで、生体内での分解と炎症を食い止める方法を見つけたことを明らかにした。 カリコ氏がアメリカから移ったドイツのバイオ企業ビオンティック社で、前記ワイスマン氏と協力してワクチンの実用化に成功した。 ◎共産体制のハンガリーから1985年に脱出 カリコ氏は、ハンガリー生まれ。研究者人生はハンガリーで始める。しかし当時はスターリニスト支配下の共産国家だった。ここで研究資金の打ち切りと研究室の解散の憂き目に遭う。 未来を見据えて共産体制の祖国ハンガリーを見限り、1985年にアメリカに渡る(99年にアメリカ国籍も得る)。当時、100ドル相当以上の外貨持ち出しは厳しく制限され、車を売って闇市で両替した900ポンド札束を長女の持つテディベアに隠して持ち出したという(写真)。ちなみにこの長女スーザンさんは、ボートのアメリカ代表として五輪で2度も金メダルを獲得している。 アメリカでも、当初はなかなか芽が出なかった。ペルシルベニア大でポストを得るが、研究も評価されず、企業からは助成金申請を断られ、大学でもポスト降格に遭う。 それでも信念を変えず、mRNAの医薬品への応用への可能性を模索し続けた。 ◎今、mRNAの応用は抗がん剤創薬にまで広がる 今、mRNAの医薬品への応用は、インフルエンザワクチン生成やHIV(エイズ)予防から抗がん剤への創薬まで広く広がり、世界中の研究者と医薬品メーカーが取り組んでいる。 カリコ氏とワイスマン氏の両氏は、昨年2022年に日本国際賞を受賞している。いわばノーベル賞受賞は、時間の問題だったと言える。 ただ生理学・医学賞は、ある程度、評価が定着するまで選考委員会は慎重に対処する。それでも、今年の受賞は、その偉大な功績すらすれば遅かったかもしれない。 昨年の今日の日記:「階層固定化の進むアメリカの現実;ハイソの子はハイソに入る構造」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202210050000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.10.05 04:47:04
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