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深夜ぶろぐ便

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2008.05.15
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カテゴリ:政治経済
九州と朝鮮半島を結ぶトンネルを掘る構想の原点は、1930年代に立てられた「大東亜縦貫鉄道構想」であった。これは当時日本領であった朝鮮半島の南端の釜山府(現:釜山)を起点とし、京城府(現:ソウル)を経て安東(現:丹東)から当時の満州国領内へ入り、奉天(現:瀋陽)を経由して中国領内に入り、北京、南京、桂林を経て、ハノイ、サイゴン(現:ホーチミン)、プノンペン、バンコク・マレー半島を通りシンガポールに至る約 10,000kmの路線を建設する構想であった。

さらに1940年代に東京~下関間を結ぶ弾丸列車(後に新幹線として実現)計画が立てられた後、1942年には「東亜交通学会」が設立され、日本本土(内地)から壱岐島、対馬を経て釜山へ至るトンネルを建設し、上記の大東亜縦貫鉄道と結んで東京~昭南(シンガポール)間を弾丸列車で結ぶ構想が立てられた。日本本土側の起点は下関、博多、呼子(現:唐津市)などが考えられたが、確定には至らなかったようである。


1980年代ごろから、韓国側で日韓トンネルを開削しようという声が一部の団体から上がった。 1981年11月、韓国のソウルで、統一教会の教祖・文鮮明が、自ら主催する第10回「科学の統一に関する国際会議」において、人類一家族実現の基盤にするために全世界を高速道路で結び、経済や文化交流を促進するとした「国際ハイウェイプロジェクト」なるものを提唱した。そして、その「国際ハイウェイ」の最初の起点となるものとして、「日韓トンネル」の建設を提案した

その後、技術者の西堀栄三郎、地質学者の佐々保雄などが中心となって研究が始まり、日韓トンネルの推進団体として1982年4月に「国際ハイウエイ建設事業団」(会長は統一教会と国際勝共連合の会長を兼任する久保木修己)が、翌1983年5月24日に「日韓トンネル研究会」(2004年2月にNPO法人化、多数の自民党保守派議員が顧問を務めている)が設立された。統一教会ではこのプロジェクトのため信者に献金が奨励され、借金までして多額の献金をする者が多く出た。「日韓トンネル研究会」の事務局長も会発足時に統一教会の資金が使われたのは事実だと認めている。ただし、その後、内部人事も整理され、現在は一切資金援助もしていないとしている。1986年10月に佐賀県東松浦郡鎮西町(現在は唐津市に属する)に調査坑をこれまで470m掘ったが、その後大きな進展は見られていない。


ルートは概ね戦前の弾丸列車計画時のものと同じで、佐賀県の東松浦半島から壱岐、対馬を経て釜山または巨済島へ至る構想である。道路(自動車道)と鉄道(磁気浮上式鉄道か新幹線)の併設を前提にしているようである。工法については海底を掘削するのではなく、コンクリート製のケーソンを一定の深度に並べて構成する海中トンネル方式が提案されている。

大林組の構想した日韓トンネルでは、東松浦半島から壱岐までの間はこの海域に点在する加部島、加唐島、名島を結ぶ吊り橋と斜張橋を連続して建設し全長32kmの橋で渡る。壱岐から対馬までは青函トンネルと同様に60kmの海底トンネルを掘削し対馬の南端に上陸する。対馬島内は地上を縦断する。対馬から釜山までの朝鮮海峡(対馬海峡西水道)には水深 220 m の断層がある上に地盤が軟弱であるため、やはり海底に支持架を建設し円筒形のトンネルユニットを据え付ける海中トンネルを構想していた。なお、このトンネルは水深50mに設置するとしていた。

2000年10月、韓国ソウルで開催されたアジア欧州首脳会議(ASEM)で森喜朗首相が日韓トンネルの共同建設を韓国側に提案した。

2003年2月25日には韓国の盧武鉉大統領が就任式の直後の小泉純一郎首相との首脳会談で、「北朝鮮問題が解決すれば経済界から取り上げられるだろう」との旨を語った。


推進論は主に日韓間、ひいては日本とユーラシア大陸各地の物流の活性化を推進理由としている。反対論としては、航空機輸送が主流の時代に巨費をかけて建設する意義への疑問や、国防上の問題、貿易関税の問題などが主な反対理由となっている。さらに朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)から中華人民共和国(中国)へのルートが確立される見通しが立たなければあまり意味が無いとの意見もある。朝鮮半島が平和裏に統一されれば十分メリットはあるとの意見もあるが、日本の治安を考えるとデメリットだという意見もある。

まあ、北問題、中国の問題など、いろいろあるが
アジアの国々が団結できるといいな。





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最終更新日  2008.05.15 22:49:46
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