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2005年08月04日
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カテゴリ:欧州
空間恐怖、という用語がある。

この言葉は、現代のメンタルヘルスの分野でも使われるが、今、僕が想起しているのは、ヨーロッパ中世の芸術の分野である。

高校生のときに、ホイジンガの『中世の秋』を読んで以来、僕は、ヨーロッパ中世史に親しんできた。いや、とりつかれてきた、と言ったほうが適当かも知れない。そして、その病が高じたためであろう、昨秋からは、中世の街並みが残る、北フランスの都市に住むこととなった。

また、東欧やプラハという言葉にも、惹かれてきた。その結果として、昨年、プラハを訪れる機会が発生した。

この調子でゆけば、もうすぐ、ルチア・ポップさんの墓碑を訪ねて、スロヴァキアを訪れることになるだろう。いや、その前に、ミュンヘンにも行かねばなるまい。

ところで、中世芸術でいう「空間恐怖」とは、例えばタピスリなどで、図像の至るところが、草花などで覆われている場合の、織物師のメンタリティを表す場合に使われる。

そう、タピスリ。

この言葉にも、僕は、弱い(その原因は、明らかだ)。

二年前に旅先で見たタピスリ『女神の凱旋』では、先ず、そのサイズに、次に、人物の表情の豊かさに、そうしてさらに、細部を埋め尽くす図像に、驚かされた。実物を前にすると、手仕事というものが、現実のものとして、我々の前に現れる。写真では、あの、圧倒的存在感を味わうことは不可能だ。

ところで、どうして、空間が恐怖を与えるものだったのだろう。

タピスリを作った織匠たちには、「空間」は「無」として、認識されたから、それを、生あるもの(たとえば草や花)で埋めることで、「無」を「有」に転換することを図ったのだろうか(我ながら、実に幼稚な類推だと思う)。

一方で、たとえば中世初期のカテドラルは、なにもない閉じた空間、と記述できると思う。なぜ、広い空間の存在を許したのだろう。

このことに、僕は、矛盾を感じて、やや驚くのだ。

ああ、そうか。

空間というものの存在を許容したくなかった。しかし、空間を満たすもの(正確に言えば、そのようなものを調達することを可能にする技術)が、中世建築の初期には、入手できなかった。そして、ロマネスク建築の時期でも、なお、技術が窓の大きさを制限していていた、と考えればよいのかも知れない。

巨大なステンドグラスを作る技術が出現して初めて、光をあやつることが可能になり、空間というものを、自分たちの願ったとおりに演出することが可能になったのだ、と。

だから、ゴシック形式に到達した時点において、カテドラル(の内部)とは、“天に向かってそびえる、なにも無い空間”ではなくて、“隅々までもが豊かな光で満たされた空間であって、自分たちの手で触れることが出来て、自分がその中に浸ることができる、天の一部分”と解釈できるもの(当時のひとびとにとっては、解釈できるものではなくて、実在として感得されるもの)になっていた、と言ってもよいのかと思われる。





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最終更新日  2005年09月21日 21時12分13秒
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