カテゴリ:ウォーキング・旅
新潟駅、在来線のフォームにて。 次の列車を待っている。 陽だまりの中、赤茶けた石畳の上を鳩がリズミカルに歩いていく。 それをじっと見つめていると、ふと昔の自分の感覚が戻ってくるようだ。 中学・高校の頃の感覚だ。静かな明るさ。明るい静けさ。 たった2両の列車は、ゆっくりフォームを発車した。 これからN大学前まで短い短いトリップが始まる。 単線は阿賀野川を渡る。ジリリリーンとベルが鳴って駅に止まる。 ドアは手動でボタンで開閉する。 途中、無人駅もあるようで、車内前方に バスのように運賃箱と電光の運賃表が設けられているのが興味深い。 もう北側に防風林が並々と見えてきた。 あの向こうは、見えないけれど日本海なのだ。 N大学へ行き、構内を歩き(院生にでも見えたのだろうか、スルーだった) 建物の合間から以前来たときと同じように海が見える地点に着いたときには やはりどきっとした。 まだ海が見える地点が残っていたという事実に。 そこから道を下って、海へ行ってきた。 砂丘を歩き、しゃがんでぼーっとした。 晴れて、波は荒かった。 風はそんなに強くなかったが、少し寒かった。 荒井由実の「遠い旅路」をつぶやくように口ずさむ。 旧い曲だけど、私の中ではこの風景のBGMなのだ。 ここに着いて、一瞬視界がひらけたときは解放感があったけれど、 海そのものには18のときほどは感動はしなかった。 あの頃はまだ海へ行く機会が圧倒的に少なかったからだろう、 海が見られるだけで高揚したものだ。 今の私には海よりも砂丘のほうが興味深かった。美しかった。 遥かに佐渡が見えた。青くかすんで横たわっていた。 そこへ向かうフェリーもゆったり進んでいくのが見えた。 心がしんと静まりかえる一瞬。それを求めている。 それがどうすると訪れるのか探っている。 私が行くことのなかった大学。 あそこに通っていたらどうなっていただろうか、などとは考えられない。 N大学構内は木がたくさんあり、ゆったりしていて、 てらいもなくいい空気感なのだが、 ここに通っていたら・・とは思いもよらない。 木々と光、落ち着いた建物の間を歩きながら、何故か思い浮かべているのは C大学の、ひんやりした壁、座りにくい椅子、無機質な廊下、なのだった。 とても不思議な感覚だった。 哲学を学ぶ前の自分、学びたいと願った自分、 舞台もダンスも芝居も始める前の自分、 KyoちゃんにもA子にもKにも出会う前の自分。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2017.02.14 20:27:29
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