カテゴリ:ウォーキング・旅
佐渡の老舗ホテルにて。 波の音を聞く。何もしない。無為の時間。 仲居さんの言っていた言葉。 「海がないと、どこへ逃げればいいかわからない、と思ってしまう」 海なし県に生まれ育った私にとっては無い感覚で、非常に興味深く感じた。 島に住む人の皮膚感覚。海のない場所での閉塞感。 私にとって海は、昔から特別な場所で"自分のもの"ではない。 むしろいざとなると、不安やとりとめなさ、危うさを感じてしまう。 佐渡でも一番の景勝地である尖閣湾は、私以外にひとりも客がいなかった。 まったくひとりで入場し、ひとりで見て回り、ひとりで写真を撮った。 寂れた感じがした。 風景は確かに素晴らしかった。 こんな景色を独り占めできるなんて! 入り組んだ湾、削られてむき出しになった岩肌、岩を洗う荒波、 何故私はこんな厳しい自然の情景にばかり心魅かれるのだろう。 鮮やかなビリジアンの海の色が目に刺さる。 波は岩をうがち、逆巻き、白いしぶきを上げる。 岩々はそそり立ち、鋭い首先を天に向かってもたげる。 上へ上へ。 まるでイグアナかオオトカゲが天を向いているように見える。 オオトカゲの群れたち。 岩々に囲まれたときのあの感じを何と言えばいいのだろう? 岩、岩、岩。 固く荒々しくそびえ、へだて、遮断する。断絶する。 その感覚はある種、ざわざわと不穏な不安なものでもあるが、 どこか嫌いではない、とも思ってしまう自分がいる。 よく知っている馴染み深い感覚。 何からへだてられ、遮断され、断絶されているというのだろう。 バスの乗り継ぎで降り立った相川の街。 次のバスの時間までほんの短い時間歩いても ふと辿り着くのは、昔の牢と刑場のあった場所だったりして、 何故そうしたところに行き着いてしまうのか、自分でも不思議だ。 他に遊郭や寺や古い建築物などへ行く道もあるのに。 そこで"土壇場"という言葉は、刑執行の場を表す言葉だと始めて知った。 土壇場。すさまじい言葉だ。 路線バスに1時間揺られて港に戻る。 太宰治の短編小説「佐渡」は、ユーモアにあふれ、 じんわりと寂れた感じが漂う佳作で、幾度となく読んだものだが、 "死ぬほど淋しいところ"とか"佐渡には何も無い"とか "旅行に来るところではない"などと書かれていながらも それを味わいに行きたくなるのが不思議だ。 ブルーグレーの海。ブルーグレーの空。 船で佐渡を後にした。 過去の自分に呼ばれ、過去にとらわれながらも 強く感じたのはむしろ今の自分、だった。 それは過去の肯定が前提にある。 そして今回のとりとめないひとり旅も、 やがて1つの体験、1つの思い出として確定するだろう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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