ニシムラサキエボシドリ(西紫烏帽子鳥)「綺麗な色合いで」@神戸どうぶつ王国
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2022年05月21日
全30件 (30件中 1-10件目) 海外旅行の記録
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)カナダのケベック州はフランス語圏で今でもカナダからの独立運動が盛んですが、そんな中で走る車のナンバープレートは州法で全て後ろ側だけにしかつけられていません。
疑問に感じた私は現地ガイドに聞いたのですが、「前から見えなかったら後ろから見ればいい。」とのことらしいです。そして結果「カナダやアメリカでは取締りのカメラ等は全て後ろ側から撮影し車の所有者に違反金の請求が行くそうです。」合理的な考え方ですね。 またナンバープレートには、ジュ・ム・スヴィアン(Je me souviens)と「私は忘れない」という意味のフランス語の合言葉が刻まれています。 これは古き良きフランスの歴史と伝統を守ろうとする姿勢の表れなのでしょうか・・・。 〇カナダ・ケベック州で見かけた「車とナンバープレート(後ろだけ) 車の前側(1)IMG_0159 posted by (C)手持ちのまっちゃん 車の前側(2)IMG_0205 posted by (C)手持ちのまっちゃん 車の後ろ側IMG_1769 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月24日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
カナダのローレンシャン高原で見た「メープル(楓)の紅葉」です。 紅葉の見ごろは1週間程度と短いらしく、最も綺麗に染まった晴れた日に行くのは、なかなか難しそうです。 メープルは、カナダの国旗にもデザインされており、カナダの国の象徴として、自他共に認められる存在です。 <カナダのローレンシャンの紅葉> http://plaza.rakuten.co.jp/mattyan328/diary/201210050000/ 〇カナダのローレンシャン高原で見た「メープル(楓)の紅葉」 メープル紅葉1IMG_1913 posted by (C)手持ちのまっちゃん メープル紅葉2IMG_1942 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2012年10月24日 18時15分33秒
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2012年10月23日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
カナダ・ケベックシティの「勝利のノートルダム教会」です。 17~18世紀の英仏戦争でのフランスの勝利を讃えて名付けられた教会で、珍しい城の形をした祭壇の前には、フランス人兵士らが航海に使ったとされる船の模型が展示されています。 その後、最終的にはケベック州もカナダに編入されていますが、ケベック州ではフランス語も公用語で、現在もカナダからの独立運動が続いているようです。 また、この協会は結婚式にも人気の教会のようで、この日も結婚式が行われていたので、教会の中を十分に見物出来ませんでした。 〇カナダ・ケベックシティの「勝利のノートルダム教会」 勝利のノートルダム教会1IMG_0197 posted by (C)手持ちのまっちゃん 勝利のノートルダム教会2IMG_1863 posted by (C)手持ちのまっちゃん 勝利のノートルダム教会3IMG_1862 posted by (C)手持ちのまっちゃん 勝利のノートルダム教会4IMG_0205 posted by (C)手持ちのまっちゃん 勝利のノートルダム教会での結婚式IMG_0204 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2012年10月23日 19時01分42秒
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2012年10月22日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
カナダのケベックシティで観察した「ノートルダム聖堂」です。 ケベック州のカトリックの中心といえる大聖堂で、ケベック大司教座所在地で新大陸で最初に建設された聖堂です。 内部は撮影禁止と聞いていたのですが、フラッシュ禁止のようだったので、カメラを机に固定して撮影しました。 〇カナダのケベックシティの「ノートルダム聖堂」 ケベック・ノートルダム聖堂IMG_0194 posted by (C)手持ちのまっちゃん ケベック・ノートルダム聖堂IMG_1848 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2012年10月22日 18時16分19秒
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2012年10月19日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
カナダのモントリオールで観光した「ノートルダム聖堂」です。 内部にはカナダにあるカナダ製パイプ・オルガンは、7000本ものパイプを使用しているようです。 ステンドクラスも大変綺麗でした。 〇カナダのモントリオールで観光した「ノートルダム聖堂」 ノートルダム聖堂1IMG_0151 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂2IMG_0146 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂3IMG_0147 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂4IMG_1773 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂5IMG_1775 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂6IMG_1774 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂7IMG_1776 posted by (C)手持ちのまっちゃん ノートルダム聖堂8IMG_1772 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2012年10月19日 19時56分51秒
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2012年10月06日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
カナダ紅葉旅行のもう一つの楽しみであった「ナイアガラの滝」で、近くから見ると凄い迫力でした。船(霧の乙女号)で滝下までのクルーズで行ってずぶ濡れにまりました。 レインボーブリッジを渡ると向こうはアメリカ側です。カナダから出るのに50¢でゲートを通過でき、橋を渡ってアメリカ側で通関手続きを済ませて6$支払うと入国できたので、滝のあるゴート島まで観光と野鳥観察に行きました。通関手続きはすべて本場の英語なので、本場ものに苦手な私は四苦八苦でした(;^_^A 苦労の甲斐が合ってアメリカ側から見た滝はもっと近くで見れて、これも大迫力でした。 カナダ側は凄く観光化されて喧騒たる町並みでしたが、アメリカ側はひっそりとした街並みでした。この時はカナダ側では滝のしぶきでいつも雨降り状態でした。 〇カナダ側とアメリカ側から見た「ナイアガラの滝」 ナイアガラ滝1(カナダ側)IMG_0397 posted by (C)手持ちのまっちゃん ナイアガラ滝2(カナダ側ライトアップ)IMG_0477 posted by (C)手持ちのまっちゃん ナイアガラ滝3(カナダ側)IMG_0366 posted by (C)手持ちのまっちゃん ナイアガラ滝4(レインボーブリッジ)IMG_0421 posted by (C)手持ちのまっちゃん ナイアガラ滝5(アメリカ側)IMG_0434 posted by (C)手持ちのまっちゃん ナイアガラ滝6と霧の乙女号(アメリカ側)IMG_0436 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年10月05日
カテゴリ:海外旅行の記録
9月27日~10月4日まで、カナダ直行のJALチャーター便による「紅葉のカナダ」の旅に行ってきました。
紅葉のメープル街道は800km程続き、天候が優れなかった時もありましたが、一番の見所のローレンシャン高原では、うまく薄日が射して来てくれて綺麗な紅葉が楽しめました。 紅葉の絶好期間は1週間ほどしかないので、直行チャーター便ならではの紅葉巡りとなりました。 〇カナダ「ローレンシャン高原」の紅葉 カナダ紅葉1IMG_1937 posted by (C)手持ちのまっちゃん カナダ紅葉2IMG_1907 posted by (C)手持ちのまっちゃん カナダ紅葉3IMG_1911 posted by (C)手持ちのまっちゃん カナダ紅葉4IMG_1935 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2012年01月19日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
オーストラリアのケアンズ近郊の農場で目撃した「自走式スプリンクラー」です。 この装置はエンジン付きの自走式散水装置で、これが広大な農場を走り回り、農作物に水をやるようです。長いものでは数百mもあるようです。 ガイドさんに聞いた話では、数キロmもあるような広大な農園では「飛行機で種を捲き」「自走式のスプリンクラーで散水し」「とてつもない大型のトラクターで収穫」するそうです。自走式のタイヤが踏み荒らし、その部分が収穫できなくなるような小さな事は考えていないようです。 日本の小さな田畑とは、規模も考え方も大分違うようですね。 〇オーストラリアの農場 自走式スプリンクラー1IMG_1715 posted by (C)手持ちのまっちゃん 自走式スプリンクラー2IMG_1714 posted by (C)手持ちのまっちゃん
2011年12月31日
カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新2)
紀元前16~11世紀にかけて、移住してきたギリシャ人が築いたのがアルテミス神殿を中心に繁栄した古代エフェソスの街。紀元前7世紀頃、キンメリア人の攻撃を受け街も神殿も破壊されたが、リディア王クロエソスが再建、後紀元前5世紀、アケメネス朝によって占領、紀元前4世紀アレキサンダー大王の登場を待って、ヘレニズム時代となる。 1世紀、初代ローマ皇帝アウグスティヌスによってローマ帝国領アジア州の都とされ広大な帝国内でも5本の指に入る大都市として発展した。3世紀、ゴート族の攻撃を受けたのが直接のきっかで衰退した。、7-8世紀、イスラム教化されたアラブ人の侵略を受け、後土砂に浸食され、港も埋まり廃墟となった。 現在、まだエフェソス遺跡は10%程度しか発掘されていなくても、この規模であることから、その大きさは想像に絶する。将来、世界遺産に登録の可能性の高いと思われる。 (追伸) 11月のトルコ旅行の忘れられない遺跡の記録として今回取り上げました。 〇エフェソス遺跡 エフェソス遺跡1IMG_1248 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡2IMG_1254 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡3IMG_1269 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡4IMG_1277 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡5IMG_1312 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡6IMG_6181 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡7IMG_6192 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡8IMG_6198 posted by (C)手持ちのまっちゃん エフェソス遺跡9IMG_6220 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2011年12月31日 17時42分37秒
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カテゴリ:海外旅行の記録
(本日更新1)
11~13世紀に小アジアを支配したセルジューク・トルコ。コンヤはその首都として、イスラム世界の政治、文化、芸術の中心地となりました。そのため街のあちらこちらに当時の建物が残っています。 メヴラーナ教の総本山でもありました。今ではこちらのほうが有名です。神秘主義者メヴラーナ・ジェラレディン・ルミによって提唱された宗教運動は、一心不乱な旋舞により神との一体感を得るという、イスラムとはかけ離れたあまりにも異色なものでした。その開祖の霊廟が博物館として公開されています。 (追伸) 11月のトルコ旅行の忘れられない遺跡の記録として今回取り上げました。 〇トルココンヤのメヴラーナ博物館 トルコ(コンヤ)1IMG_1359 posted by (C)手持ちのまっちゃん トルコ(コンヤ)2IMG_1361 posted by (C)手持ちのまっちゃん トルコ(コンヤ)3IMG_1362 posted by (C)手持ちのまっちゃん トルコ(コンヤ)4IMG_1366 posted by (C)手持ちのまっちゃん トルコ(コンヤ)5IMG_1367 posted by (C)手持ちのまっちゃん
最終更新日
2011年12月31日 17時42分19秒
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