テーマ:落語について(2210)
カテゴリ:落語
![]() 「そうじゃ。1965年3月、立川談志が真打になって2年目、「金曜夜席」の司会に抜擢された。演芸と大喜利という、今の形と同じものじゃ。メンバーは円楽・歌丸・小痴楽(前)・こん平で、隔週金曜日に放映。10:30からなのに16%を超える視聴率を記録し、翌年5月から毎週放送、日曜日4:30に移り「笑点」と改題された」 「題名は何かのもじりだそうで」 「そうじゃ。三浦綾子のデビュー作『氷点』の洒落じゃ。サントリーのPR誌に柳原良平がマンガを連載して、この題名を使っていたが、談志が交渉して使用許可をもらっている」 「それで、人気になった」 「最初はそうじゃったが、やがて落ち目になり、1969年には視聴率も低迷、当時流行したブラックユーモアを認めようという談志と、回答者陣が対立、結局レギュラーが降板して4月から総入れ替えとなったが、視聴率は1桁で立て直しが出来ずに、11月には談志が降板することとなった」 「それでも番組は残そうとしたのですか」 「そうじゃな。演芸番組を無くしてはならないという執念を感じる。司会は前田武彦になり、メンバーも入れ替え、翌年6月再びメンバー入れ替えを行なった。前武の作詞・中村八大の作曲で、現主題曲が完成、前武自身の歌で「笑て~んだ~よ!」と歌われた」 「この頃、座布団運びの山田君がデビューしていますね」 「1970年の8月から始まった『ちびっこ大喜利』じゃな。74年に座布団10枚をためた賞品でレコードデビューし、紅白にまで出てしまう。しかし素行は悪かったなあ……わしは沢山知っているが……」 「そして三波伸介の登場」 「その年の12月からじゃ。座布団運びは翌年7月から松崎真になり、『手を挙げて横断歩道を渡りましょう』と、交通安全で人気になった」 「第2次黄金時代の始まりですね」 「そうじゃ。1973年10月8日、視聴率40.5%を記録した。その後1977年には円楽が落語に精進すると卒業、1980年には小円遊が急死、1982年12月に三波伸介が52歳で急死……」 「それで円楽師匠の復帰」 「いやいや、実はお正月の特番を愛川欽也とこん平で務めている。それで、円楽師匠が2回だけという約束で司会に挑戦した。実は、『金曜夜席』で1第1回の大喜利を司会している。本人の希望で回答者に回り、談志が演芸も大喜利もやるようになったという経緯がある」 「へえ」 「2回きりというので、思い切って三波伸介のやり方を変え、現在の円楽流を作り上げた。それが評判になって、続投となった訳じゃ。1984年の10月からは山田君が座布団運びに就任したのじゃ」 「昨年12月からこん平さんが病気でたい平君になりましたが」 「そうじゃな。全く新しい人というのは21年振りじゃそうじゃ」 「笑点については思い入れが深いんですか」 「そうじゃな。子供の頃から見続けていた。視聴率1桁時代も見続けていたからな……今度は笑点グッズを紹介しよう」 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2005.10.15 06:45:00
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