最少1、最多58
<58頭立てというレースが合った>日本ではありませんが本当です!1948年3月31日、英国のチェルテナム競馬場で行われた「リンカシャーハンデ』での記録。英国では出走頭数が多くなるとゲートの発馬機をやめて旗だけの合図でスタートさせる方式を取っているという。人気馬、有力馬のためにフルゲートを減らす某競馬会とはスケールが違う?。<逆に33頭が回避してしまい単走になったレースもあった>明治時代の事ですが本当です。明治39年11月24日池上競馬初日8レース「濠州抽選新馬」での事です。横浜でデビューから4連勝したイスズ(後の第二メルボルン)が出走と聞いて出走予定登録馬の33頭が全部回避してしまったのでイスズ1頭だけで走ることに(単走)なってしまった。16戦目の「横浜ダービー」でもまたまた単走となってしまった。当時の新聞や雑誌は「開闢以来の名馬』と第二メルボルンを讃えました。昭和49年のアラブ王冠賞は、魔女イナリトウザイ《東京盃でサラブレッドを蹴散らしレコードで優勝》の強さに登録馬がどんどん回避してしまい規定頭数である5頭に達せず不成立となっている。単走でもよかったと筆者は思っている。イナリトウザイを見る機会が減ったことに比べれば単走でも見られればよかった?