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三河の住人の庵

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2013/04/23
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カテゴリ:大久保彦左衛門
大久保彦左衛門 京都の墓をたずねる旅は 丸太町寺町から北方向へと歩いた。
京では 丸太町寺町通りを上がったと言う。

京都御所の南東角から北上、じきに 大河ドラマ「八重の桜」主人公 八重さんと同志社創立者新島襄が住んだ邸宅が見える。
予約がなくては 入れぬというのでパス。

しばらく歩くと 盧山寺の山門。
紫式部邸宅跡とある。

門内に入ったが ゆっくり見る余裕がないから ここもパス。

  • 新島旧宅.JPG
  • 盧山寺紫式部邸宅.JPG
  • 本禅寺.jpg


やがて この日の目的地 大久保彦左衛門の墓のある 本禅寺。

彦左衛門の墓はもちろんだが 彼の本家 小田原大久保家の墓にまつわる謎など いろいろ 研究?)課題を見つけた。

やはり 現地現物 だなあ。

寺町通りを さらに上がって 河原町に達した。

河原町通りを横切って さらに上がる。

ここからは およそ半世紀前 毎日歩いた道。
だけど 何も見ていなかった道。

本満寺。
門前の石柱には 山中鹿之助幸盛の墓有り
と記されている。

  • 本満寺山中鹿之助墓.JPG


そこを少し行くと 阿弥陀寺。
ここには 織田信長公本廟。

織田信長の遺骸を葬ったという。
本当かどうかは 知らないが信長の遺骸はおろか 森蘭丸とその弟の遺骸も葬ったそうだ。

  • 阿弥陀寺信長本廟.JPG


どれも 本当かいな? という史跡だが 歴史マニアにはたまらない通りだな 寺町通りは。

本禅寺のご住職が言っていたではないか。
「なにが正しいか 今となってはわかりません。自分なりに解釈して 納得すればそれでよろしいのではないでしょうか」

さらに寺町通りを上がると なんと 半世紀前 私が下宿していたお宅が そのままの姿で残っているではないか。

私の部屋は 奥まったところの土蔵を改造したものだったが 表からは見えないのが残念。

  • 下宿先.JPG


感動を胸に 道を引き返すと 出町枡形商店街というのに出くわした。
昔は スーパーが1軒ある通りだったのだが 京都風の市場になっていた。

  • 出町枡形商店街.JPG


その中の 1軒、 惣菜を売っている てんぐ屋さん。
元は 多分 その昔私たちが毎日行っていた 定食屋ではないだろうか。
忙しそうで こんなこと聞くのをはばかられたのだが 聞けばよかった。

半世紀は すでに歴史の彼方なのだろうか
いずれにしても 近いうち もう一度行く必要はあるわな。





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最終更新日  2020/06/14 10:12:35 PM
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