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カテゴリ:大久保彦左衛門
大久保彦左衛門 京都の墓をたずねる旅は 丸太町寺町から北方向へと歩いた。
京では 丸太町寺町通りを上がったと言う。 京都御所の南東角から北上、じきに 大河ドラマ「八重の桜」主人公 八重さんと同志社創立者新島襄が住んだ邸宅が見える。 予約がなくては 入れぬというのでパス。 しばらく歩くと 盧山寺の山門。 紫式部邸宅跡とある。 門内に入ったが ゆっくり見る余裕がないから ここもパス。 やがて この日の目的地 大久保彦左衛門の墓のある 本禅寺。 彦左衛門の墓はもちろんだが 彼の本家 小田原大久保家の墓にまつわる謎など いろいろ 研究?)課題を見つけた。 やはり 現地現物 だなあ。 寺町通りを さらに上がって 河原町に達した。 河原町通りを横切って さらに上がる。 ここからは およそ半世紀前 毎日歩いた道。 だけど 何も見ていなかった道。 本満寺。 門前の石柱には 山中鹿之助幸盛の墓有り と記されている。 そこを少し行くと 阿弥陀寺。 ここには 織田信長公本廟。 織田信長の遺骸を葬ったという。 本当かどうかは 知らないが信長の遺骸はおろか 森蘭丸とその弟の遺骸も葬ったそうだ。 どれも 本当かいな? という史跡だが 歴史マニアにはたまらない通りだな 寺町通りは。 本禅寺のご住職が言っていたではないか。 「なにが正しいか 今となってはわかりません。自分なりに解釈して 納得すればそれでよろしいのではないでしょうか」 さらに寺町通りを上がると なんと 半世紀前 私が下宿していたお宅が そのままの姿で残っているではないか。 私の部屋は 奥まったところの土蔵を改造したものだったが 表からは見えないのが残念。 感動を胸に 道を引き返すと 出町枡形商店街というのに出くわした。 昔は スーパーが1軒ある通りだったのだが 京都風の市場になっていた。 その中の 1軒、 惣菜を売っている てんぐ屋さん。 元は 多分 その昔私たちが毎日行っていた 定食屋ではないだろうか。 忙しそうで こんなこと聞くのをはばかられたのだが 聞けばよかった。 半世紀は すでに歴史の彼方なのだろうか いずれにしても 近いうち もう一度行く必要はあるわな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020/06/14 10:12:35 PM
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