飢饉なんて、どこの話?という今の日本なのに、
「飢饉」を再考しようという企画展を西尾市岩瀬文庫で見てきた。
そもそも飢饉ってなに?
凶作により人々が飢えくるしむことなのです。
日本では古来、餓死者が出るほどの飢饉が幾たびも繰返し発生しているそうで
文献による最古の記録は古事記、仁徳天皇が316年高台から民のかまどの煙が上がらないのをご覧になって民の窮乏を知り課役を免じたと出ている。
鴨長明の方丈記には1182年の飢饉の京都の惨状が記されています。
「京の仕組みとして、田舎から物資が入らなくなるとたちまち窮乏した。みな飢えきり、日を経るごとに追い詰められる様は水が干上がった魚のようであった。築地の傍ら道のほとりに餓死している者は数も知れない。採り片付ける手段もないので腐敗臭が充満し、変わり果ててゆく有り様は目も当てられない」
江戸時代の享保・天明・天保の三大飢饉については多くの記録が残っている。
飢饉の惨状記録だけでなく日々の備え、凶作の時の代用食の食べ方等の文書も多数発行されている。
飽食の世だが、物流の途絶等、一歩間違えれば方丈記にある京都の惨状が再現されぬとも限らぬ輸入頼みの日本である。
と、ちょっとばかり真面目に考えさせられた企画展でありました。