にわか四国遍路(14)—久万の遍路道
★にわか四国遍路(13)に戻る四国遍路からすっかり遠ざかってしまい、東国暮らしが長い今日この頃。そういえば、2013年10月に大宝寺・岩屋寺へ行った事をすっかり記録し忘れていたので、思い出しながら過去の記憶を引き出して記録に残すとする。久万の遍路道<杉本智彦『カシミール3D GPS応用編』(実業之日本社、2011年)の地図より引用し加筆>2013年(平成二十五年)10月12日と13日に2日に渡り久万を訪れた。初日は黄色い道(久万→大宝寺→河合→八丁坂→岩屋寺)を母親と辿り、二日目は赤い道(二名→農祖峠→中野村→八丁坂→岩屋寺)の旧遍路道をIさんと辿った。なぜ2日間に渡って岩屋寺に行ったのかさっぱり覚えていないが、2日連続で岩屋寺を訪れるという機縁に恵まれた。【1日目】2013年(平成二十五年)10月12日★四国霊場第四十四番札所・菅生山大宝寺本堂(愛媛県上浮穴郡久万高原町菅生)伊予鉄バスで三坂峠を越えて、久万営業所へ。大宝寺は久万の街中にある。大宝元年創建と伝わる事が寺名の由来であろう。大宝寺の裏手から山手の道を進み、峠御堂へ出る。↑峠御堂への登り道↑峠御堂トンネルの下に出る↑河合の集落河合には最盛期15件の遍路宿があったようで春の彼岸の頃は300人の宿泊があったようだ。遍路は河合に1泊し、荷物を置いて、岩屋寺に参拝した後、来た道を再び河合へ戻る「打ち戻り」を行ったそうである。↑河合からは県道12号線沿いを歩く↑途中から道を折れ八丁坂への山道へ↑八丁坂八丁坂は、河合からの道と槙ノ谷から来る道が合流する場所で、かつて茶店があったようである。ここには、七鳥村の組内30戸の人たちが、槇ノ谷の道こそが本来の遍路道である事を示そうと、この地に1748年(延享五年)に建てた立派な大石碑を見ることができる。↑尾根道を歩く↑「従是岩屋迄十一町」と刻まれた石仏★四国霊場第四十五番札所・海岸山岩屋寺大師堂(愛媛県上浮穴郡久万高原町七鳥)久万を経って、およそ4時間で岩屋寺に到着した。岩屋寺は名前の通り、奇岩が幾重にも聳え立つ岩屋が魅力だ。↑仙人堂と本坊を眺める、仙人堂までは梯子で登る事ができる【2日目】2013年(平成二十五年)10月13日執筆中★にわか四国遍路(15)に進む●今回の歩行距離・・・10.3キロ(1日目)、14.1キロ(2日目)●総歩行距離・・・250.3キロ(四国遍路全行程1,108キロの約22%)