カテゴリ:ヒストリー
武州、相州、上州、野州、下総、上総、安房、常陸。
古来より、この地は関東八州と呼ばれ中央政権とは異質な文化をもった。 平安朝の頃、平将門が関東で兵乱を起こして以降、中央政権に台頭した「源氏」と呼ばれる氏族が関東を拠点に。 源平の争乱の中、源氏の頭領、源頼朝が鎌倉に幕府を開く。 中央と関東。日本はこの頃から二つの政権を持つようになった。 鎌倉幕府が滅びてから、江戸幕府が誕生するまでを、 俗に室町時代という。 しかし、その前半は太平記でも描かれている南北朝時代であり、後半は古今稀にみる戦乱の世、戦国時代である。 この時代は一見して、関東が中心ではないような気がするが、最も関東が栄えた時代といっても過言ではないだろう。 関東には室町幕府の出先機関「関東公方」が存在し、それを補佐する関東管領、上杉氏が執務を行っていた。これらは独自の元号を用いて、中央政権と対等した。 さて、この頃、二人の男児が都と関東に誕生する。 都に生まれた男児は、その後、妹の嫁ぎ先、今川氏(駿河国守護)に仕えて関東に下向する。 一方、関東に生まれた男児はその後、江戸城に居した。 この二人は生涯に一度だけ、謁見している。まさに一期一会である。 二人とも今川や上杉の名代として・・・。 この一度の運命的な出会いが、関東を大きく変える運命になるとは。 今川の名代だった、その男は都の戦乱(応仁の乱)を見て、関東に夢の王国を作ることを夢見た。 上杉の名代だった、その男は上杉氏に忠節を尽くし生涯安泰に暮らすことを夢見た。 が、結果として上杉氏内の対立に巻き込まれ、上杉氏の家宰、太田道灌は謀殺されてしまう。一方、今川氏の武将だった伊勢新九郎は、伊豆韮山城を乗っ取り、善政を引き相模、武蔵へと勢力を拡大した。名前も北条早雲と改め小田原城に居した。 道灌を失った、上杉氏は弱体した。早雲は破竹の勢いで上杉の勢力を関東から追い落とした。早雲は道灌の二倍もこの世で生きた。天寿を全うしたのである。 早雲の後、五代も北条家は続いて、ついに関東八州に勢力は広がった。 都とは、関係を持たず、関東に新たな政権を築き上げる。 北条早雲だけでなく、太田道灌、更には上杉氏までが夢見たことであろう。 中央に関白、豊臣秀吉が誕生した。秀吉は小田原の北条氏の征伐をもって、天下統一をした。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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