カテゴリ:ヒストリー
「この短冊を形見に書いて送る。おかしなことをいうようだが、私の書いた短冊は、あちらこちらから大そうな注文がくる。これは決して嘘ではないぞ。この国では勿論だが、近国の人たちから何とか書いてくださいと言われれば、やっぱり書かないわけにはいかないので流人であるとの遠慮を捨てて堂々と書いて与えている。島根、山口、広島などから地紙を届けてよこすので、もう百枚ばかり書いた。こんなこと人にいうなよ。由利の六郷は運がいいよな。あれの親の伊賀守は私がまだ幼かった頃、重臣たちで育ててくれたと聞いているが、早くに死んでしまった。由利十二頭の面々は何となっているかさっぱり様子を聞いてないから詳細を儀右衛門尉まで手紙を書いてくれるようにお願いする。以前、私に仕えていた者もたいてい死んだだろうな。昔の者の誰が生きているのか。それも詳しく聞きたいものだ。 寛永二十二年十一月十日」 これは、戦国時代出羽国仙北を治めていた横手城主、小野寺義道が配流先の石見国(現・島根県)津和野から故郷、角間川(現・秋田県大仙市)の乳兄弟、八木藤兵衛に当てて書いたものの一つで「八木文書」と呼ばれるものである。上の書状は義道が藤兵衛にあてて書いた最期の手紙と言われており、角間川の新田良さんという方が注釈したものであるらしい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006/08/25 06:53:35 AM
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