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かえりみち

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2007/02/09
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カテゴリ:ヒストリー

突然だが、一揆(いっき)という言葉を存じているだろうか。実教出版の「必携日本史用語」には次のようにある。

「一揆・・・揆を一つにする、つまりは気持ちを一致させて団結行動をするの意。元来は武士の団結を意味したが、室町時代、名主(みょうしゅ)、百姓の団結が生まれ、以後一揆といえば農民の団結と闘争をさすようになった。」

一揆といえば、あまりいい感じはしない。連想するものは反乱、反逆などである。

葛西(かさい)、大崎(おおさき)、和賀(わが)、稗貫(ひえぬき)、由利(ゆり)、仙北(せんぼく)、九戸(くのへ)。

上の地名をご存知だろうか。現在の宮城県北部から岩手県、秋田県南部の地名である。
今から四百年以上前、東北のこれらの地では計り知れない規模の一揆が起こったのである。この事実を高校の歴史教科書では一切、触れていない。

しかし、僅かではあるが実教出版の「必携日本史用語」では「葛西・大崎一揆」や「奥州平定」について触れている。

「葛西・大崎一揆・・・1590~91年に東北地方の葛西・大崎両氏の旧領で起きた一揆。太閤検地に反対して蜂起したもので、蒲生氏郷(がもううじさと)、伊達政宗らによって鎮圧された。」

「奥州平定・・・1590年の小田原征服後、東北各地で一揆が起こった。91年、秀吉の東北征服軍が発向し、北奥の一揆の拠点九戸城は落ち、城主九戸政実も降伏。ここに秀吉による全国平定が実現。」

実際に、これらの記述しか掲載されていない。しかしながら豊臣秀吉はこの「九戸の乱」を平定するために六万五千もの軍勢を派遣しているのである。さらに後詰を含めると十万の軍勢である。東北に十万の軍勢。かつて東北にこれだけの軍勢が派遣されたことがあっただろうか。

そもそも、秀吉の天下統一には無理があった。九州や四国のように単純にはいかない、奥州の事情があったのである。

話は秀吉の登場まで遡らねばならない。

和賀山塊核心部

ふるさと。山河あり。人あり。400年もの平和はとんでもない形でぶち壊された。
この時代に生きた人は奇しくも歴史の転換期にあった。
中世から近世への移り変わりは、東北人にとっては無謀意外の何モノでもなかった。
人々はふるさとを守るため武器を持ち立ち上がった。
しかし、この戦いは皮肉にも東北人同士の辛く悲しい戦いになるのである。


最後の戦場・続編では「九戸の乱」から「葛西・大崎一揆」「和賀・稗貫一揆」の知られざる歴史を紹介していきたいと思う。

しばし、お付き合い願いたい。






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Last updated  2007/02/09 08:52:21 PM
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