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排除のロシア選手が批判 IPC、五輪精神は欺瞞 - 記事詳細|Infoseekニュース 【北京共同】ウクライナ侵攻を受け、北京冬季パラリンピックから排除されたロシアのアレクセイ・ブガエフ選手が5日までに、自身のインスタグラムで「明らかなロシア敵視であり、五輪精神は欺瞞だ」と不満を吐露した。決定を下した国際パラリンピック委員会(IPC)について「不道徳で非人道的、矛盾している」と批判した… パラリンピックに出場する予定だったロシア選手が不満を漏らしたという話。 ロシア選手が不満に思うのは理解するが オリンピック閉会直後のロシアによるウクライナ侵攻を重く見て、IPCがロシア選手の排除を決めた。 確かに選手個人に責任が無いことなので、この選手が不満に思うのも当然だ。 しかしこの選手のコメントにちょっと納得が行かないところがある。 「私は既にパラリンピックでいくつものメダルを獲得し、子どもの頃の夢を実現した。だが、こうしたチャンスを奪われた選手がいるんだ」 と言っているらしいのだが、「ロシアの侵攻によって出場機会も家族も、命さえ奪われたウクライナの選手」だっているだろう。 その人たちのことを考えずに自分のことだけを言うのはちょっとおかしいと感じる。 政治とスポーツは切り離せない かつて、戦場で切り落とした敵の頭を蹴り合ったところから「サッカー」が始まったという説もある。 だからサッカーでは手を使わないのだと。 また、国と国とのスポーツによる戦いそのものが、戦争に変わる「優劣のつけ方」として行われた歴史もある。 そして、ナチス・ドイツはオリンピックによって国の威厳を示そうとした。 日本も、韓国も、中国も、国の発展を示そうとしてオリンピックを誘致・開催したという点では似たようなものだ。 オリンピックは平和の祭典 第二次世界大戦の終了後、20世紀後半になって東西冷戦の中でも、各国が参加して開催されるようになって、あらためてオリンピックが「平和の祭典」と呼ばれるようになった。 近代オリンピックが創設された趣旨が「スポーツを通じて交流することによって世界平和に貢献する」であるので、本来は平和の訴求こそがオリンピック本来の目的であったと言える。 ところが、1936年のベルリン開催以来、政治的利用が顕著となってしまう。 クーベルタン男爵の本意ではないだろうが、国の代表として選手が戦う姿は、国民をひとつにまとめる道具としてはうってつけだったと言うことになる。 薄れ、変貌するオリンピックの目的 1979年12月、当時のソ連によるアフガン侵攻をきっかけに、西側諸国が翌年のモスクワ五輪をボイコットした。 これが「国威発揚」に続く、もう一つの「政治利用」の始まりだったと言える。 現在までに出場をボイコットすることは何度か行われていたが、外交的ボイコットが行われた北京冬季五輪に続き、パラリンピックでは選手を排除すると言う結論が出された。 オリンピック開催期間中の休戦 1993年、オリンピック開催期間中には休戦するという決議が国連総会によって行われ、現在ではオリンピックの開会からパラリンピックの閉会までを休戦期間として定めている。 ロシアは、2008年北京夏季、2014年ソチ冬季大会に前後して、ジョージア、ウクライナに派兵し、この国連総会で決議された休戦協定をほぼ無視するような形で軍事侵攻を行ってきた。 むしろ、休戦協定があるからこの時期の交戦はないだろうと考える他国を欺くために、わざわざこの時期を狙って軍事侵攻を計画しているとさえ考えられる。 ロシアは軍事目的のためにオリンピックを利用したのか 仮の話だが、オリンピックを利用して軍事侵攻を有利に進めようとしてきたのなら、オリンピックの精神を最初から無視していることになり、オリンピック・パラリンピックからロシアが排除されるのも当然の結果ではないかと考えられる。 もちろん、選手個人の責任ではないので救済されても良いとは思うが、ロシアに侵攻された側では多くの死者が出ていて、その中に含まれるであろう選手たちは救済すらされない。 このような現実を見せられては、攻撃を受けた側が救済されずに侵攻した側が救済されるようなことがあっては理不尽だ。 ゆえに、ロシア選手は自国民の責任において軍事行動をやめさせるか、もしくは国籍を捨てるかの選択しかないのではないかと思う。 将来がどうであれ、ロシア・プーチンと決別するならば救済の道が開かれる可能性もあって良いかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2022.03.06 17:24:23
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