そこに「視線」を導入することで、人は「社会」を生きるようになる、ことについて。
ヤンバルクイナ(クイナ科)、キョロちゃん♪、「くいなふれあい公園」にて。シマキンパラ(カエデチョウ科)。クロツラヘラサギ(トキ科)。ムナグロ(チドリ科)。あまりに声が多過ぎて、どれに耳を傾ければいいのか?悩んでいるうちに、済んでしまう、から困る。高江橋にて。最初の方の、つぴつぴつぴ、字にしてしまうとシジュウカラみたいだが、違う。終わりの方、ぴうちぴうちぴうち、っての、これも明らかに初耳!声が多過ぎて、どれを聞いていいのやら、決められなくて、動揺する。ここには入ってないが、あちこちで、これはお馴染みの(笑)、シロハラ(ツグミ科)も鳴いている。もう渡ってきたらしい。うちの近くではまだ見ないのだけど。***この動画の一番最後に、きゅっきゅっきゅるきゅるきゅっ、みたいな鋭い声が割り込んでる、それが多分ヤンバルクイナの警戒声です!先島(宮古・八重山・与那国)への陸上自衛隊新基地建設反対、翁長県知事への要請文。宮古・八重山のみなさんからの、応援歌として!「安里屋ゆんた」11月30日(水)、午前、#高江 N1ゲート前。宮古・八重山から、自衛隊基地建設反対運動に携わる方々も大挙、訪れた。安里屋ぬ、クマヤによーあん清らさ(ちゅらさ)、生りば(まりば)しよう訳:安里屋のクマヤという娘よ、あんなに美しく生まれて「安里屋ユンタ」の元歌は、このように歌われる。竹富島の安里屋なる屋号の家に生まれたクマヤなる娘の物語。「ユンタ」は八重山民謡のジャンルの一つ、「よみ歌」、「結い歌」が転じたものとの説あり、とのこと。以上、参考文献、「うちなーぐち練習帖」高良勉(NHK生活人新書)この歌が、「抵抗の歌」の含意を持っている経緯は、歌の前の説明にある通り。映画「標的の村」、普天間基地ゲート前、入り口をブロックする車の、窓を閉めきった車内から、誰かが、歌い始めたシーンがあったね。11月30日(水)、正午過ぎ、「ごぼう抜き」もなくダンプの姿さえ見ていない(笑)。撤収。路傍のキク科植物の花とハナアブ科の者か?季節のうつろいは、無いようで、ある。「無い」ことには、なかなか気付かないものだ。あんなに、どこにでも「在り」、やんばるの「通奏低音」、いや、低音って訳でもないが(笑)をなしていた、オオシマゼミの声が、「消えて」いるではないか?前回来たとき、と言っても何時のことか?、毎回代わり映えしない(笑)「ごぼう抜き」の「日常」、忘れてしまったが、つぼみを見つけた。花は咲いてくれないとわからないものだ。このあたりのキク科植物は似たものが多くて識別困難であるが、ジシバリではないかと思う。訪問者の方は、いわゆる「ネットで調べて」(笑)分かった!ホソヒラタアブ(ハナアブ科)であろう。だから、私は、この森の、夏以外の季節を知らない。こんな酷い人権侵害が日常化している場所なのに、沖縄の闘いは両当事者とも何故か優しい、遠い所から #高江 に来て下さった #肉球新党 の友はそう書いてくれた。だとしたらそれは私たちの誇りだからね!「いつでも愛とユーモアを」で今日も頑張ろう!午前4時23分、出発!***11月30日(水)午前7時4分、N1ゲート着。今日はメインゲートに搬入を終えた筈の20tトレーラー車列とすれ違わなかった。良い徴or悪い徴?高江橋から望むブロッコリフォレストは息を呑むほど美しい。こんなことがなければ(笑)目にすることもなかったけど(笑)。***昨日はあんなひどい仕打ちを受けたからね、みんな気合い入ってるよ!司会のオオシロさんも、いつも一曲しか歌わないのに(笑)今日は、今こそ立ち上がろう、と、座り込めここへ、両方歌った(笑)。島袋文子さんも到着!お、うるま市かな?大型バス、ただ今、到着。***11月30日(水)、午前9時半、10tダンプ12台は、メインゲートに入り、その内8台は南下して帰った。つまり、N1ゲートには入らなかった、入れなかったのだよ!***11月30日(水)午後0時半、メインゲート出たダンプは南下後、採石場にも戻らず。搬入諦めたにも見える。人が減れば再開の恐れあるも、後ろ髪の(笑)退散。#肉球新党 の友もバスで帰路。ヤンバルクイナアイスなるものが売店にあると聞いたが残念、シークァサー・アイスバーで我慢(笑)。これは、うちの近所でも売っている。もちろん沖縄限定だ(笑)。「明●治」ブランドだが、復帰後本土系資本に系列化されてそういう名になったので、もともとは、地元の「鄙びた」(笑)お菓子メーカーだったと思われる。シークァサー自身が(笑)シークァサーの味に舌鼓を打っている(笑)絵柄である。「でーじ」は沖縄方言で、多分「大事」のことだと思う、とても、veryで、若い人も、頻用する。***本日は、ごぼう抜きもなく、ダンプの姿すら見てない(笑)、倒錯的だが(笑)、むしろ拍子抜け。現場を抜け出して9月にアキノ先生に案内していただいた森を歩く。***何より季節の移ろい、この「常夏」の島にも、そんなものがあるのだ(笑)、ずいぶん歩いてから気づいた。つまり、何か「あったもの」、が、「ない」のだな(笑)。そう、オオシマゼミ(セミ科)の声だ。#高江 に始めてきたのが、7月19日、だから、私は、この森の夏以外の季節を知らない。途中、猛烈なヒヨドリ(ヒヨドリ科)の合唱を録った部分があるだろ?あれは、いや申し訳ないが、珍しくもない、これほどの密度なのは確かに珍しいが、この鳥の声を取りたかったからではなく、反対に(笑)、かつてはこの声さえもマスキングしていたであろう「声」の「不在」を、記録したかったのである。ははっ、「ポストモダン」は話が長いね(笑)、でも、とは言いながら、最後の方に、か細く生き延びているオオシマゼミの声も録れた。***#高江 共同売店で、ヤンバルクイナアイスなるもの(笑)を試食するのと、オキナワキノボリトカゲ君に会うのが、実は今日の目的だった(笑)。後者は達成されたが、不満が残るので(笑)サンライズ東にて、タルガヨーと、とても小さな、パイナップル購入。占有離脱物横領、または、嘘をつかなければ生きていけない生き物、について。またまた、「無関係母子(笑)、授乳風景」シリーズ。この、以前もお話した(笑)、首里城公園駐車場裏手のゴミ捨て場から、「占有離脱物横領」してきたところの籐椅子は、わが家の、入口の、ドアを開けたすぐのところに配置されており、だから、帰宅した私に対して、ねぎらいの言葉をかけるどころか(笑)、おい、もっと静かに入って来い、びっくりするじゃないか?、とばかりに、不平をのべているらしい母。この母の左目も白濁しているが、おそらく、先日手術を受けたカルテ名「コネコ」程ではないにせよ、やはり、角膜の表面に傷がついているのだと思われる。こうしてみると、かなりポピュラーな疾患であるらしい。当然、視力はかなり減殺されているはずだが、瞥見するところ、とくに日常生活に支障をきたしているようにも見えず、想像するに、他の感覚、例えば聴覚などが、充分にその「障害」をカバーしているようで、なるほど、さすがは猫である、なるほど、さすがは「自然」である、と改めて驚嘆を禁じ得ない。しかし、子猫も大きくなった。この母の実子も一匹生き残っているが、出産時期はやや遅れるものの、こちらもぷくぷく太り、ほぼ同じくらいの大きさになっていて、もう、とっくに「乳離れ」の筈なのだが、ドライフードなどもバカバカ食べているくせに(笑)、まだこうして時々は、「甘えて」(笑)母乳を欲しがるようである。もう一度、確認しておくが(笑)、母子であるか・ら・授乳する、のではない、乳を飲むものを「子」、乳を与えるものを「母」、と「定義」しているのである。語がそれによって定義されている事情を持って、「因」を想定するのは、イデオロギーである(笑)。つまり、こう定式化すれば分かりよかろう?Aするものを、Bと定義する→Bであるから、Aするね、一目でわかる「循環」、トートロジーである。トートロジーは、いつでも正しい命題、恒真命題、だから、言っても全然かまわない(笑)、が、言う必要が、全然、ない。情報価値、ゼロ、である。情報とは、今まで知らなかったことで、新たに知見がつけくわえられるもの、定義上、そうなる筈だからである。となると、不思議なことが生じそうだ(笑)。「情報」であるためには、言ってみる必要があるためには、「常に真であるとは、必ずしも、いえない」ことが要求されることになってしまうのである(笑)。なるほど、私たちは、「嘘をつく」生き物、嘘をつかざるを得ない生き物、なのであった(笑)。くれぐれも、そういうことを「知って」いるからと言って、少しも「嬉しくない」のではあるが。はるばる、うるままで、アキノ先生のお話聞きに行こうと思ってね!途中、泡瀬干潟。ここはご承知の通り、広大な米軍通信施設に隣接している。フェンスの「向こう」側は米軍通信施設、目も眩むような高さの鉄塔一本以外、「自然」は「守られ」ていて、野鳥の楽園なのだ(笑)。これは、「こちら」側、アオアシシギ(シギ科)。そろそろ潮が満ちてきていて、水鳥たちは、すでに退散したのだろう、ただ一羽、広い干潟を、「縦横無尽に」走りまわっておられる。最初の方、背後に聞こえるのは、シロガシラ(ヒヨドリ科)の声、フェンスの向こうの「野鳥の楽園」(笑)の木立からだ。それから、重機の音、対岸の埋め立て工事現場、更に、聞こえるかな(笑)?一時間ばかり、ここで過ごす間、三回は通過したから、平均20分間隔ということになろう、方向から見て、素人の想像としては(笑)、宜野湾市普天間飛行場から、金武町ブルービーチ演習場へ向かうと思われる、MV-22。くれぐれも、そういうことを「知って」いるからと言って、少しも「嬉しくない」のではあるが(笑)。「 #高江 森が泣いている」観てきた。8月5日の朝、N1裏テント前、住民の会ギボさん、「私達に力を貸してください」、傍のヒロジさん、背中叩いてる。あの時、私達もそこにいたんだよね!あの日初めて会ったんだよね!後、うるま市内某所(笑)、 #肉球新党 沖縄支部(笑)秘密会議。そこらのファーストフードあたりでお茶でも?と誘ったら、じゃあエンダー(A&W)?って答、店に着いたら、ここ来たらこれだよね!と、二人とも躊躇なく(笑)ルートビア注文するの!さすが、生粋(笑)うちなーんちゅ、と驚いた次第。カメラを回すことで、そこに「視線」を導入することで、人は「社会」を生きるようになる、または、「DoItYourselfムービー・パートII」。エリザベス・カラー装着生活が、そろそろ二週間になるからね、見事な適応力と言うべきだ、以前は前肢で引っ掻いて引っ掻いて、外そうとしたものだ、むしろその気持ちはよくわかる、意外だったのは、ほんの二三日で、「諦める」、と言うよりは、やはり、「適応する」と言うべきだろう、少しももはや「嫌がる」ことなく、まるで生まれた当初から、そんなものが首の回りに「生えていた」、え?、これ、普通でしょ?、みたいな顔で(笑)、平然と日常を営み始めたことの方だな。ご飯の時ももちろんそのままだ、うちのお食事会は、なにせ、空腹を抱えた、ほとんどが育ち盛りの、えっと、クー♪が亡くなったから、21人(笑)、が一堂に会し(笑)、壮絶な「争奪戦」を繰り広げるのであるが、いや、別に餌が不足しているわけではないよ、ただ彼らの視界からは全状況を俯瞰できるわけがなく、そのうえ、どうやら「隣の花は赤い」的な心理も作用するのか?、眼前の皿を、各所で「奪い合う」事態が生ずるので、そういう場面ではどうしても確かに、こんな変な襟着けてると、すぐ脇にちゃんとお皿があるのに、死角になって見えず、呆然と立ち尽くし、出遅れると言う不利益は被るものの、ヨーグルトだろうが、ぶりのあら煮込みだろうが、果敢に頭を突っ込んで、一旦突っ込んでしまえば、今度はそれが隣の奴の邪魔になるので、むしろ独り占めできてラッキー!(笑)みたいなところもあるようで、ともかく、このカラー、動物病院の多分看護師さんのお手製なので、継ぎ目のところに用いられている布製の絆創膏、言い方が古いかな(笑)?、サージカル・テープがだな、各種食べ物のカスだとか、よだれだとか、垢だとかで汚れてくる。季節の変わり目は、体調悪しく、いやなに飼い主の話だ、気持ちもどんより、生きる気力を喪失しているのが常なのだか(笑)、そういう時は、ごく些細な、ちまちました、大勢に影響のない(笑)、間違っても、「人生」だとか「天下国家」など(笑)「論ずる」ことにつながることが決してない、どうでも良い、しかしひとときは没頭でき、束の間ではあっても神経の集中を要求される「手仕事」をするのがよいことは、経験上、知っていた。そうだ!エリザベス・カラーの付け替えをしよう!ちょうど一年前、全とら♪が同じ手術を受けたとき、このカラーは病院で使うレントゲンの現像済み古フィルムが材料なのだか、それをいただいてきて、見よう見まねで作った、しかも、その有り様を、動画に撮影した。前も言ったが、カメラが回ると人は「よそゆき」になる。それが、まさに「社会的」な「関係障害」を病む私のようなものには(笑)、「治療行為」となるのである。さて、上手く行きましたでしょうか?題して、「DoItYourselfムービー・パートII、一年の後に」。「個体」として捉えるというのは、だから、あなたと私を入れ換えて想像するってことだ。「種」を「個体」のアナロジーで語るのは危うい「拡大解釈」になる。南部のとある干潟に行った。場所は、一応伏せておく、とんでもない「希少種」のお話だからね。クロツラヘラサギ(トキ科)、今年もやってきたようである。去年、この同じ場所で、ちょいと、椿事があった(笑)。一羽のクロツラヘラサギが、川上に向かって、ぶんぶんそのへら状の嘴振り回しながら、進んで行く。どう見ても元気そのものなのだが、背中を見てギョッとした。真っ赤に染まっているではないか?慌てて、こことは別にもう一か所この鳥の飛来場所として知られる干潟の脇にある、環境省所管の研究施設、「今、○○干潟でクロツラヘラサギ見てるんですけど、一羽、背中に大怪我しているらしい者がいるんです」って、うつ病患者にしては珍しく速い決断で、電話した。者の一時間のうちにさっそく何人か職員やボランティアの方が駆けつけてくださて、なるほど、背中が真っ赤だ、しかし、元気そうに飛んでいるね、野鳥の会に問い合わせて善後策を練りましょう」などとお話をした。夕方、もう一度電話をかけてみると、結論としては、怪我のように見えたのは、背中に追跡用に設えられた発信機であるようで、一件落着。慌て者が、人騒がせでもあったが、ともかく、一安心。ここの写真にも出ているが、何羽かには足にいくつもの識別タグをつけている。何か国もの研究者が、この鳥の移動経路について、調査しているのである。そんな心配をよそに(笑)、彼らは仲睦まじく(笑)、相互羽繕いに精を出したり、そろそろ干潮、仕事の時間だから、さっきまでその重そうな嘴を背中にのせて、片足立ちで眠っておられたが、にわかにごそごそ動き始めたようである。干潟の泥は、マ●クシェイクのように柔らかい、一度、長靴はいて安心だろうと高をくくって、進退窮まった経験があるから知っている。そのシェイクに、箆をつき立てて、ぐるぐるかきまわすようにして、餌をさがすようなのだ。他にもいろいろ、ムナグロ(チドリ科)らしきもの、シギ科何種か、サギ科も、・・・、そうそう、ミサゴ(タカ科)が低空飛行しているのに遭遇。まことに「わしづかみ」、しっかりとらえたばかりの魚をつかんでいる。不幸にも囚われてしまった魚の気持ちを想像するに、胸ふさがる思いだが、「検閲」は、書けないようにしよう。南方熊楠「十二支考」(岩波文庫)に記述があったが、深い山中ででときとして、海の魚が、鮨状に乳酸発酵したものが発見されるのだそうである。名付けて「みさご鮨」、こんな風にわしづかみにした魚を、ミサゴがどっかに「隠そう」として忘れたのか?いや、途中で取り落とした、という方がありそうだろう、確かに、ミサゴの塒は、水場の近くではあるものの、深い山の中にあるようである。ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、イソヒヨドリ(ツグミ科)、スズメ(ハタオリドリ科)、など、水鳥でないものも登場。ここは、干潟の脇に深い茂みがあるから、こんな豪華なバードウォッチングが出来るのだ。他にもメジロ(メジロ科)、シジュウカラの声も聞こえたけれど。あんまり関係ないかも知れないけど、一か所クロツラヘラサギのことも出てるし、別のとこに書いたものを再掲する(笑)。***緊急シンポジウム「伊江島・#高江 ・#辺野古 のトライアングル/ヤンバル全体を危険地帯にしないために!」主催:基地の県内移設に反対する県民会議・於沖縄県青年会館、11月26日(土)午後六時から、行ってきましたよ。「希望」の持てるような報告は一つもなかったのに、ぎっしり埋まった会場はなんだか不思議な熱気に包まれている。「絶望」にも「熱気」があるとでも言うように?四人のパネラーのお話しはどれも貴重なものだけど、大半忘れちゃったし(笑)、まだ忘れてなくて、印象的だったものだけ書き留めて、備忘とする。ヤフソ先生のお話しだ。なんでやんばるは、こんなにも生物多様性が高いのか?固有種が多いのか?その前提として、亜熱帯多雨林と言うものが、世界にここしかない。まず、縦、経線上の繋がりで見ると、ユーラシア大陸東岸は、北半球高緯度地帯から始まって、寒帯冷帯温帯亜熱帯、さらに赤道越えて、切れ目なく緑地が連なっている。ところで地球は北極側の地軸の延長上から見て「反時計回り」に回っているから、回転に遅れながらついていく大気の移動は、「相対論」持ち出すまでもなく(笑)反対に「時計回り」、地上の観測者から見ると、東から西で、あの、ヤフソ先生はこんなまだるっこしい説明されてませんよ(笑)、話が長いことで不評だった(笑)元物理講師の余計な注釈です、ここユーラシア大陸東岸域には、太平洋上にあってたっぷり水分を含んだ空気塊が、この流れに乗って吹き付ける。陸地にぶつかって急上昇すると、えっと(笑)上空の方が気圧が低いので断熱膨張が生じて温度が下がり飽和水蒸気圧が小さくなってしまって凝縮が生じ、スミマセン、予備校倒産してから二年半、どうやら「授業」したいらしい(笑)、ここに大量の雨を降らせる。こうしてこの帯状の多雨地帯には、それぞれの緯度にみあった異なる植生の、しかしいずれも豊かな森林が出来上がった。これだけの説明なら、大陸東岸ではどこでも同じことが生ずる筈だが、この地域に特徴的なもう一つの空気の流れがあって、大陸東岸に大量の雨を降らせた風は、からからに乾燥して内陸部に向かう、ゴビやタクラマカン、広い乾燥帯が展開するのはそういう訳だ。そこで圧縮された空気塊は、なんで圧縮が生じるかは、「バッタもん」物理講師には説明できない(笑)が、高気圧となる。高気圧では、外に向かって風が吹き出す。急峻なヒマラヤを越えインド亜大陸に流れ込む。「貿易風」の生成起序はなかなか複雑だった筈たが、先に述べた東から西への流れの反流なのだろう、それに乗ってまたしても海上で水分を含んだ空気塊が、北上しつつ、今度は反対側から、このユーラシア大陸東岸域に吹き付ける、という訳だ。次に、よくあることだか(笑)自分で長い話しておきながら、自分で早々と飽きてしまってる(笑)、急速に尻すぼみになりそうだが、なんとか終わらせよう(笑)、横、東西、緯線上の繋がりとしては、手元に地球儀などと言うものがないので確認できないが、なるほどそういえば、北半球南半球ともに、緯度20°~30°の帯を大雑把に「亜熱帯」と呼ぶならば、そこが大陸でも大洋上でもなく、「大陸島」と呼んだかな?大陸にほどよく近く、つまりかつて比較的近い時代に陸続きであったために、多くの生物種が流入した後に孤立して独自の進化をした、島、であるのは、確かに、ここ、琉球列島、しかないのである。あのね、原理的に(笑)、「世界」のいかなる場所も、「そこにしかない」のであるから、自慢しているわけではない(笑)。「稀少である」事を「高価である」とたちまち読み替えてしまうのは資本主義の狡知である(笑)。希少な生態系である、だから守れ、と無邪気に唱えるとしたら、そこには落とし穴があることになるね。どこにでもあるから、代替できるから守らなくてもいい、なる反証を許してしまうからね。思うに、これは種と個体の混同なのだ。与根干潟でクロツラヘラサギ(トキ科)の姿をカメラで追いながら考えたものだ。「君たち!君たちはもう、世界に数百羽しか生存していないのです。だ・か・ら・お身体に気を付けて頑張って下さい!」、人類滅亡前夜にあなたが生き延びたとして、そんなこと言われたら、「はぁっ?」って感じだろ?「個体」として捉えるというのは、だから、あなたと私を入れ換えて想像するってことだ。「種」を「個体」のアナロジーで語るのは危うい「拡大解釈」になる。「あのね、原理的に」以下は、もちろん先生のお話の内容ではない(笑)、注釈者の越権である。こうして書いてみると長いわりに中身がないが(笑)それは私がちゃんと聞いてなかったからで、講演者の責任ではない。マキシ先生のお話しはスマホの音声レコーダーに録音したから、そのうち書き起こしてみようかと思うが、いつになるかわからない(笑)。今日は、パーソナルな思出話でお茶を濁す。十七年前、私は、沖縄に来たばかりで、しかも困ったことに一丁前の「活動家」気取りだったから、若造の癖に(笑)先生に喧嘩を売ったりした。それでも、係累も友達もいない(笑)私を憐れんで、家賃の連帯保証人を引き受けてくださっている。無年金の失業者は(笑)いずれ猫達共々路頭に迷うことになるが、決してご迷惑はかけぬようにしなければ! #高江 GHゲート前、9月1日、今まさに「ごぼう抜き」が始まらんとするとき、VFPのメンバーと共に先生も現場に到着した。警官に運ばれながら(笑)、ちらっと目が合った。十五年ぶりの再会なのである。長きにわたる不義理が、水に流せるわけではないものの、私としては、「過去」との和解を果たすには、これほどふさわしい場所はなかった、と胸を撫で下ろしている次第である(笑)。・・・もう少し続く南無妙法蓮華経ののぼりと、読経の声。12月5日(月)、午前7時34分、#高江 N1ゲート前。警官に身体を持ち上げられ運び去られる時、思わず「怒り」の発作に見舞われる。自己の身体のsovereignty(主権)侵害に対する当然の身体反応。混同してはいけない、午前三時に目覚ましを掛けて(笑)いそいそと(笑)彼の地へ私を向かわせるのは、それとは異なる何物かだ。「いつも愛とユーモアを!」の言葉は、それを思い出させてくれる。さあ、みなさん!今日も一日、あ、半日か(笑)、頑張りましょう!出発です。夜中の激しい雨はあがって曇りがち。月は見えない。昼間は暑く(笑)なるかも?12月5日(月)、午前4時18分。12月5日(月)、午前7時8分、大宜味村某所(笑)にてお友達と合流後、新川ダム着。赤橋で仲間が頑張ってたぞ!12月5日(月)、午前9時32分、10tダンプ12台、N1には来ずにメインゲートに入り積み荷下ろした後、その内4台は南下、・・・、と言うことは、一応の(笑)、成果、ではあります!俄か雨、また、晴れた。12月5日(月)午前11時23分、10tダンプ12台、採石場を出発、二回目の搬入のために接近中。昼食休憩三十分切り上げて、待ち受ける!人数は減ってないから、午前中と同じように守れるかな?頑張ろう!晴れたり曇ったり。12月5日(月)午後0時19分、メインゲートに入った12台の内、10台はN1ゲートに来ることなく、南下した。頭上を繰り返し、AH-1Wだろうか?二機編隊が往復する。もうしばらく、このまま待機。という訳で(笑)、この日は、少なくともN1ゲートには資材搬入がなく、したがって「ゴボウ抜き」もなく(笑)、「平和」(笑)、であったので、またまた、たくさんの歌や踊りが披露されることとなった。私はもちろん、まったく聴き取れないが(笑)、後から調べたものを書いておこう。まず、沖縄民謡「ちんぬくじゅうしい」から。アンマーたむのおーきぶとんど(お母さんが焚く煙がけぶっていますよ)きぶしぬきぶさぬ涙(なだ)ソーソー(けむくてけむくて涙ぽろぽろ)ヨイシーヨイシー泣くなよ(よしよしよい子だ泣くなよ)今日(ちゅー)ぬ夕飯(ゆーばん)ぬーやがてー(今日の夕飯は何ですか)チンチンチンヌクジューシーメー(サトイモ入りの雑炊だよ)参考文献:「ウチナーグチ練習帖」高良勉(NHK生活人新書)じゅうしい、さすがに17年住めば、私はこの言葉は知っているが、念のために。「雑炊」は「じゅううしい」と発音される。粥のようにすすりこんで食べる水気の多いのと、炊き込みご飯になっているのと二種あって、どっちも「じゅうしい」という。はじめに、炊き込みご飯風の「じゅうしい」についていうと、といだ米に混ぜあわせるのは、小さくサイコロ形に切った豚肉、かまぼこ、人参と糸切りにした昆布などである。煮ておいた豆(えんどう、隠元など)を取り合わせると、なおけっこうで、以上を釜に入れると、水のかわりにダシ汁を注ぎこむ。さらに適量の醤油で味をととのえ、豚あぶらをタップリと落とすことがかんじんだ。この沖縄風炊き込みご飯をおいしくするのも、つまらなくするのも、上手に豚あぶらを使うかどうかにかかっている。・・・一方、水気を多くして粥のように炊く「じゅうしい」には、青い野菜を入れる。その場合に適しているのはふだん草(沖縄では、みそ菜という)だ。茎が太く葉も広い野菜である。・・・冬至の晩に食べるのは、炊き込みご飯風の雑炊であるが、きまりとして、田芋という水田でとれる濃い味の芋を切り込む。「料理沖縄物語」古波蔵保好(朝日文庫)歌の中に出てくる「ちんぬく」は、サトイモのようである。ところで、金武町億首川河口や宜野湾市大山などに産する「田芋(たーんむ)」は、水耕栽培のサトイモ、サトイモ科サトイモであるから、植物としての種は同じである。だから、歌に描かれたのが情景が冬至、とはもちろん断定できないが(笑)、この「ちんぬく」が、田芋であるのか否か?、興味深いところである。また、記述にある「ふだん草」も「みそ菜」も不明(笑)。当地のスーパーや直売所でも、青菜の種類と命名には、とまどわされる。多くはキク科、またはアブラナ科のものと思う。もう一曲、「国頭ジントーヨー」、私は、十七年前、当地に住みついたとき、「模範的」な観光客であったから、三線(三味線)を嗜み、その楽譜である「工々四(くんくんシー)」も読めた。その頃、聞き覚えのある歌だ。練習用CDに収録されていたはずだから、先程、押し入れの中に埃をかぶっている筈の三味線のケースを十数年ぶりに開けてみた。予想に反して綺麗なもので、予備の弦までちゃんと用意してある(笑)。ただ、CDはなくて、だから、歌詞はわからないが、歌ってくださった方の説明によれば、やんばるは、海と森、それ以外なんにもないところだよーと歌われるという。もちろん、その、それ以外に何もない筈の、海と森がともに、今失われつつあることに、誰もが、胸潰れる思いであることは、言うまでもない。この日も参加者は、ほとんどが高齢者(笑)、私辺りが偏差値40くらいの若輩者(笑)になりそうな塩梅であったが、みんなもう老い先短いんだから、ね、いっそ、ここで死にましょう!なんて冗談も何度か飛び出し、他でなら、ちょっと悪趣味で嫌味に決まっているし、決して笑えない冗談の筈だが、きっと、私も含めて、素直に、笑えた。もちろん、それは、ちっとも、「冗談」じゃ、ないからだね(笑)。私だって、猫たちの心配さえなければそう思う。この「絶望」は、そのくらいのものなんだよ。「政治運動」の勝敗なら、「負け」を「勝ち」と言いくるめて、「愛の対象」の「喪失」を「躁的防衛」によって、昇華することもできよう。でも、ここで「失われ」つつあるものは、もう少し「実体的」なもの、私たちの身体に連続しているような、近しい何ものかなんだ。***南無妙法蓮華経ののぼりと、読経の声。12月5日(月)、午前7時34分、#高江 N1ゲート前。日本山妙法寺の方たちと思う。いちゃりばちょーでー、一度会ったら兄弟姉妹!バッタもんうちなーんちゅにはそれしか分からないけど(笑)。「兄弟小(ちょうでーぐわー)節」逢(い)ちゃたるや兄弟小(ちょうでーぐわー)逢(い)ちゃたるや友小(どぅしぐわー)寄(ゆ)らてぃ物語(むぬがたい)でぃしち遊(あし)ば逢(い)ちゃりば兄弟(ちょうでー)ぬぅ隔(ふぃだ)てぃぬあが語(かた)れ遊(あし)ば訳:出会うことが出来たね、兄弟、出会うことが出来たね、友達!寄り合って、語り合って、さぁ、そうして遊ぼう!出会えば兄弟、何の隔てがあろうものか?語り合い、遊ぼう!参考文献:「ウチナーグチ練習帖」高良勉(NHK生活人新書)これは一番の歌詞、本当はもっと長そうだが省略。ここ、10月19日の、#高江 北部訓練場(JWTCジャングル戦闘訓練センター)メインゲート前で、○○さんは、「寄(ゆ)らてぃ物語(むぬがたい)」、寄り合って、語り合って、のところを、「座り込み」に替え歌しているのは、言うまでもない。○○さんは、私の顔を見ると、いつも声を掛けてくれる数少ない人の一人だ(笑)。若く見えるけど、戦争体験者で、収容所体験を聞かせてもらったこともある。8月22日、高江橋で「ゴボウ抜き」に遭った時、バス二台の隙間に閉じ込められていた一時間余りの間、私が、トラメガのスピーカーを肩に抱えて、ずっと「仁王立ち」していたのを(笑)、いたく褒めてくださって、それ以来声を掛けてくださる。私はと言えば、その日は初めての、いや、四十年ぶりではあるが(笑)、「ゴボウ抜き」だったので興奮のあまり、「我を忘れていた」に過ぎないのだけれど(笑)。その後、「牛歩」もご一緒した(笑)。10トンダンプが、追い越し禁止の黄色のセンターラインを越えて、追い抜こうとする、反対車線は封鎖しているから対向車なし、と機動隊に入れ知恵されたのだろう、私もはみ出して邪魔をする。追突されればひとたまりもない筈で、運転席の私も恐ろしかったが、後部座席の○○さんも生きた心地無かったろうな(笑)。そんなことでもなければ、それこそ「逢ちゃたる」、お会いする、こともなかったわけだけれど、だからと言って、ヘリパッド建設があって「よかった」ことにはならない、「世界」はそういう風に出来ていることを、知るのである。「小(ぐわー)」は、縮小辞、小さいものに対して「可愛い」という感覚を込めて言及するときに用いるもの、のようである。何かいい例が思いつかないかな?って悩んだのだけど(笑)、浮んだのが、bombに対してbombletの「-let」、ナパーム弾のように小破片を飛び散らせて対人殺傷力を増す仕掛け、その小破片をそう呼ぶのだが、我ながら、余りに無慈悲な喩えであった。まず最初に、「嫉妬」似うた感情が湧き起こってしまったことを正直に、つまり、「検閲」をかけずに、ご報告したい、と思います。12月5日(月)正午頃、#高江 N1ゲート前、AH-1Wと思われる。これは100%の勝利なんかじゃないけど、八か月にわたってここで頑張ってきた仲間達には、充分祝福する権利があると思うよ。陸軍、DAPL利用権を否定。#NoDAPL / #肉球新党 @ #高江正直に告白しますね。#高江 の帰路、この記事を読んだとき真っ先に生じた感情は、「嫉妬」でした(笑)。先住アメリカ人の小さな勝利を諸手を挙げて祝福出来ないとしたらとても恥ずかしい。でも、アメリカ合衆国の「二重の基準」への不信は今や拭い去ることができないほどでもあるのです。***ハワイでは、森に棲むコウモリの希少種のために、オスプレー訓練が中止されたというのに、ここ沖縄 #高江 では住民の頭上を低空で旋回する。沖縄人は、コウモリ以下なのか? #高江 N1ゲート前で、皆さんが不満を述べるたびに、「反人間中心主義者」の私は(笑)居心地の悪い思いをしていた。いや、沖縄人を持ち上げるために、コウモリを貶めることはないだろう?コウモリ同様、沖縄人も守ってもらいたい(笑)。今日、スタンディング・ロック・スー族にとっての、ささやかな勝利の記事を読んだとき、「嫉妬」という恥ずべき感覚を持ってしまったことを許していただきたい。規模において大きく異なったとは言え、水資源と聖なる土地の防衛、という、正確に、同じ目標を掲げて闘って来た「私たち」の、一方に対しては、抗議活動に脅威を感じ、正しく譲歩を示したのに対し、他方に対しては、「同盟国」のやる気のない警備担当者の日々の「ゴボウ抜き」を(笑)見過ごして、まさに、「一顧だにしない」というのなら、その、敬意に値する「民主主義」原理すら、同じく「他者」に対する眼差しの中に含まれる、重大な「価値序列」によって、減殺されている、とみなしてはいけないか?「私たち」は、もう、沖縄人とコウモリとどっちが大事だ?沖縄人とスタンディング・ロック・スーとどっちが大事だ?という議論を、絶対にしたくない!「私たち」は、「二重の基準」を、強く、憎みたい。***陸軍、ダコタ・パイプラインの許可を認めず。先住民部族の勝利。遠くにごみ回収車の音楽、あれはモーツァルト?、し・か・聞こえない、長閑で、幸福な(笑)午前。おとうちゃんも一緒に昼寝するわ!現に存在しているものには、「理由」があった。自分がそうでないからと言って、「邪魔」などと言っては、いけない。それが、「相対主義」ってもんだ(笑)!昨日も干潟に行ったのです。上弦小潮だから、干潮は日没頃。昼寝から覚めたのか(笑)、クロツラヘラサギ(トキ科)も活動開始?マングローブ林間を歩く。この泥はマックシェイクの如く(笑)柔らかく、人は長靴でも歩けません。初心者笑いの頃に、実際に踏み込んでみて、文字通り「進退窮まった」ことがあるから(笑)、ちゃんと、知っています。こんなにすたすた(笑)歩けるのだから、やはり、鳥というものは、よほど軽く作られていることを知るのです。ほら、足首に、たくさんの調査用識別タグがついているでしょう?そのとんでもなく長い嘴で器用に羽繕い。先端を水に浸して翼になでつける。痒いところを掻く。傷んだ羽を抜く、等々。いろいろできます。あんな、ヘラみたいなでかいくちばし、顔の真ん中、鼻先にしゃもじぶら下げてるみたいなもんだから、さぞかし邪魔だろう?などと「人間中心主義」的なことを言ってはいけません(笑)。環境にそれなりの適応を果たしてきたからこそ、今日まで生き延びてきたのです。今日、彼らが、「絶滅危惧種」であるからと言って、その事情は変わらない。絶滅に近づいた主要な要因は、人間というただ一種による環境の大規模な変容であり、顔の前にしゃもじをつけていた(笑)彼らの責めではありませんから。被毛のない赤裸で、重力の負担にも関わらず、何の因果か(笑)直立二足歩行している、それだって「他者」の目から見たら、「さぞかし邪魔」、さぞかし愚かなんだ、って想像してみるのが、「相対主義」ってものですからね!同じく干潟の、こちらは留鳥たち。ミサゴ(タカ科)、今日は水浴?その後、飛び立ちました。空港に通じる高速道路の橋脚が見えましたでしょ?この干潟は、場所は明かしませんが(笑)、そんな町中にあるのです。しばしば背景に爆音がかぶさるのは、そういう理由です。そして、シロチドリ(チドリ科)、身震いをすると、こんなに膨れます(笑)。クロサギ(サギ科)もちろん(笑)黒色型。他に、冬鳥たちとしては、イソシギ(シギ科)、ムナグロ(チドリ科)とおぼしきもの、それから、これもはっきりしないが、キアシシギ(シギ科)、あとは、そう、チュウシャクシギ(シギ科)、今しも、カニか何か、食べ物を泥の中から、掬い上げましたね。12月8日(木)午後7時2分、国際通りデモ出発!#高江 のことが焦点化するずっと前、五月の事件や県民大会との前後関係は、思い出せない。がちがちに錆び付いていた歯車がやっとギシギシ音をたててではあるが、回転し始めたみたいに、私は、「沖縄」に関する書物をやおら読み始めた。もちろんそれ以前は、努めて避けていたのである。沖縄に住みながら、沖縄から出ることもありそうにないのに、自分がちっとも「沖縄人」でない、それどころか「同化」したいとも感じてない、「同化」に抵抗すらしてる、でそんな風に片意地張っても、だからといって、関西人やら日本人やらの「アイデンティティ」も遠い、そんな宙吊りと疎外感が、病の原因か結果か?いずれにしても、どこかでもう一度、直面しなければすまないものではあった。きっかけはもちろん、県知事選挙だった。議会制民主主義に大した敬意を払わないことが習い性となっている極●左だけどね、実に十四年ぶりに投票所に足を踏み入れた。たがが外れた(笑)のかな?なかなか気持ちよいスピードで(笑)、私の「うちなーんちゅ」アイデンティティは加速していった。瀬長亀次郎「沖縄からの報告」(岩波新書)、比嘉春潮「沖縄」(岩波新書)、伊波普猷「沖縄歴史物語」(平凡社ライブラリー)、外間守善「私の沖縄戦記」(出版社失念)、・・・。自由民権期の、謝花昇、著書は手に入りづらいようで、古い伝記を読み始めたところだった。琉球処分にも一役買った薩摩藩の士族奈良原が沖縄県知事として着任、数々の圧政を加えるのだが、中でも、入会地として共同利用されてきた、燃料、食糧調達のためにそこにすむ人々に死活的な必要性を担っていた、やんばるの山林を、旧琉球王朝支配層と、自分達、本土から着任した藩閥政府の役人の利益を図って、大規模な私有化を進めた。極めて優秀な農業技術者であった謝花昇は、農民運動を組織して、これに抗するが、諸々の妨害、弾圧を受け、遂に出張中の神戸駅頭で、発狂するに至る。「絶望」がより深くなるのは、それがかつてもあった、と言うことを知るときだ。同時に、それに耐えさせてくれるのも、かつて人々が耐えたことの記憶であろう。順調回復、一安心ムービー。ね、傷口がかさぶた状に盛り上がってきているでしょ?多分、いい感じ。術後二週間くらい?本来そろそろ抜糸の予定だが糸は早々取れてしまってた。でも傷口ちゃんと塞がっているようだから、まずよかった。薬はあんなに嫌がるのに、気づくと枕元で安眠してる。雨降って地固まるって奴だ。梅に鶯、ではあるまいし、トックリキワタにシロガシラ、「亜熱帯」では、ときならぬ、「花鳥図」が見られます。この季節、この島の各所を彩る、桜か?と見まがうこのピンクの花は、トックリキワタと申す花でございます。徳利・木・綿、でございまして、木綿の原料植物、ワタの木、ともそう遠くない分類であったはずで、なるほど、そちらもインド亜大陸、暑い土地の植物でございますからな。分類上は争いがあるようで、パンヤ科ともアオイ科とも言う。パンヤは、確か、枕の詰め物にする、やはり綿をもつ植物でありましょう、見たことはないが。この、トックリキワタも、いつ頃であったろうか、やがて身をつけ、その実から、綿を吹きます。地面に、「脱脂綿」、誰が捨てたんだ?と、余り美しい(笑)とは言えぬ光景に、なります。「花鳥」のうち、鳥の方は、これまた当地では、最も平凡なもの、私は沖縄に来てから、「うつ病」を病み(笑)、それがきっかけにバードウォッチャーになったものだから、かつて住んでいた「本土」の鳥のこと、とんと詳しくないのだが、こんな鳥、見たことあっただろうか?何でも元来は、愛玩用にもっぱら人に飼われていたものが、いわゆる「籠脱け」、逃亡でございますな、野生化したもの、とも言われておる。確かに、言われてみれば、愛玩にも相応しかろう、翼は濃いグリーン、頭は黒いのに天辺だけ白、なかなか可愛らしく、歌声も、「ぴっぴょ、ぴっぴょ」とか「ばっちりやってね!」とか「ぴくりるっ」とか、いろいろ聞こえて、美しいかも知れない。ただ、もう、私たちにとっては、余りにも平凡だから、有難味がない、とは言える。重機が畑を起こす、すると、餌になる小動物が出てくる、だから「待って」いる、いつそんなこと、「覚えた」んだろう?畑の土を、重機で起こしている。すると、養分豊かな土だから、たくさんの虫や小動物がいる筈で、それが、慌てて飛び出してくるはずだ。それを、この、ダイサギ(サギ科)は、ちゃんと、知っているのだ!重機に、「まとわりつく」(笑)様にして、いかにも「待ち遠しそう」に、ついて回る。でもアームが、ぐるりと回ってぶつかりそうになったり、ほら、土くれが飛んできたりすると、もちろん、ちゃんと、逃げる。でも、たいがいは、すたすた歩くわけで、なかなか、飛ばない。いや、実に、鳥というものは、飛ばないですむときは、飛ばないで、歩く(笑)ものなんだぜ?それにしても、なんだか、私がご飯盛り付けてあげてる時の、うちの猫たちの振舞を彷彿とさせて、微笑ましいのだな。大して心が浮き立っていない時に、心を浮き立たせようとすることがまた、不可能を要求することだから負担になる、などということぐらい、「うつ病」患者を十数年やっていれば、お見通しなのである。上弦の小潮を少し過ぎたあたりだから、あまり「潮目」はよくない(笑)。でも、出掛けなければならない、と急き立てられる気持ちだった。失業者だから、何もしなくてよい(笑)。お金を使わないように(笑)、何もしない方がよいのである。猫を膝の上にのせて、口をぽかんと開けて、パソコンでトランプ・ゲームデモして一日を無為に過ごせばいいのである。そうやって、「人生」の残りが少なくなっていくことこそが(笑)、「生きる」目的だ、と言ってもいいくらいだ(笑)。でも、凡人は(笑)、浅はかにも、「なにか、しなければならない」、と思ってしまうのだな。いや、それ以上に、理由は、わかっていて(笑)、人は、何か、決して、考えてはいけないことがあるときに、「考えないでおこう」とはせずに、「しない」ことは不可能だから、何か別のことを、必死で(笑)「考え」ようとするようなのである。何を考えてはいけないか?もちろん私はちゃんと知っているが、ここに書いてしまうと、もう、それを「考えた」ことになってしまうから、もちろん(笑)、書かない。という訳で、南の海岸に、干潮を狙いすませば日没で暗くなってしまいそうだから、少し早目に、カモたちがたくさん来ているだろう、それらを見に行くことにした。そんなだから、大して心が浮き立っているわけではない。大して心が浮き立っていない時に、心を浮き立たせようとすることがまた、不可能を要求することだから負担になる、などということぐらい、「うつ病」患者を十数年やっていれば、お見通しなのである。浮き立たないままでも、何ら、差支えないのである(笑)。それでも、ほれ、こんな、ちょいと混み合った「銭湯」みたいじゃないか?しかも、これらが、銭湯ならば、そこに浸かっているのは、よくて(笑)、猿か熊、たいていは、人間と相場が決まっていよう?ここでは、一、二、三、一体何種いる?ことごとく別種の者たちが、まことに「肩寄せあって」水浴しているのだよ?これは、実に、心浮き立つ(笑)ことではなかろうか?それにしても、私は、赤貧の(笑)バードウォッチャーであるから、上等な道具を持っていない、双眼鏡も、安物だし、一眼レフは一応望遠レンズはついているが、そんな大したものではない。だから、この広い海岸に、夥しい数群れ集っている鳥たちを、その場で識別することは、老眼のせいもあってほとんど不可能なのである。だから、よくわからないままにシャッターを切っている。家に帰ってから図鑑と首っ引きなのだが、いやはや、もし、現場で、もっと解像度のよい双眼鏡を眺めつつ、落ち着いて老眼鏡もかけて図鑑を参照すれば、もっとわかりよいのだろうけれど、残念なことに、カモ科の鳥というものは、実に種の識別が難しい、しかも「性淘汰」の激しいことで知られる者たちだから、雌雄のデザインも大きく異なり、これまた混乱を深めるのである。だから、今、コンピュータの画面の前で、ため息をつく羽目になり、さしもの浮き立った心(笑)もやや、醒めるのであった(笑)。おや?今日は、ジョン・レノンづいてるね(笑)?まもなく名護署前、「靴下DEアクション」始まります!ジョン・レノンが亡くなったのは1980/12/08。なるほど、今日、名護署前で、主催者の人が、スピーカーからこれ流していたのは、そんな訳だたのだな。私は私で奇遇(笑)と言うか、明け方、「うつ症状」重く、どうしても、「北」に向かって車を走らせるような「元気」を欠いていて、本当は(笑)、元気がでないときに、無理に元気を出してはならないのだが、世の中そういうものだね、他人様とのお約束があるから、「無理にでも」ポジティブにならねばならない事情があった。音楽は、麻薬性の効果があって、一時、身体が動くようには(笑)、なる。後の「リバウンド」も大きいけどね。そんなわけで、明け方、Mind Gamesを繰り返し聴いたものだから。We're playing those mind games together, Pushing barriers, planting seeds, Playing the mind guerilla, Chanting the Mantra peace on earth, We all been playing mind games forever, Some kinda druid dudes lifting the veil. Doing the mind guerilla, Some call it the search for the grail, Love is the answer and you know that for sure, Love is flower you got to let it, you got to let it grow, So keep on playing those mind games together, Faith in the future outta the now, You just can't beat on those mind guerillas, Absolute elsewhere in the stones of your mind, Yeah we're playing those mind games forever, Projecting our images in space and in time, Yes is the answer and you know that for sure, Yes is the surrender you got to let it, you got to let it go, So keep on playing those mind games together, Doing the ritual dance inn the sun, Millions of mind guerrillas, Putting their soul power to the karmic wheel, Keep on playing those mind games forever, Raising the spirit of peace and love, not war, (I want you to make love, not war, I know you've heard it before)京大経済学部の地下を当時は珍しくもない「不法占拠」してサロンのごときものを作ってた。私たち(笑)、時代遅れの極●左・赤●ヘルが、時計台前に千人規模の集会開いて「闘って」いるのをいぶかしく思ったのだろう、ある週刊紙が、「人民の海に浮かぶガラパゴス」と評してくれたのにあやかって、そんな風に名付けていた。時代は「ポストモダン」のとばぐちで、浅●田彰クンは、そんな馴れ馴れしい言い方でごめんね、あり得ないことだが今ばったりそこら辺ですれ違っても、あーら、あなた、こんなところで何してるの?くらいに声を掛けては貰えるだろう(笑)、経済学部自治会委員長だったが、人文研に移って、「ブレイク」しかかる頃だな。だからサロン「ガラパゴス」は(笑)彼のファン(笑)層を構成する、お勉強のできる若き「ネオ・アカデミシャン」と、頭からっぽで 大言壮語のルサンチマンをこととする遅れてきた(笑)極●左、が主な客層だった。もちろん、私は、後者だ(笑)。いや、いつも通りどうでもいい思い出話だ。ジョン・レノンが死んだ、と言う知らせを、珍しくやや沈痛な面持ちで、ドアを開けるなり、伝えてくれたのが、浅●田クンだった記憶があるから。こんな言い方は、ジョンレノン君に失礼だが、当時の「暗い時代の予感」はその程度だった。まさか、こんなになるとは(笑)、ちっとも、思ってなかった。悪い予感のかけらも、なかった~忌野清志郎「スローバラード」ってね。芭蕉布。12月10日(土)午後5時6分、名護署前、くつしたDEアクション!「芭蕉布」作詞:吉川安一、作曲:普久原恒勇海の青さに、空の青南の風に、緑葉の芭蕉は情に、手を招く常夏の国、わした島うちなー首里の古城の、石畳昔を偲ぶ、かたほとり実れる芭蕉、熟れていた緑葉の下、わした島うちなー今は昔の首里天加那志(すいてんがなし)唐ヲゥーつむぎ、機を織り上納捧げた、芭蕉布浅地紺地の、わした島うちなー***今どきの(笑)スマホには、カラオケ屋みたいに、検索すればたちどころに歌詞が出てくるサイトがあるみたいで、昨日12月10日(土)、名護署前の、「くつしたDEアクション」でこの歌を歌ってくださった方も、それをカンニング(笑)されてたみたいだから、私も、真似てみた。沖縄都市モノレール、駅に接近することを知らせる車内アナウンスの音楽が駅毎に異なる、なるほど便利、月間残業二百時間超のサラリーマン時代、御堂筋線がこれを採用していてくれたら(笑)淀屋橋で京阪に乗り換えるべきを毎度毎度寝過ごして天王寺辺りで途方に暮れる愚を避け得たかもしれぬ。閑話休題、その那覇市を走るモノレール、首里城最寄りの儀保駅のアナウンスがどうして「芭蕉布」なのか?長年の謎だったのが今解けた。「料理沖縄物語」古波蔵保好(朝日文庫)にはこんな一節。私の知っている金城は、没落した士族の町であったけれど、道のほとんどに石が敷き詰められ、道に沿って屋敷を囲む石垣がつらなるといったなかなかにおもむきのある町だったし、住んでいるのは、貧に耐えながら分を守って生きている義理堅い人たちで、女たちは芭蕉布を織るなど、いつも石垣の内側から、単調でこころよい織り機の音が漏れてくるような、いわば旧士族の心根を感じさせる暮らしがあったからだ。・・・「金城」は元来「かなぐすく」と読んだはずだが、今は首里金城(きんじょう)町、引きも切らずに観光バスが訪れる、首里城南面の名所、石畳道のありかである。今でこそ芭蕉布は、やんばる大宜味の特産で、そんなものが首里で織られていたのに奇異の念を持ってしまったのだが、なるほどこれは首里王府に「上納」すべき租税の一品目だったのだな。因みに首里天加那志(すいてんがなし)は、琉球国王の尊称のようで、例えば、「テンペスト」池上永一(角川文庫)にも頻出するから、覚えてしまって、読めるようになった。「唐ヲゥー」は分からないな。歌詞をスマホのサイトに掲載した人も分からなかったから、こんな漢字とも読み仮名とも知れぬ中途半端な表記になったのでは?と疑う。最後の行は、染め色に関するものと思うが、フクギ(オトギリソウ科)の黄色、「てぃかち」と方言名で呼ばれるオキナワシャリンバイ(バラ科)の茶色、そして紺は、藍染だが、徳島を始め日本本土で用いられるタデ科のアイとは異なり、キツネノマゴ科のリュウキュウアイが用いられる。琉球列島では他にマメ科のコマツナギも藍染に用いられるが、宮古と石垣と、どっちかが蓼(たで)藍、どっちかが豆藍、どっちか忘れてしまったのだから、相変わらず中途半端な蘊蓄であった(笑)。***嘘を言ってはいけないと急に気弱になったので、大宜味村喜如嘉の芭蕉布会館、芭蕉布保存会のサイトを参照してみた。大変丁寧な説明、写真も美しいのでご紹介する。http://www.bashofu.jp/同会館の大家、平良敏子氏は、先の戦争末期、本土の工場に徴用されていた。民藝運動に熱心だった倉敷紡績の大原総一郎、そう、大原美術館で有名な、リベラル派ブルジョワ、そんな言い方でいいのかな?に見初められ、紡績、機織り、等の技術を伝授される。民藝運動の主唱者、柳宗悦もまた沖縄文化に深い造詣を持っていた。「手仕事の日本」(岩波文庫)にも、芭蕉布や紅型(びんがた)の記述があったと記憶する。同サイトによれば、芭蕉布の糸の染色はもっぱら、相思樹と琉球藍、とのこと。後者は先に説明したキツネノマゴ科植物で間違いないと思う。前者はソウシジュ、黄色いミモザ状の花をつけるマメ科の木本、でも写真を見ても見た記憶がないな。沖縄にはマメ科の木本、つまり草でなく木ってことだ、が多い。デイゴもホウオウボクもそうだ。どちらも花は赤いけど。染め物の話に多少の興味を持ったのは、野草観察家に(笑)なってから、春咲くムラサキ科の小さな花が気に入って、調べる内、宮沢賢治「紫根染めについて」という傑作にに出会った。化学の先生でもあったから(笑)シコニンやインディゴの構造式眺めて、蘊蓄の一つも捻られなければならなかったしな。でも本当は、もう少し、それこそトラウマ的なこだわりがある。十七年前、沖縄に来たばかりの頃、やんばるの藍染の工房を見学させていただいた。工房の主は、名だたる #辺野古 の「活動家」で、私も、本土からの「支援者」をガイドするという役回りだった。カギカッコだらけの(笑)冷笑的な口ぶりをお許しいただきたい。あくまで、自分を「冷笑」しているのだからね。地面に掘った穴に設えてあった甕の中の藍は、今から思えば発酵過程にあったのだな。石灰を用いて塩基性にする、あんた、化学の先生なら分かるだろ?と主に揶揄されたのを覚えているが、まことに、私は何も分かっていなかったし、分かろうともしていなかったし、分からなければならない、とも思っていなかったのだな。庭にはヤギさんもいて、クワズイモ(サトイモ科)はその名の通り有毒なのだが、ヤギさんはちゃんと分かっていて、食べないらしい。そんな貴重な話も聞いたのに、私は何も聞いていなかった。「世界」にはもっと「大事」なことがある、とでも思っていたのかな?その頃風の「ポストモダン」な(笑)言い方をすれば、「世界」を「大文字」で捉えようとしていた、捉えられると信じて疑わなかった。ほどなく私は「病」を得、引きこもった(笑)。猫としか喋らなくなった。鳥や魚や花や、それら諸々の、実は私たちの回りの空間を充填している、「小文字」で書かれる(笑)者達に初めて目が届くようになったのは、単に、「人」を視界から排除しなければ生きていけなく思えたから、代わりに何かを「見なければ」ならない、謂わば「緊急避難」のなせる技だな。リュウキュウアイの畑、見せてもらったはずなのに、どんな植物だったか、とんと記憶にない。十年以上後、ちょうど東北の震災の直後だ。もちろん一人で、こっそり(笑)見に行った。だから今では分かる筈だ(笑)。そのとき山の反対側に回って喜如嘉にも行った。水の豊かな土地で、田圃や渓流では驚くほどの数の渡り鳥を見ることができる。何の因果か(笑)、今では週二回のペースで「通う」破目になった、この「やんばる」と言う土地は、だから、何が「だから」だ?(笑)、私にとっては、いつか「和解」すべき場所だった。できたかどうかはわからないが、明け方の三時に、結構いそいそと準備をしていたりするのは、私がそこへ向かうことができることを、私の身体が、祝福してくれているらしい、と言うことにしておく。12月12日(月)午前9時、ダンプ車列は大泊橋、通称赤橋を北上中。緊張感の中でデモ。動けば、少しは、数、多く見えるかもね(笑)!一昨日、N1前で七百人の「群衆」を目にして何か「ふっ切れ」ました(笑)。いえ、「勝てる」とか思ったんじゃないですよ。でも掛け値なしにこの人達のことを「愛しい」と感じた。錯覚なのだが、沖縄に住んでるに沖縄人じゃない、アイデンティティ・クライシスが「発病」のきっかけだったとしたら、これは「治療行為」ということになりますね(笑)。だからこんなにウキウキ(笑)してる。行ってきます!12月12日(月)、午前4時53分。十三日月、出ている筈だが曇天なので、代わりに一昨日夕刻名護の十一日月。12月12日(月)午前7時49分、N1ゲート前着。高江橋に警視庁が既に張っていたから、さすがに(笑)今日は「やる気」(笑)なんだろう?よし、受けて立とうじゃないか?写真は、大泊橋の日ノ出。大きな声では言えんが(笑)、今日は頗る人が少ない。たくさん歌ってデモもして、いわゆる「気勢を上げて」(笑)必死で沢山に見せかけ(笑)、それが効を奏したか10tダンプ12台、メインゲートに入って「様子見」モードに入ったようです!頭上AH1W旋回。***今日は、那覇地裁で、先日、#辺野古 関連で逮捕された人たちの、勾留延長理由開示公判が行われる、そのせいで、首脳陣はそちらへ出かけているからだろう、人も少ないし(笑)、集会の司会も慣れない人が担当したりで、ある種「素人」っぽく、またそれがいい味(笑)にもなっている。○○さんのコール、面白いね(笑)。ヤンバルクイナ、守ろ!リュウキュウヤマガメ、守ろ!シリケンイモリ、守ろ!シリケンイモリ(イモリ科)、というのは、尻が剣の様である、という命名だが、私は遠くからしか眺めたことがないので、どこが剣なのか?よく分からない。それよりも腹側が鮮やかな赤い色であることが特徴だ。以前、「提供施設」内の(笑)、森の水場で、見かけたような気もする。でも、違っていたかもしれない。いやいや、おっと、そもそも「提供施設」内、なんて、入ってないもんね(笑)!こちらの森では、イボイモリの方がよく見かけるように思える。○○さんも、混同しているかもしれない(笑)。12月12日(月)午後1時4分、帰路、国頭村安波、ツマベニチョウ(シロチョウ科)。12月12日(月)午前9時半頃、メインゲートに入ったダンプは全部南下した。もう一度採石場に戻るのだが、とりあえずひとまずN1とのピストン輸送は阻止できたんだ!第二陣の12台、メインゲートに入る。機動隊の動きは見えないので、昼食を摂りながら、座り込み体制は維持してます。さっき、さすがに歌ばっかり聞いてるのは飽きたので(笑)、近くの山道散歩。リュウキュウヒメジャノメ(タテハチョウ科)、ジシバリ?(キク科)。 続報!12台全部南下。従って、午前中は、勝利、です!今日はぜったい「ゴボウ抜かれ」る(笑)心積もりだったので、「拍子抜け」などと強がり言ってみる(笑)。有刺鉄線だが、軍事施設ではなく雨量計。ここは標高290mだって。では、猫達のもとへ帰る♪***工事が終盤に入り、SACO合意に基づく、「返還式典」の日取りまで決まった。それでもまだ、連日何十台もの土砂を搬入しなければならないのだから、期日までに完成しないのは素人にもわかる。完了したとの体裁だけ整えて、米軍に引き渡してしまう腹積もりが固まった、という意味なのだろうか?ここ数日、何が何でも排除して搬入、という、「敵」の「意欲」が弱まっているようで、今日も、こんなに人数少ないのだから、やってやれないことがない筈なのに(笑)、ダンプは帰ったし、機動隊も引き上げた?という訳で、一応の「勝利宣言」の下、昼食休憩に入る。私は、猫たちのことも心配だし、そろそろ帰ろうと思うのだが、人数が少ないときは、N1ゲート前を通って、残っている皆さんに手を振ったりして帰るのが、「申し訳なく」感じる小心者なので、そうだ!今日は、「北回り」、つまり、国頭村安波、安田、から県道2号に入り、東シナ海沿岸の与那に抜けて、国道58号に戻る、というルートを採用することにした。以前人から教えてもらっていたのだけれど、1970年に、国頭の伊部岳というところで、実弾射撃演習阻止闘争があったのだが、その記念碑を見に行こうと思ったのだ。これは、その途中、ツマベニチョウ(シロチョウ科)は、梢高くを忙しく飛び回るから、なかなかカメラに収まってくれない。しかし、林の中で休むときは、こんな風にかなり長時間同じ場所にぶら下がったままになることもあるのだ。そうやって止まってしまうと初めて分かるのだが、羽がずいぶん傷んでいるね。人工孵化の「キョロちゃん♪」は、ちょいと、警戒心が不足(笑)。12月12日(月)、#高江 の帰路、国頭村安田(あだ)「くいなふれあい公園」にて。同じく12月12日(月)、国頭村安田(あだ)「くいなふれあい公園」にて、シジュウカラ(シジュウカラ科)、絵はボケてるけど、つつぴーつつ♪、歌は聞こえるでしょ?12月12日(月)、午前7時56分、#高江 N1ゲート前、「二見情話」。大浦湾沿いの二見から #辺野古 に抜ける旧道は確かに坂が多かったな。人が少ない分、歌や踊りで「華やかさ」演出(笑)。 今日は、先日、#辺野古 関連で逮捕された人々の、勾留延長理由開示公判が那覇で行われるから、首脳陣(笑)はそちらへ詰めかけているようで、こちらは「手作り」感(笑)溢れる集会となった。それもまたよし!「二見情話」二見美童(みやらび)や、だんじゅ肝(ちむ)ぢゅらさ海山ぬ眺(ながみ)、他所(ゆす)にまさてぃよ二見村嫁(ゆみ)や、ないぶしゃやあしが辺野古(ふぃぬく)崎(ざち)坂(ふぃら)ぬ、上り下り(ぬぶいくだい)よ参考文献:「うちなーぐち練習帖」高良勉(NHK生活人新書)語彙注釈/だんじゅ:本当に、ない+ぶしゃ:なり+欲しい、あしが:あるが、「肝(きも)」が「ちむ」に、「眺め」が「ながみ」に、「他所(よそ)」が「ゆす」に、「嫁(よめ)」が「ゆみ」に、「上り(のぼり)」が「ぬぶい」に、皆、O段がU段に、E段がI段にそれぞれなる琉球方言の音韻規則の通りである。「坂」が「ひら」になるのはどういう訳なんだろう?よく南部の海に行く途中に通る、与那原から佐敷を経て玉城に向かう、中城湾を一望に出来る急坂、新里坂、は「しんざとびら」と標識にローマ字の読み仮名が振ってあったので知っていた。この歌が作られた経緯は、視界の方が説明されている通りだが、参考のために、高良勉前掲書から、引用しておく。「二見情話」は、戦後創作された民謡の大ヒット曲です。名護市二見村の美しい自然と人情を男女のかけ合いでみごとに表現しています。この歌の時代背景は、作者の照屋太一をはじめ沖縄島中南部の多くの人々が、二見村など旧久志村に戦争中の避難民や、戦後の米軍の捕虜としてお世話になった体験に基づいています。したがって、「二見情話」は国ぼめ、故郷賛歌であると同時に、しっかりとした反戦歌にもなっているのです。***「辺野古崎の上り下りよ」、というのは、今はトンネルを二つばかりくぐる立派なバイパスができてしまったが、名護市街と辺野古を結ぶ329号線に、二見から登っていく曲がりくねった坂道の旧道のことを言うのだろうと思う。十七年前、毎日のように通った(笑)道だから、今でも、こちらのコースの方が好きだ。もう潰れてしまったみたいだが、「ドライブイン・レストラン」風のものがあって、アメリカンサイズ、とでも言うべきか、巨大な、ハンバーガーが旨かった。ここだけの話だが(笑)、その頃は飲酒運転の取り締まりも信じられないくらい(笑)緩かったので、平気で生ビール飲んでたもんだ(笑)。2016年12月12日(月)、#高江 からの「北回り」(笑)の帰路、の、博物誌。国頭村安田(あだ)の「伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑」、碑文を書き起こしておこう。この地は、沖縄を占領しているアメリカ合衆国が北部訓練場として使用し、更に、実弾射撃演習場所へ移設を通告し、強硬に演習を実施しようとしたことに対し、地域住民・村民・支援団体が必死の決意で実弾射撃演習場設置を阻止した場所である。一九七〇年(昭和四五年)十二月二二日国頭村長あてに伊部岳を中心とした北部訓練場内に実弾射撃訓練場を設置することを琉球政府(現沖縄県)を通して電話通告してきた。二六日に国頭村議会は即、抗議決議を採択し演習阻止を明確に宣言した。同日に安田区では演習場設置反対評議会を結成し、住民ぐるみの動員態勢を整えた。午後には米海兵隊が三一日から射撃演習をはじめるとの情報を村に伝え、緊迫する中で三〇日を迎えた。国頭村字安田・安波・楚洲の3集落では小中学生も阻止行動に参加した。一方、着弾地点には、子供、高齢者を除き最大動員して座り込み、抗議・阻止の旗を掲げ、火を焚き、煙の合図で強固な阻止体制が完了したことを告げた。三一日を迎えた。国頭村長を先頭に村民はじめ、支援団体約600人が発射地点近くで実弾射撃阻止大会を開き、着弾地点の北側に70人、南側に200人の行動隊が座り込み実力阻止、有刺鉄線を乗り越えて発射地点に突入、大混乱の中で、重軽傷者を出しながら体を張って米軍権力に対抗して阻止実現。「やったぞ!米兵は帰れ!」を歓声と怒りの声が、深い豊かな山にこだました。持ち込んだ砲弾はヘリで持ち帰り、米軍は正式に実弾射撃演習の中止を発表した。こうした決死の思いで村民・県民の生命、財産をはじめ、豊かな自然、水資源、ヤンバルクイナやノグチゲラなどの貴重な動植物を守ることができた。”森と水と安らぎの里”といわれる山原の自然を守り育てようとした先人たちの偉業を伊部岳実弾射撃演習阻止闘争碑の存在を通して、平和、命の大切さを学習し、後世に語り継ぐために、この地に伊部岳実弾演習阻止闘争碑を設置した。二〇〇九年(平成二一年)八月一五日国頭村制一〇〇周年記念***そうだね、ならば、「私たち」は、充分に先人から学ぶことができず、したがって、命の森を守ることができないかも知れないことを、痛恨の思いで、恥じなければならないことになるね。だが、結果から時間を遡行して、「勝てなかった」ことをもって、かつて、そこに、「落ち度があった」と推定する「因果論」は、やめておこう。勝つか勝てないかは、相手のあることだし、時の運でもあるのだ。多分、「私たち」は、充分、頑張ったよ。私ですら、近年稀に見る勤勉さだったもの(笑)。その上で、ヤンバルクイナ君や、キノボリトカゲ君、イボイモリ君、それからまだお目にかかったことはないのだが、ノグチゲラさん、リュウキュウヤマガメさん、には、ちゃんと、謝ろう!人間の社会は、百年単位でしか変わらないのよ、って誰かが言ってるんだって、教えてくださった方がいた。自然は、更に、千年一万年というタイムスケールで変化する。どちらも十分に大き過ぎるから、それらに比べれば吹けば飛ぶほどの寿命しか持たない、私たち・個体には、決して目撃することはできないのだけれど、「人間」などというものが滅亡してしまったずっと後に、この森は、「再生」するだろう。もっとも、それが「再生」であるか否かを判定できるもの・個体は、誰もいないのだけれど。だからと言って、「謝る」ことや、痛恨に胸をかきむしられることが、意味がない、なんて言ってはいけない。「意味」を決めるのは、私たちでは、ない、かも知れないじゃないか?そんなに何でも分かっているのなら、こんな愚かなことはしていない、とも言うじゃないか(笑)?いささかの嫌味でもなく、ちょっと、面白い話を、しよう。ヤンバルクイナという鳥は、地元の人々にとってごく見慣れた鳥だったようで、年長者の中には、それを食べた経験を語る人もあるそうだ。そんなそこらへんをぴょこぴょこ歩いている(笑)鳥が、とんでもなく「希少」なものであるなんて、誰も知らなかった。そりゃそうだ。「外」との比較に於いて初めて「固有」であることが知られ、他にどこにもいないからこそ、環境の変化によっては、絶滅危惧ともなり得るのだ。ヤンバルクイナが、ここにしか生息しない固有種であることが「わかった」のが、ようやく1980年代なのだそうだ。ここ「くいなふれあい公園」の学芸員さんの説明を聞いて、初めて知った。ってことは、さっきの碑文、揚げ足取りだけど(笑)、1970年の段階で、人々は、「ヤンバルクイナを守ろう!」と闘ったわけでは、あり得ないことになる(笑)。もちろん、私たちは何でも知っているわけじゃないし、「知っている」から「守ら」なければならないんじゃ、ない。何にも「知らない」からこそ、そ・の・ま・ま・に・しておかなければならないのだよ!皆様、すっかり寒くなりましたが、お風邪など召されていませんでしょうか?いえいえ、猫の話です。皆様、すっかり寒くなりましたが、嘘です(笑)、今日は朝は小雨だったものの、晴れてからはぐんぐん気温も上がり、人々もTシャツ一枚で歩いている始末(笑)、それはさておき、お風邪など召されていませんでしょうか?いえ、猫の話です。昨日、#高江 からはるばる帰ってきて、早く帰るつもりだったのが、早く帰るとき、ゲート前通ると、なんかまだ残ってる人に申し訳ない(笑)、って遠慮から、北回り、県道二号から国頭の東シナ海沿岸、与那経由の道、どうせなら、と、伊部岳実弾射撃演習阻止闘争というのが1970年にあったのだが、その国頭村安田(あだ)の記念碑を見学したり、またその近くに、「くいなふれあい公園」なるものがあって、飼育されているヤンバルクイナを観察できたりする、ついでだから寄ってみよう、とするうち、だんだん遅くなってしまって、あげく、大宜味の58号沿いの果物の露店で、たるがよー買ってたら、声かけられた、なんと、その、この夏15年ぶりに #高江 N1裏テントで再会した友達だった、いくらなんでも、この島、狭すぎるだろ?その友人のおうちに少しお邪魔して、結局帰宅したのはいつも通り暗くなってからで、泥のように疲れていたから(笑)、うんこだけ片づけて、いや、これも猫の話だよ、餌出して寝ようと思ったら、おや、何匹も鼻ぐすぐすしてるじゃないか?大変だ!幸い、まだ、食欲が落ちるまでには至っていないようだ。明朝、早速動物病院に行って、薬買って来なければ。猫の風邪には、カリシ・ウィルス性のものと、ヘルペス・ウィルス性のものがあり、前者の方が重篤、口内炎を併発するから、食べ物が食べられなくなって衰弱しやすい。いずれにしても、原則として、ウィルス性疾患は、細胞内部にウィルスが侵入してしまうから、抗生物質は効かない。と言うより、これは人間の場合もそうだが、風邪に効く薬は、ない。自分の身体自身の免疫システムが起動して、白血球が、ウィルスが宿ってしまった細胞そのものを喰いつくしてくれたりしない限り、治らない。インターフェロンというのは、難しい構造式が並んでいた記憶があるが、免疫に関与する有機化合物で、おそらく、白血球の活動を活性化させる、などの役割を担うものと想像する。なかなか高価な薬剤なのである(笑)。だから、貧乏性としては、せっかく、そんな高い薬与えるんだから、証拠にフィルムに残しておきたい、などと「助平心」を出してしまうのだな。一番重い症状なのが、なんと、先日角膜損傷の手術を受けたばかりの、カルテ名「コネコ」(笑)、全とら尻尾長いおかあさん♪の子・全とら(薄)♪、なのだ。まずこいつから、あ、インターフェロンは、目と鼻の粘膜に滴下する、そこから、全身のリンパ系に運ばれるのだろうと思われる、人間だって想像できるが風邪をひいて鼻水や目やにが出ているようなときに、その患部を触られるのは、嫌に決まっている、当然激しく抵抗する、エリザベスカラーが邪魔になるので、ちょうど、汚れてもいるから、いったん外して、すると、カラーはめてた首のまわり、蚤が巣食っていたので駆虫薬も必要になる、痒そうだからくしけずってあげる、等々、なかなか時間がかかった。全部をカメラに収めるのも冗長なので、これは、編集してある。で、編集、アップロードしてから気づいた。どうも、まだ鼻をぐずぐず言わせているのがもう一匹いる。どうやら、患者を間違えた(笑)らしい。全とら尻尾短く白靴下おかあさん♪の子、のうち、全とら(茶系)♪、をご紹介したが、まあ、風邪気味でないこともないから無駄ではないのだが(笑)、患者はこいつではなくて(笑)、同・全とら(脚白くない)♪、であった。私としたことが(笑)、猫の「識別」に、失敗(笑)したのである。もちろん、動画には収録できなかったが(笑)、後から、薬、ちゃんと投与したことは言うまでもない。全身、ぬれねずみ、というやつだ、おや?猫なのに? 名護市東海岸は二見、大浦、瀬嵩、三原、安部、嘉陽、天仁屋、そして東村平良と続きます。白波の立つリーフエッジの内側に見えますから岸から数百メートルではないかしら?MV22墜落。7/22の直後、#高江 に行ったときの動画。後半、名護市嘉陽のリーフの内側に潜った画像あります。安部(あぶ)の隣村です。こんな海なんだよ!ということを知って頂きたくて。ほとんど同じことですが(笑)、FBにも書きましたので。12月15日(木)、午前9時10分、「ごぼう抜き」が始まると同時に、背後の木立の中から、トランペットで、「沖縄を返せ」が聞こえてきたんだ!インターフェロン一びん使って、良くなったのもいるが、昨日また冷え込んだしな、まだ鼻をぐずつかせているのも。心配だが、「あっち」も(笑)心配なので、おとうちゃん、ひとっ走り(笑)行ってくるわ!12月15日(木)、午前4時46分、出発です。12月15日(木)、午前7時46分、N1ゲート前着。搬入終えた20t4台、護衛の機動隊バス2台とすれ違ったし、高江橋には警視庁、ここには大阪府警がスタンバイ、ばりばりにやる気らしい。なんだ、昨日は人手が足りなかっただけか?(笑)雨が降り始めて¥95のビニール製かっぱは、機動隊諸君の手によってもろくも破れてしまったが、頑張ってます(笑)。こんなことして何の意味があるの?と問うのはやめよう。「意味」を決定するのは、私たちではないから!***私が大の字に寝転がって(笑)、少しは手間をかけてもらって「運ばれて」いる間に、「沖縄を返せ」は終わり、ほら、私が「壁」もしくはHumanJailの内側にやってきたとき、曲は、「ここへ座り込め」に変わっていたけどね。2016年12月15日、#高江 「北回り」(笑)帰路、国頭村安波、奥間、の、「博物誌」、CH46とか、そういうのも、「博物」と呼ぶのならば(笑)。搬入午前中60台で終了。もちろん「達成感」(笑)皆無。重機を運び出す大型車も入った。明日で「完了」の体裁を本気で取るらしい。まだ砂利を60台搬入してるのに?ただただ悲しい。人類史に特筆すべき犯罪を目撃した気がします。帰路、安波ダム。ではその「犯罪現場」から逃げ出して、何処かま・だ・「安全」な場所に行きたいか?と、そうでもなくて、この傷ついた「故郷」に留まりたいのだから不思議です。帰路、とくに理由はないが(笑)、やはり「北回り」、国頭村安波から、県道70号、県道2号を経て、東シナ海沿岸の国頭村与那で国道58号に出る、というルート、「北回り」と呼び、かつ「(笑)」と表示しているのは(笑)、それが、東村大泊橋(通称赤橋)あたりで、「私たち」の仲間が搬入車列を妨げている場合、「彼ら」が採用するもう一つのルートの呼び名だからだ。安波ダム、まだ行ったことがなかった。警視庁の機動隊バスが、転回するためだけにその進入路を使用していることを知っていたからでもある(笑)。駐車場は美しく公園として整備されていて、ほら、ヒメジョオン、アキノノゲシ、タイワンハチジョウナ、ムラサキカッコウアザミ、もちろん、タチアワユキセンダングサなどが咲いている。ヒメジョオンは栽培植物の逸出といわれているから、もちろん、「外来種」である。この公園を造成したときに持ち込んだ盛土用土砂にシードバンクとして眠っていたものだろう。アキノノゲシとタイワンハチジョウナにわざわざ偉そうに(笑)属名を付したのは、植物学うんちくの定番で、ハルノノゲシとアキノノゲシ名は似ているが、かけ離れた種、ハルノノゲシは、このハチジョウナ属なのだ。Lacticaのlactは乳糖がラクトースであったり、ミルクコーヒーが、カフェオー「レ」であったり、カフェ「ラッテ」であったりすることから知れるように、「乳」を表すラテン語で、何でもこの属の者の茎を手折ると、白い乳液状のものを出すことが由来だそうだ。花を手折らない(笑)私は、してみたことがないが。同様の植物うんちくが、ヒメジョオン・ハルジオンなる近縁種間にもあって、前者は「姫・女苑」後者は「春・紫苑」と漢字で書く、おそらく、どこかで誰かが誤ったんだ、といわれている。ムラサキカッコウアザミも外来種である。同じく紫色なのだが(笑)、カッコウアザミというのがあって、区別が難しい。だから、これもどうかわからないが、普段よく見るカッコウアザミと、「どこか違う」という直感は、結構当てになる(笑)ので、そうしておく。そのダムの公園の芝生で、ずいぶん長いこと羽を広げて「日光浴」をしていたのは、ごく平凡(笑)、小学生の私にもなじみ深い、イチモンジセセリ(セセリチョウ科)。水路に目を移すと、早速シギ類が飛び立つ。お尻を上下に激しく動かすこの仕草は、イソシギ特有のものと言われるが、よく似たクサシギもそれをする。翼の付け根の白い部分に切れ込みがないから、これはクサシギと思う。山を越えて国頭の奥間、奇しくも採石場のの裏手だが(笑)環境省・やんばる野生生物保護センター、先日お会いしたヤンバルクイナの「キョロちゃん♪」の生まれた場所だ。比地川支流の奥間川、ほら、こんなにたくさんのアメンボがいる。それから、同センターの門前の、フヨウらしき花、これも、何か、いつものフヨウと違う(笑)と「直感」があったので、サキシマフヨウかも知れぬ、と書いておいた。そう、最初に、N1ゲート裏手の林の中で、もちろん、集会が「退屈」だから(笑)散歩に行ったのだが、アヤメ科かユリ科かそれともラン科か、いずれにしても、そこらへん、うちの近くなどでは見たことのない花、それから、安波ダムから、「やんばる学びの森」というレクリエーション施設を経て県道2号に出る道すがらなのだが、これまた、その辺では見たことのないイネ科植物、どなたか、ご教示を請いたい(笑)、いや、こんな動画、誰も見てないんだから、そんなこと言っても仕方ないんだけどね(笑)。ヒメジョオン(キク科)、アキノノゲシ(キク科)。タイワンハチジョウナ(キク科)、ムラサキカッコウアザミ(キク科)。コセアカアメンボ(アメンボ科)。大宜味名物、シークヮサー。風邪ひき、猫村ねこ♪女史、でもほら、こうしてご飯食べてくれたから、一安心ムービー。風邪気味が八匹、10mlで四千円!の高価なインターフェロン、一滴もこぼさずに注せた、それだけで「生きる希望」(笑)さえ湧いてくる。ご飯出して、犬散歩して、それから出発、という段取りになる。21匹一斉食事の喧騒の最中で誰が食欲を失っているか?見極めるのは、熟練者にも(笑)難しい。いつも今も上機嫌だから気付くのが遅れた、第二全とら♪が一番重篤。心配だ。心配だがやむをえまい。風邪の子供を置いて仕事に行かねばならないシングルマザーは沢山いよう?出発します。負けない方法は、諦めないこと、 #辺野古 のスローガン秀逸と思う。でも私の症例には適合しない。人間との関係、言語の伝達能、沢山諦めた所が出発点だからね。諦めても、オロオロアルクことは出来る。僭越ながら宮沢賢治を友と感じるのはそういうところだ。キタニキズツイタモノアレバイッテデクノボウノヨウニタチツクス、訳だ(笑)。 昨日旧11/18、望、十六夜、立待、その次、居待、だ。初めて #高江 に行った7/19が満月だった。長い長い、いや、短いかな?五ヶ月であった(笑)。変哲もないヒヨドリ(ヒヨドリ科)ですが、余りに喧しい(かまびすしい)ので。#高江 JWTCメインゲート近くの山、ここも「提供施設」なのかな?あ、ヤンバルクイナの声!本日の集会は、メインゲート前。12月17日(土)、午前7時49分、到着。途中、ダンプも警察車両も影も形もなし(笑)。大宜味の人がたった一人スタンディングしてるのが見えて、少し元気出た(笑)。大きな声では言えないが(笑)、集会に退屈したので、こっそり近くの山に入ってみた。ヤンバルクイナの「警戒声」、縄張りに誰か入ってきたときに出す、が聞こえた気がするが、録れなかった。12月17日(土)、10時46分、JWTCメインゲート、「座り込め!」を歌って、封鎖!もちろん、シンボリックなもん(笑)なんだけどな!わったーうちなーまきてぃーないびらんどー!では、 #辺野古 へ移動です!ゲート封鎖(笑)で、ちょっと元気出ましたー!助手席にパイン積んで? @ #高江 共同売店!さて、いくらでしょう?お次は、タルガヨー、袋詰め放題¥200。@ サンライズ東。この間大宜味で、今年最後だから、って言われて大袋買ったのに!大型バス含む車列が #辺野古 へ向かいます。機動隊バスも、付いてきます(笑)。12月17日(土)午後1時4分、#辺野古 着。途中、安部(あぶ)の墜落現場、見ました。想像以上に、心が寒々とする光景でした。左:嘉陽の浜から、左は海保、右は軍艦に見えるが?右二枚:安部。上の3枚目の写真、左から延びている岬の突端のすぐ先の海上が、墜落地点です。#辺野古 のテント、足を踏み入れるのは初めてなのだ。十七年前、漁港の方に何度か行ったことがあるきり。何年もの間、「見えない」振りをしてきたからな。だからやや気後れがする(笑)。「罪悪感」を「昇華」するにはまだまだ時間がかかるけどな(笑)。私たちはこの闘いの中で、すっかり強くなりました。もう、うちなーんちゅも全国から来てくださったみなさんも、機動隊も米兵も、恐くありません(笑)。北部訓練場がある限り、生・き・長・ら・え・て・頑張りましょう! #高江 住民の会ギボさん。集会終了。風邪ひいたうちのお子さま達、心配だから、急いで帰る♪帰宅。調子悪そうなのもいるが、ともあれ、全員無事。ひと安心!一番しんどそうに見えた、猫村ねこ♪、は少しだけど食べた。回復基調に見えた、第二全とら♪、が、食べそうで、食べない。今からミルク飲ませる。でも、なんとかなりそう!今日はあったかいし! 子猫達は元気にブリの骨にしゃぶりつく。第二全とら♪、自力回復(笑)!凄い、これだから生き物はわからない。昨夜は、注射器シリンジで子猫用ミルクを流し込むしかなかったのに、一っ跳びにドライフード食べれるようになった?流石に、「集会」の「ハシゴ」に疲れ果てて、翌日は昼過ぎまで身体が動かなかった。食欲落ちたねこ達が心配であったにも関わらず。よかった!一人回復。翼を広げて見せてくれたり、なかなか、大サービスしてくれたのだ。オスプレイの飛ばない空を満喫したい、と思ったのだが、猫たちは何人も風邪をひいているし、飼い主は、いつもながら疲れ切っていて(笑)身体が動かないし、また、出掛けるのがずいぶん遅くなってしまって、今日は、旧暦11月20日の筈、望、十六夜、立待、居待、臥待、更待、おお、では、更待か、望の干潮が正午として、一日50分ずつ遅れるとして、12:50、13:40、14:30、15:20、16:10、なるほどだったら、ちょいと遅れたくらいだな、ほら、太陽が既に傾いて、干潟の半分くらいはもう、暗くなっている。いたいた、クロツラヘラサギ(トキ科)の集団は、揃って、流れのあるところに移動して、これは、既にお食事が済んだ後の羽繕いなのか?それとも、餌探しの行動に移る前の準備運動なのか?よくわからないが、ともかく、翼を広げて見せたり、大サービス(笑)、なのであった。翼の先端に、黒い部分が少しだけあるのがわかるだろ?なかなか飛ぶところを見たところはないのだな。「サギ」の名にもかかわらず、サギ科ではない、というのが、よくわかる。飛び方が全く異なるのだ。多分、単位時間に翼を上下する回数が、サギ類より、多いんだと思われる、数えたことはないけど、だから、印象としては、何か、せわしない。一度だけ、頭上を飛び去るのを目撃した。写真は撮れなかったけど、あの、しゃもじ状の嘴、そりゃ、飛ぶときに前方を見ようとすれば、くちばしだって前方に向く、となると、あのしゃもじを、前方につき出させたままで(笑)、飛んでいく、なんとも、愉快、というのも彼らには失礼にあたるだろうが(笑)、な光景ではあった。防波堤に沿って、遊歩道ができていて、そこには、この亜熱帯の猛烈な繁殖力では致し方ないが、ほしいままに雑草が繁茂していて、とくにギンネム(マメ科)が、すでに大木をなしていて視界を遮ったりもしているのだが、そこに、今日は、シマキンパラの一群がやってきた。ブンチョウ、そう、漱石が、菫みたく小さな人が、などと、ちょっと嫌味なほど(笑)印象的な比喩で表現した、あの文鳥、と同じ科に属する鳥である。カエデチョウ科、というのは、インド亜大陸原産で、もっぱら、愛玩動物として輸入されたもの、この、おそらく「縞・金・腹」なる、やる気のない(笑)命名も、輸入業者の付した識別記号なのではないか、と想像する。たしかに、愛玩種らしい、潤いのある声で鳴く。もろもろの、陰鬱な想念が去来して、心弾まないわけだったが(笑)、それでも、こうして、いくつもの生き物の姿を目で追っていると、その瞬間、まことに「憂さを忘れて」いることに、気付く。昔から、こんなだっただろうか?思い出せないな。子供の頃から、あまり「幸福」だった記憶はないが(笑)、そしてその頃も、昆虫などを眺めるのが好きな、暗い(笑)子供であったけれども。きっと、その頃は、「それどころじゃなかった」んだろうな(笑)。「人間」に、言わば(笑)「絶望」して、初めて、「人間」以外の、「自然」を、「発見」したのである。そうでなければ、「発見」する「必要」がなかった。生き物は、「必要」なこと以外は、決して、しない、そう解釈すべきなのである。他の人のことは(笑)、知らない。少なくとも、私は、そうだったんだろうと思う。だったら、やっぱり、「病気」になって、よかった、と言うべきなんだな。