半世紀前の、「一度目」の、思い出、など。
ミサゴ(タカ科)。メジロ(メジロ科)。シロハラ(ツグミ科)。シロガシラ(ヒヨドリ科)。クサシギ(シギ科)。どうしても、「胸が高鳴る」。前に、「完全無欠」(笑)カレンダーを作った折以来、「Exc●llセル関数」の「日付関数」の基準時は、いったいどこなんだろう?、というのが、気がかりだった。試しに「=date(1,1,1)」とセルに記載してみてセルの属性を「日付」にすると、「1901/1/1」、「数値」にすると、「367」と返ってくるのである。じゃあ、「=date(0,1,1)」は、「1900/1/1」かつ「2」、「=date(116,2,18)」は、「2016/2/18」、つまり本日で、かつ、「数値」データとしては、「42418」、が、割り当てられているのである。どうも、どういういきさつだったのかは想像もできないが、1899年12月31日、もちろん、世界で初めてコンピュータという機械を拵えたIBMという会社は、International_Business_Machineなる名称にもあらず、第二次世界大戦時に、大砲の弾道計算のために設立されたアメリカ合衆国の「国策・軍需産業」に由来するのだから、この日付、日本で言うなら、日清戦争と日露戦争の戦間期、にあたるが、そんな時代に、実在すべくもなく、だから、「遡及的」に、その日付を、「起源」とした、ようなのである。言わずもがななことだが(笑)、「起源」は、例外なく(笑)、「遡及的」に、後の時代の「解釈」によって、定められ、「発見」されるものなのである。わかったことは(笑)、1899年12月31日に、自然数(順序数)、「1」が、割り当てられた。そこから、今日、2016年2月18日、が「42418」に、本当に(笑)、なっていることを、「疑い深い」、もしくは、閑を持て余し過ぎている、「失業・独居・老人」は、調べてみずにやまないのであった。1899年12月31日から、2016年2月18日まで、何日あるか?、は実は(笑)、そんなに簡単な計算では、済まないことは知っていた。太陽に対する地球の公転周期は、約365.2423日、であるらしいが、これに近似すべく、(i)まず、一年を365日、と定めた上、(ii)4年に一度、閏年、として1日増やす。こうして、365+1/4=365.25、確かに精度は上がった。西暦年号が4の倍数であるときは、二月二十九日として、1を加える。(iii)しかしまだ誤差がある。100年に一度、閏年を「やめる」。西暦年号が、100の倍数であるときは、1を加えることを、やめる。これで、365+1/4-1/100=365.24、確かに精度は増した。(iv)さらに、400年に一度、閏年を「やめる」、ことを、「やめる」。つまり、くどいようだが(笑)、西暦年号が400の倍数ならば、原則通り、1を加える、のである。ならば、365+1/4-1/100+1/400=365.2425、なるほど、ほぼ限界まで、つまり、この暦法が制定されたローマ時代から、今日に至るまで、「不都合」が露見しないまでには(笑)、十分な精度が得られたのである。***犬の散歩の途中だから、画像は鮮明でないし、あっという間だけどな、でも、このシジュウカラ(シジュウカラ科)の声を聞くと、どうしても、「胸が高鳴る」、のである(笑)。いろいろ「サービス」してくれてはいるが。さっそくやってみよう(笑)。問題は、1899年12月31日に順序数「1」を割り当てたとき、2016年2月18日が、「42418」、に、確かに対応していることを、確認したい。1899年12月31日から数え始めて、2016年2月18日がいくつになるか?、それは、「自然数」の算法固有の悩ましさに直面する。両日付の「間」に、何日含まれているか?、それは、例えば、1899年12月31日が終わる午前0時から、2016年2月18日が、やはり終わる午前0時までの時間を24で除したものになるのだから、1899年12月31日の翌・日・を「起算日」として、2016年2月18日に割り当てられる「順序数」を知ることに他ならない。これをば、xとすれば、2016年2月18日に割り当てられる「順序数」は、「起算日」を一日戻すことになるのだから、x+1、となる筈である。・1899年12月31日の翌日から数え始めて、では、切りのいいところで、2015年12月31日までは、何日であろうか?まず、閏年を考慮に入れないとすると、(2015-1899)×365、となる。1899を引くことで、1899自体は算入していないことに注意されたい(笑)。いや、注意を要するのは、もっぱら、「私」であるが。次に、閏年に関するルール(i)のみを考えると、この期間に含まれる西暦年号が4の倍数であるものの個数を数えることになろう。記号[a]は、実数aを「超えない」最大の整数、いや、持って回った言い方をやめにすると(笑)、実数a「以下」の最大の整数、を表し、「ガウス記号」と呼ばれる。天才ガウスに由来するのだろう、物理学や数学には、「ガウスの○○」と呼ばれる法則、公式、などが、多分十指に余るほど存在する。これはExcellセル関数では、「切り捨て整数化、=int(△△)」と同じ機能で、intは、integer「整数」に由来する。それを用いると、1900から2015までの4の倍数の個数は、[2015/4]-[1899/4]と書ける。ここでも第2項をあえて1899としているのは、1900を、たまたま4の倍数であるが、含まなければならないからだ。ならば、ルール(iii)によって、上記閏年に加えてはならないものの個数は、同じく、[2015/100]-[1899/100]、と書けよう。大げさなことを言わずとも、1900と2000の二つ、なんだけれども(笑)。そして、ルール(iv)、[2015/400]-[1899/400]、平たく言うと(笑)、(iii)で閏年にならない、とされた2000年は、実は、閏年に「なる」、のである。これで準備ができた。すべてのルールを加味した式は、こうなるであろう。(2015-1899)×365+([2015/4]-[1899/4])×1-([2015/100]-[1899/100])×1+([2015/400]-[1899/400])×1・では、最後の「端数」として、2016年1月1日から、2016年2月18日までを加える。2016年はもちろん閏年であるが、ま・だ・、2月29日はやってきていないから、加えてはならない。よって、(2015-1899)×365+([2015/4]-[1899/4])×1-([2015/100]-[1899/100])×1+([2015/400]-[1899/400])×1+31+18=116×365+(503-474)×1-(20-18)×1+(5-4)×1+31+18=42340+29-2+1+31+18=42417・で、冒頭に述べたように、これは、起算日を1900年1月1日にとっていることになるから、1899年12月31日を「1」とする「順序数」としては、これに1を加えなければならないから、42417+1=42418実は、やってみるまで、小心者だから(笑)、結構不安だったのだが、なぁーんだ!、ちゃんと、合ってるじゃないか!***これも「トイレの窓・バードウォッチング」、激しく「絶叫」しているからこそ、存在に気付き、窓を開けたのである。で、カメラを取りに走って戻ってくると、あれ、首を振ったりしていろいろ「サービス」(笑)してくれてはいるが、ちっとも、鳴かない。どうして、いつも「花鳥図」、なのか。では、安心して、Kngs●ftSpreadSheetを「信用」(笑)して、いくつか、計算してみよう。例えば、「私」は、何日間、「生きて」来たのだろう?本日「2016/2/18」は、「=date(116,2,18)」、すなわち、1899/1/1を起算日とする「シリアルナンバー」としては、「42418」、であった。私の誕生日「1958/1/24」なら、「=date(58,1,24)」、で、「21209」、まず、その差を単純に取ってみて、これは、「産婆さんを呼びに行く」のを「渋る」父親(笑)、に愛想をつかして(笑)、私が自力で母親の産道を這い登って来た時刻を午前6時として、本日の午前6時までの時間を24で除したもの、いわば生まれた日が「0」にあたる「満日齢」であり、生まれた日を「1」として、今日が何日目、といういわば「数え・日」ならば、それに「1」を加えることになる、何度も同じことを確認してくどいのは、「私」の頭が悪いからである(笑)。で、引き算してみて、仰天した、間違えたかと思った。42418-21209=21209なんと、本日の「シリアルナンバー」は、私の誕生日の「シリアルナンバー」の、ちょうど2倍だったのであるが、いや、考えてみたら(笑)、偶然としては面白いが、なんにも(笑)、「意味」は、ないのである。だって、1899年12月31日、なる「起算日」は、まったく人為的に、恣意的に定められたものなんだから、そこから数えた数同士を、「割り算」して、こっちがあっちの何倍、と言ってはい・け・な・い・。こういうのを、割り算して何倍、という「意味」があ・る・、「示量変数」、に対して、「示強変数」と呼ぶはずだ。後者の例としては、例えば温度がそうで、私の体温が摂氏37度、あなたの体温が摂氏37度、だったら「二人合わせて」(笑)、74度ですね、と言ってはい・け・な・い・、ということだ。摂氏温度は、水の凝固点と、水の沸点を、を100等分して作った、ものなので、それは、私にもあなたにも(笑)、「関係のない」事柄で、例えば私は、数値37に対応する「なにか」を、身体に「保持」している訳ではないからである。***どうしてメジロ(メジロ科)が、いつも「花鳥図」(笑)、になるかと言うと、当地の緋寒桜は、花と葉が同時に出るはずなので、これは染井吉野ではないかと思うが、このように小さな緑色の鳥であるから、日頃ガジュマル(クワ科イチジク属)などの実をついばんでいるときは、その濃い緑の、豊かな葉に、綺麗に隠れてしまって、声はすれども、ほとんど見つけることができないのに対し、ほら、桜の蜜に彼らが「耽溺」しているときは、警戒心もやや緩むようでもあるし、丸見え、なのである。カメラを抱えて、桜の木の下に座って待つこと数分、必ず、ペアで、やってくる。でも、今回は、一人は、既に去った後のようである。こちらの「機嫌」も、よくなって。どんどん話は逸れていくが、もともと大した話はしていないが(笑)、ところが、この「示強変数」を加算する、という掟破りの方法が、一つ、ある。「常夏」の(笑)この島では、「春の花」が年中咲いていたりするので「季節感」が希薄なのであるが、それでも、それこそ、「大寒」の後しばらくして、そう「二十四節気」では、まことに「立春」の頃、何日か太陽が顔を出して、暖かい日が続いた後、例えば、オニタビラコ(キク科)、などが、それこそ、一斉に、開花するのである。一度も授業に出席していないのに、アジビラめいたレポート一通で(笑)単位を出していただいた、今は亡き日高敏隆先生(!)の、「春の数え方」、だったかな?、新潮文庫、だったかな?、の、探すのが面倒なので(笑)、うろ覚えのまま書くが、花の開花を律するメカニズムには、「長日性」、「短日性」、これらは、それぞれ、日照時間がある一定量を越えるまたは下回ることを「合図」にして、花が咲き始める、だから、同じ地方では、まさに同時に咲く、ことになるのだろう、と、もう一つ、「積算温度」、という考え方があって、私は勝手に、この、オニタビラコ(キク科)、なんかは、これなんじゃないか?、と想像しているのだが、その名の通り、「示強変数」だった筈の気温を、足し算してしまうのである。もちろん(笑)、「掟破り」なんかじゃなくて、これは、ある一定温度より高い部分の温度「差」を、積算していって、それが一定値を超えると、開花がはじまる、というものであろうから、「温度『差』」には、ちゃんと「示量変数」の性質がある、例えば、平熱37度の私が、40度の発熱をしているときと、38度のときとを比較して、それは、(40-37)/(38-37)=3、ああ、3倍病状が重いのですね?、と言って、かまわない、「積算温度」開花、の場合でも、加算される温度差は、それだけたくさんの太陽光が降り注いで、地表に「エネルギー」、これはもちろん「示量変数」、が蓄積されたのだ、と言って、やはり、かまわない、のである。***久しぶりに、晴れて、気温も上がる。するってえと、こちらの「機嫌」も、よくなって、カメラをぶら下げて、外に出る、ことを「楽しめる」ようになる。ほんの数日前までは、「外に出る」のが、「恐かった」(笑)、のに?、久しぶりだから、鳥の写真を撮ること自体が楽しく(笑)、平凡な(笑)、ありふれた、ものでも、選ばず、どんどんシャッターを切る。これは、シロハラ(ツグミ科)。「冬鳥」だから、やがて去っていく。すると、またしても、「来年まで生きていられるかしら?」、などと「心配」することに(笑)、なる。オニタビラコ(キク科)。と言って悪ければ。で、「戻す」ほどの「話」ではないが(笑)、話を戻すと、私は、生まれてから、21209日、生きたらしい。さて、この間、何回、閏年があったのだろう、私は、何回2月29日を、「生きた」のだろう。私の今日までの生存期間に、西暦年号が100の倍数であるのは、2000年ただ一度である。ま、ほとんどの人は、ただ一度、で終わるんだろうけどね。で、その2000年は、閏年ルール(ii)(iii)(iv)をすべて満たすから、閏年、であった。ならば、1960,1964,1968,1972,1976,1980,1984,1988,1992,1996,2000,2004,2008,2012、と本日までに、[2015/4]-[1957/4]=503-489=14、14回、ということがわかった。それがどうした?、ではあるが、いや、まもなく15回目の2月29日を迎えるわけであるが、先日述べた、「次の素数まで、生きよう」ルールに従うならば(笑)、その次、2020年は、予定に入っていない(笑)のであったから。決して、「生きる」ことに「淡泊」(笑)なわけではないのだが、きっといざ「死ぬ」となったら見苦しくじたばたするのであろうが(笑)、え、その年って、「東京オリンピック」なんだろ?、そんなもん、二度も見る(笑)、もんじゃねぇ、ってば。***リュウキュウツバメ(ツバメ科)、シロガシラ(ヒヨドリ科)、ヒヨドリ(ヒヨドリ科)、であるから、当地においては、もっとも「ありふれた」、と言って悪ければ(笑)、なじみ深い(笑)「留鳥」たちである。シロガシラは、こんな風に、ホバリング、翼をはばたかせながら、滞空、するんだよ。それがちらちら見える。一度目の(笑)、東京オリンピックは、1964年だから、私が6歳、小学校一年生、多分そうだ、「学校から帰ってくると、アベベが国立競技場に入ってくるところだった」、記憶がある。世間では(笑)、この1964年、家電各社が「カラーテレビ」の販売を開始し、オリンピック目当てに、すでに「高度成長期」に差し掛かって、経済的に余裕のできた庶民層に、爆発的に普及した、と言われている。うちは、貧乏だったのと(笑)、両親とも「インテリ」の自負を持っていたのだろう(笑)、「低俗文化」(笑)と、やせ我慢(笑)していたんだろうな、この年、はじめて、「白黒テレビ」を購入したのだ。くっきりと覚えているシーンがあって、それは、閉会式、会期中に独立を果たしたアフリカの小国の選手団、開会式には旧宗主国の旗の下に行進していたはずの人たちが、わずか数人に過ぎないけれども、鮮やかな民族衣装に身を包み、いや、「白黒テレビ」だから色はわからなかったはずだけどな、「きらびやかだった」という記憶は残っている、自国の国旗を高々と掲げて、まことに誇らしく、歩いていた。競技場の観衆もまた、割れんばかりの拍手で、それを祝福したのだ。テレビの前の小学一年生が、「民族解放―社会●主義革命」、もちろんそんな言葉は知る由もないが(笑)、を、最初に刷り込まれることになった瞬間であった。半世紀を過ぎて(笑)、その国が、どこだったんだろう?、と調べようと思ったのだ。いや、毎度毎度(笑)、今更知ったって仕方のないことであるが、「冥途への土産」ってやつだね、記憶では、西アフリカの旧フランス植民地、と思い込んでいたのだが、もちろん、小学一年生に、なかなか「聡明そ・う・な・」お坊っちゃん(笑)で通ってはいたものの、いや、もちろんそれは褒め言葉ではなく(笑)、陰気で感じ悪い、ってことの「婉曲表現」だったんだがね、そんな地理学、政治学的知見があるとは思えないから、もちろん、ずっとのちに、それこそ「民族解放―社会●主義革命」などを標榜する「極●左・過●激派」(笑)に接近することになってからの、後知恵、「記憶の偽造」であろう。***同じく、「上機嫌」、久しぶりの撮影、水辺の渡り鳥たち、キセキレイ、ハクセキレイ、いずれもセキレイ科、そして、イソシギ、と、よく似た、クサシギ、いずれもシギ科。クサシギは、翼に隠れた腹の部分が純白で、飛ぶときにそれが見えると、イソシギとの区別がつきやすい。羽繕いで、それがちらちら見える。そう、まるで、「パンクス」、みたいに。まず、東京オリンピックの会期は、1964年10月10日から、同10月24日、この期間に独立した国を探せばよかろう、不本意ではあるが(笑)、「某・ペディア」の力を借りることにした。ところが、調査は、予想外に難航を極めた。西アフリカのみならず、およそ旧フランス植民地のアフリカ諸国は、ド・ゴールの政策であるらしく、1960年に、ほぼ、一斉に独立しているようなのである。この年は、だから「アフリカの年」として知られることになる。記憶と言うのは、あてにならないものである。西アフリカでもなければ、旧フランス植民地でも、なかった。他の宗主国、例えばポルトガルの場合だと、1974年、親ファシストのサラザールを、青年将校団が打倒する革命があって、「海外植民地の即時独立」という、マルクス主義の教科書のような理想主義的な政策を取ったことは、知っていた。「冷戦」と「中ソ対立」のさなかでは、しかし、アンゴラ、モザンビークなどのアフリカ植民地では、米中ソ三国がそれぞれ別のゲリラ組織を援助し、長年にわたる内戦・代理戦争を、チモール・レステ(東チモール)では、ただちにインドネシア軍による併合を、それぞれ帰結することになったことも。これに比べると、旧イギリス領の諸国の独立年は、ばらばらなようで、ガーナの1957年から、おそらく最後は、ジンバブエ、1980年であろう。これは、私の生きた時代だから、覚えている。多分、死の直前のボブ・マーレィが、「Zimbabwe」というアルバムを出したのは、解放戦争たけなわの頃だ。No more internal power struggle, that is the only way we can overcome our little trouble.Brothers, you're right, so right. Alright, we've gotto fightin' for our rights.聞き取りは、怪しいけどな。そのジンバブエは、植民地時代、「南ローデシア」と呼ばれ、イギリス人セシル・ローズが、自分の「個人的」な領土であるかのごとく振る舞ったことからその名がある。で、小一時間かかったが、結論が出た、隣接する旧「北ローデシア」、ザンビア、であった。***で、そのシギたちが、にわかに騒然と、鳴きはじめたのである。何が起こったのか?、と訝っていると、ほれ、上空をゆったりと、ミサゴ(タカ科)が横切ったわけである。ミサゴは徹底した魚食性で、多分、小鳥を捕まえたりはしないと思われるが、同じタカ科の猛禽類には、サシバもそうだけれども、鳥類を狙うものもいる。「猛禽」の形に、警戒するように、彼らには、刷り込みができているのだろうな。なんだか、顔の毛が、そう、「パンクス」みたいに(笑)、逆立っているよ?、あるいは、魚を捕まえようとしたときに、濡れたのだろうかね。