「名前」を奪われてしまうと、「カーディナル数」としてか、把握できなくなる。
白く波がしらが立っているところが「リーフ・エッジ」、だから、その手前が「エメラルド」、その向こうが「ブルー」、ないし、「ウルトラマリン」、ということになろうか。もっとも、これは太平洋側だから、水平線の先に「黒潮」があるわけではないけどね。手前の茶色い部分は、干潮で露頭した干潟だ。これも、リュウキュウキッカサンゴ(キクメイシ科)、と、スズメダイ科の魚たち、ミスジリュウキュウスズメダイ、と、デバスズメダイ。左端の方、デバスズメダイに似た色だけれども、形がもっと細長い。図鑑のどこを探しても、該当するものが見当たらない。ま、そういうことは、よくある(笑)。「世界」が、すべて、書物に記載されている、と思っては、いけない(笑)。シノビハゼ(ハゼ科)。「同居人」のテッポウエビ氏は、穴の中に隠れたままであるらしい。では、例えば「状態II」を例にとって説明を試みる。状態II (i)(ii)(iii)(iv)状態II4!×6!×5C3×5C15C3×5C14C3×6C21「ポジション」も「玉」も、区別がつく、という条件。「ポジション」に区別がつく、というのだから、上の図のように、「玉」・気体分子の存在しうる場所、各層に5個づつに、「名前」が付けられる。(左1,左2,左3,左4,左5,右1,右2,右3,右4,右5)、という風に。ところが(笑)、「状態II」という言い方にはもともとそんな含意がなく、ただ、「赤玉」が、「左」の層に3個、「右」の層に1個、ある、ということしか言ってない。そうなってしまうと、この図、状態IIは、数ある「状態」の、一つの例示、ということになってしまう。(左1,左2,左3,左4,左5,右1,右2,右3,右4,右5)、という風に表記できるだろう。このたった一例について、今度は、「玉」に区別がつく、という条件の下で場合の数を計算し、そのうえで、他に同じく「状態II」に該当するものが、上の例示以外にいくつあるかを考慮し、その分だけ掛け合わせなければならないわけである。「区別のつく赤玉」が4個あり、これを、(左1,左2,左3,右1)の4か所に並べ、その一つ一つの並べ方に対して、これと「独立」に、「区別のつく白玉」6個を、(左4,左5,右2,右3,右4,右5)の6か所に並べるのであるから、4!×6!、なのである。このような「例」がいくつあるかといえば、 (左1,左2,左3,左4,左5)の5か所から、「赤玉」を置くべき3か所を選び、これと「独立」に、(右1,右2,右3,右4,右5)の5か所から、「赤玉」を置くべき1か所を選ぶことになる。だから、5C3×5C1、もちろん、「白玉」について考え、5C2×5C4、としても、当然同じ値になる。「ポジション」には区別がつくが、「玉」には区別がつかない、という条件。上の(i)の後半で、既に説明になってしまっている。「赤玉」に個性がないのだから、どの「赤玉」であっても同じだ、つまり、どこに置かれているか、だけが、問題なのだから、ただ「ポジション」を、「左」なら5個から3個、「右」なら5個から1個、選べばよい。「赤玉」が決まれば、残りを「白玉」に割り当てるだけで、決定する。だから、5C3×5C1、となる。「世界」を数えるには、まず「区別がつく」として数え、しかるのち、「区別をつけない」というのなら、重複分を差し引く、のが原則だ!、みたいに大見得を切ってしまったから、ちょっと引っ込みがつかないが(笑)、どうも、この問題に関しては、(ii)を原則として考える方が素直なようにも思えてきた。無理矢理言い訳をすれば、(i)で求めた、4!×6!×5C3×5C1について、実は、4個の赤玉の並べ方4!、および、6個の白玉の並べ方6!は、重複だ、と言えるから、割るのである、と言ってもいい(笑)。「ポジション」には区別がつかないが、「玉」には区別がつく、という条件。箱の中のどこに置いてもいいのだから、「置く」以前に、置くべきものを選び出した段階で、話は終わっている。だから、例えば、「左」の箱に入れるべきものとして、「赤玉」を4個から3個、「白玉」を6個から2個、選べばよい。だから、4C3×6C2、となる。もちろん、「右」の箱について考え、4個の「赤玉」から1個、6個の「白玉」から4個、選ぶ、すなわち、4C1×6C4、としても当然、同じになる。「左」を決めれば、残りが「右」となって自動的に決まってしまう、同じく「右」を決めれば「左」が決まる、からである。「ポジション」も、「玉」も、区別がつかない、という条件。さて、上の、(i),(ii),(iii)は、それぞれ「場合の数」こそ、異なるけれど、各「状態」の持つ場合の数の比は、ぴったり一致しているのである。I:II:III:IV:Vの比が、いずれも、1:10:20:10:1となっている。確かに、当初の目的、「状態I」から「状態II」を経て「状態III」に至る変化は、「場合の数」が、すなわち「エントロピー」が、増大する方向に沿って進んでいる、と言えそうである。ところが、この、どちらも区別をつけない、条件では、著しく様子が異なってしまう。「もの」から、「名前」を奪ってしまうと、それは、もはや、数、まさに、「カーディナル数」としてか、把握できなくなるのだ、ということが、よくわかる。ここでは、「状態II」は、例えば「左(赤3、白2)、右(赤1、白4)」、と言った記法で表されてしまう。「左/右」どちらの箱にも、「玉」は5つまでしか入らない、かつ、「赤玉」は全部で4個、「白玉」は全部で6個、と言う制限を組み込むと、実に、例えば「左」の箱に入れるべき「赤玉」の個数を、変数xとすれば、他の3数も、自動的に(笑)、xのみによって決定されてしまうのである。すなわち、「左(赤x、白5-x)、右(赤4-x、白6-(5-x))」ところで、xの取りうる値の定義域は、x=0,1,2,3,4なるほど、これですべて尽くされているから、それぞれの「状態」は、xという数の取り方、つまり、一通りずつ、ということになってしまう。もちろん、分子の拡散モデル、という目的からは、この「数え方」は度を過ごした抽象化であり相応しくないのだろう。現に、「状態I」から「状態III」で、少しも「場合の数」が増えないのだからね。ここで、それぞれの1という数字を5つの「状態」について加算して、5通り、ということ自体が、ナンセンスにも、思える。でも、どうしてナンセンスなのか?、と、問われれば、それほど簡単でもないような気もする。という訳で、これ以上深入りもできそうにないから、今回は、終了(笑)。ある種の「背理」、ではある。「南」の海は、透明度が高くて、それは、紫外線が強すぎるから、プランクトンも棲めない「貧栄養」だということの証なんだが、だからこそ、サンゴという遮蔽物の陰に、多品種少量の「豊かな」生態系が、生まれる、ある種「背理」な訳なんだが、そんな強烈な陽光の元では、黄色やブルーや、赤や、艶やかな彩の魚たちに、まず、目を奪われてしまいがちだが、砂地の底や、岩陰にごそごそ蠢く、「地味」な色合いの魚たちを、見つけられるようになると、それもまた、なかなか捨てがたい味わいなのである(笑)。人々は、例えば家の中で、ゴキブリやダニやハエや蚊が出て来たら、眉を顰め、「汚い」、と叫ぶかもしれない。それは私だって否定しないが(笑)、でも、身の回りに、「生き物」の気配がする、ということが、やや不気味で、時には恐怖でもあると同時に、でも、安心でき、喜ばしいものでもあることを、たっぷりと時間をかけて学ぶことができたのである。コンクリートで打ち固めた護岸の内側に他所から砂を運んで来た「人造ビーチ」でさえ、ルリスズメダイが漂い、ヤドカリが砂の上を這っているはずなのだ。もし、「生き物」の気配がかけらもしない海があったら、その方がずっと「恐怖」に耐えないものに違いない、ということを知るべきだ。だから、この、穴を掘るテッポウエビと、見張りをするハゼ、の、微笑ましい(笑)「共生」、ごく小さいものなのだが、その動きを発見できたときは、嬉しくなってしまい、もう、見飽きている(笑)位なんだが、思わずカメラを回してしまう。半ば「憑りつかれ」てしまったから。この海岸のすぐそばの漁港の近くには、美味しい「沖縄風天ぷら」の店があって、きっと近年は観光ガイドブックにも載っているんだろう、いつも、行列ができるほどの賑わいなのである。したがって、観光客の皆さんは、その天ぷらの袋をぶら下げ、揚げたてのを齧りながら、海岸にやってきて、「うわぁー、綺麗な海!」と一様に感嘆の声をあげて、そうして一様にスマホで(笑)写真を撮り、そうして満足して(笑)、帰って行かれるのだ。私もかつてそんな観光客の一員だったのだから、鼻で笑ってみせたりするのはあさましい限り(笑)だが、「海」の「美しさ」は、「海」の「豊かさ」は(笑)、やはり水の中に入ってみないとわからないものなんだよ。ほら、岸からほんの数メートル、数十センチしかない水深を覗き込んでみただけで、こんなにもめまぐるしく魚が「走り回って」いる。これを見なくちゃ、「海」を見たことにならない、「海」の美しさに「驚いた」(笑)、ことにならない。それに半ば「憑りつかれ」てしまったから、私は、ここに住むことになったんだけれどもね(笑)。