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テーマ:介護・看護・喪失(5234)
カテゴリ:血族
福田康夫は昭和11年7月16日生まれ。
親父(昭和11年9月14日生まれ)と学年が同じだったわけね。 高齢批判があるとはいえ 71歳で人生の絶頂を迎えるって、政治家って若いねぇ。 父が亡くなって、はや一ヶ月。 光陰如矢。 あの喪失感から、もう一ヶ月経ったのかという驚きと共に いずれ必ず訪れる自分の死に向かって あっという間に一ヶ月分、歩を進めたという感慨があります。 いのち短し 戀せよ少女 黒髮の色 褪せぬ間に 心のほのお 消えぬ間に 今日はふたたび 來ぬものを ゴンドラの唄/芸術座「その前夜」(1915、松井須磨子) 東宝映画「生きる」(1952、志村喬) 作詞 吉井勇 作曲 中山晋平 (念のために書いておくと、テレ朝版「生きる」は観ませんでした。松本幸四郎が云々、ではなく、あの作品は当代最高の「脇役」が主役を演じてこそ意味があるわけで...) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
志村喬 良かったです。
幸四郎さん?は観ませんでした。 lapipapaは今年で20年です。自分が子供であろうとオトナになってからであろうと、親の死に直面しての後悔や感謝は同じだと思います。 lapimamaは、父の没年を越えたお誕生日に言いました。「年上女房になっちゃった」。 生きている人は改めてその日から生き始めるのですね。 (2007/09/24 10:55:56 PM)
幸四郎さんご自身は良かったですよ。
が、ナレーターが…個人的には…違和感アリでした。 ドラマもオーケストラも一緒ですね。 どれか一つが拍子抜けしていると そこばかりに気がいってしまって、 感動することが出来ませんでしたが 黒澤さんのメッセージはなんとなく分かりました。 ん、分かったような気がしているだけかもですが。 (2007/09/26 02:58:16 AM)
前夜の「天国と地獄」を観て「生きる」は期待できないなと思ったのも理由です。
有名な赤い煙のシーンって、すでにカラーの時代になっていたのに白黒で撮り続けた黒澤にとって初めてのカラー撮影(しかも全編通して赤い煙だけ!)に意味があるのに。「踊る大捜査線」で引用されていましたが、ちゃんと敬意を表してそのシーンだけ白黒になってました。そういう本質を捉える配慮が足りないと感じました。犯人の動機も曖昧にしちゃったし。「天国と地獄」なんだから格差社会の恨みとか明快にすれば良かったのに。 「生きる」はダメ男が死期を知って最後の一瞬だけ「生」を燃焼させることに意味があるからスターが演じちゃダメなんですよね。 「ゴンドラの唄」のシーンもあったと思いますが、主人公が若い頃に流行った歌だから意味があるんですよね。 (2007/09/28 07:11:31 AM)
幸四郎さんにダメ男って感じは、無かったです。
それでナレーションを、気の抜けた感じにしたのかと納得です。 でも、わざとらしさいっぱいの気の抜けた感だったので そこがあまり好きではなかったのですが、そういうことだったのですね。 (2007/09/29 02:44:20 AM) |
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