|
カテゴリ:カテゴリ未分類
いよいよ今年も9月に入りました。本日は防災の日でもあります。 地元紙が記しています。 琵琶湖の坂本城にいた関白豊臣秀吉は、マグニチュード8近い 天正地震に怯えて、大阪に逃げ帰ったそうな。 琵琶湖のナマスが取り沙汰されたらしく 秀吉は「なまつ大事にて候」と手紙を書いた。 地震とナマズを結ぶ最古の資料のようです。 その3年後秀吉は再び地震に見舞われ完成間近い 伏見城が崩落しました。天下人といえど、どうすることも出来ない 地震の怖さでした。
【二条城2.】 お城の中って、どんな構造に成っているのでしょう。下級武士から、殿様まで、そして「大奥」と、テレビで紹介されますが、実際に目の前に、見せてくれますのが、ここ【国宝・二の丸御殿】です。玄関には、龍安寺で、ご紹介した【懸魚】(げぎょ)が目立ちます下足を脱いで、スリッパに履き替えす。 順次各部屋ごとに、説明付のボタンが、設置されています。短いですからね利用されると面白く見られます。 【二の丸御殿】(国宝)桃山時代武家風書院造りの代表的な建物です。 •1. 【車寄】(くるまよせ)・遠侍に付けられた御殿の玄関です。欄間を見上げますと鶴・牡丹・鳳凰が見られます。聚楽第の遺稿といわれています。豪華ですね。 •2. 【遠侍】(とおさむらい)・柳の間・若松の間・勅使の間 お城に参上した大名や 外来客の控え室と成っています。 柳の間・若松の間・襖の絵により名付けられました。共に「目付役」が、 来殿者の受付をする所で、来殿者の心を和らげる雰囲気があります。 虎の間・三部屋に分かれています。大名の控え室で、虎と豹の絵が描かれています。説明では、当時生きた現物を見たことがないので。虎を雄・豹を雌との構想で、微笑ましいです。城の威厳。武将の厳しさを表現したのでしょう。何れも【狩野派】の絵とされています。 3.【廊下は鶯張り】知恩院でも、紹介させてもらいましたが、皆様が廊下を歩かれると、「きゅつ・きゅっ」と音がします。「忍びの者が、潜入してきても 直ぐわかる仕掛けとも言われています。後ほど、庭園に出られたときに、建物の廊下の下部を覗きますと、仕掛けが解かります。 先日、放映の伊達政宗ゆかりの「瑞巌寺」でも同じ手法とか。 4.【式台】式台の間・老中の間。 老中と参上した大名と挨拶を交わした場所 【狩野探幽25歳】豪華な老松が襖(ふすま)に描かれています。「切手」に登場しました。 東入り口の杉の戸の【八方睨みの獅子】何処から見ても正面を向きます。 5.【大広間】 「一の間・二の間」将軍と緒大名との対面所。最も大切な場所です。人形がずらりと並んでいます。将軍は、小姓と、上座に控え、「武者隠しの部屋」も控え、「桃山時代」の「武家風書院造り」典型をなします。違い棚・付書院、天井は二重折り上げ格天井(ごうてんじょう) この部屋で、【大政奉還の儀】(慶応3年10月14日)が行なわれました。265年間の徳川幕府でした。 国宝二の丸御殿玄関 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|