醍醐寺に行って、上醍醐の写真も追記しましたが、
日中は30度越え未だに、夏を思わせる気候で汗だくに成りました。
豊臣秀吉の醍醐の花見行列で有名な、桜の馬場も一人っ子人の
影もなく、この時期は、受付の女の人も退屈そのもののようでした。
桜の馬場、背景の山が上醍醐
醍醐三宝院面玄関
素晴らしい池泉回遊式の庭園が観られますが
監視つきの係員が各所に配置、写真を撮ろうとすると咎められました。
とても皆さんに紹介できないのが残念です。
【醍醐寺2】
前回ご紹介しました【上醍醐の准艇堂】は火災で焼失、現在は
下醍醐【女人堂】で納経の受付されています。
【下醍醐】豊臣秀吉が【醍醐の花見】として63歳1598年(慶長3年)3月15日北政所ねね・
淀君・秀頼同席で秀吉の生涯をしめくくるに相応しい豪華絢爛な宴を催しました。そして其の年の慶長3年8月18日伏見城で逝去、秋には紅葉狩りを考えていた醍醐三宝院の庭園も完成を観ずして終わりました。【伏見城跡】は、現在「明治天皇の御陵敷地内」で一般には見られません。「桃山城」は現代的に民間が建てたものです。
五重の塔
【五重の搭】【国宝】京都府内で最も古く、「応仁の乱」から免れました。
【金堂】【国宝】本尊薬師如来・日光菩薩・月光菩薩鎌倉時代の仏像で何れも【国宝】です。
国宝金堂
【御影堂】大師堂とも呼ばれ「弘法大師」並びに「開山理源大師」の木像を安置されています
【宝聚院】醍醐寺の霊宝舘で、国宝・重要文化財の展示物が多数観られます。
【醍醐三宝院】【庭園】は【特別名勝・国宝級】
1勅使門 表門の側にあります。門を四面に分けますと、桐・菊・菊・桐の紋が刻まれています。桐は「五七の桐の紋」で秀吉の紋です。菊は「皇室の紋」で、勅使の一行が訪問するときには、真ん中の桐の紋は、観音開きで隠れます。勅使を歓迎した意図の様ですが、閉めれば、桐が中央に構えた形になり、豊臣を謳歌したように工夫されています。
2.表書院【国宝】揚舞台之間・孔雀蘇鉄の間。畳を揚げると「能舞台」になります。
中段の間・上段の間は柳の四季を表し、床の間は松が画かれ、各部屋に段差があり、能の鑑賞が出来る様になっています。
3.加茂の三石。川の流れに沿った縞模様が見掛けられます。激流または、緩やかな流れと変化した表現がなされています。
4.【藤戸石】 (ふじといし)庭園の中心的存在で、【玉座】からも「真正面」に観られます。
「三尊石」の形式を採り、【天下人石】十五代足利義昭・織田信長・豊臣秀吉と天下人が、引き継いで、自分の物にしたと言う名石となります。ふじとを「不死人石」に掛けて願ったのでしょう。
5.庭園に「橋」が三種類あります。「石橋」「木橋」「土橋」と変化を表現しています。
6.庭園全体が変化に富み、左方片隅から、瀧の水の流れと静かな雰囲気の音も聞えます。
そして「鶴島」「亀島」が松の木を背負って飾っています。
7.護摩堂。本尊「弥勒菩薩」(快慶作)「弘法大師」「理源大師」が祀られて居ます。
前庭には、「苔」で瓢箪と杯(さかずき)とを現しています。藤吉郎時代、ねねの進言で、「功績」を成すにも誰も喜んでくれずだだをこねる主人に、瓢箪を飾ることを始めたとか、「千成瓢箪」
8.【奥宸殿・玉座】 正面に「藤戸石」が眺められます。
【日本三棚】「醍醐棚」「修学院離宮棚」「桂離宮棚」
見所豊富で、桜の咲くころは、訪れる人で満杯となります。