恋愛のちから
マリュシュと知り合ったのはあの街の大学での最後の年です。この大学には思い出がありました。何年も前の早春、ディマに「いい所へ連れて行ってあげる。」と手を引かれてこのメインの図書館のreading roomに入り、その圧倒されそうな建築様式を見て「わぁ・・・、すごい。」と胸を高鳴らせたのです。彼と一緒にこの図書館を訪れた時のインパクトはものすごく強いものでした。この大学のこの場所は一度ディマと一緒に私の心を置いてきた場所。その置いてきたものを取り戻さなくては私の人生は不完全だと思えました。だからここに編入したのです。でもこの街に戻ってきて大学に再び足を踏み入れた時、何かを変えなくては、と思いました。いつまでも思い出の影の中にうずくまったままいるわけにはいきません。ロシアを、思い出を通して見るのではなく正面から見てみようと思ったのです。だからロシアの文化を勉強することにしたのです。集中的に受講したロシア語も文学も、その他同時に取った歴史や政治のクラスなどは難しくてんてこ舞いでした。それでもその中でロシアのことを少しずつ知ることができるのを幸せに感じました。それまで「ディマ=ロシア」という私の中での事実をどうにも動かせないでいたのですが、少しずつ「ロシア」だけが自分の一部になっていくような気がしました。悲しい「ディマ」の部分が薄れていったのです。でも「薄れた」だけであって完全には消えていませんでした。それはあのreading roomに入ると相変わらず押し寄せてくる胸の中の苦しさが証明していました。そういう私の前に現れたマリュシュ。彼が私を泥沼のようなところからすくい上げてくれました。それまではディマのことを考えると辛くなっていたのですが、彼と知り合ってからはディマのことは考えなくなりました。考える必要がなくなったからでした。彼のことばかり考えるようになっていたからです。もしディマを思い出しても「どうでもいいこと」のように思えました。更には、ディマのことはまったく考えなくなりました。そうなれた自分に驚きました。長い間ありえなかったことです。同時にそうやって過ごせることがなんて爽やかなんだろうと思いました。マリュシュと文通していて直感的に感じたことがありました。それは「彼は自分を投げてでも私を守ってくれる人」であることです。ディマのその部分には少しだけども疑問があったのを思い出しました。マリュシュのそのような優越した部分が私の中のディマを追い払ってくれたのです。マリュシュも私も過去に大恋愛を経験した。その後遺症で苦しんだマリュシュはとても繊細な人。同じように苦しんでいた私だってきっと繊細なのだろう。繊細な彼の為に私自身の繊細な部分をさらけ出すことができる。彼も私のことを理解できるし、私も彼を理解できる。私たちはお互いを癒すために出会ったのだろう。そしてこれからお互いを幸せにするためにも。私とマリュシュが出会ったことは素晴らしいことでした。これで世の中の苦しんでいる人間の人口が2人減ったのだから・・・。マリュシュと文通を始めて以来、毎日のように胸をときめかせました。毎朝起きてメールを開ける瞬間。朝食もあとまわしでメールを読むのです。そこには彼が仕事から帰ってきてすぐに書いてくれたメールがあります。午後、授業が終わって図書館のコンピューター・ラボに急ぎ足で行ってまたメールを開ける瞬間。住んでいたシェア・ハウスは歩いて5分くらいのところだから帰ってからメールを読んでもいいのだけど、私はその5分すら待てなくて図書館にメールを見に行ったのです。それは彼が夜寝る前に書いてくれたメールです。ある日のメールには彼の写真が送付してありました。影になっていて顔はあまり見えませんが、ボサボサの頭でこちらを見ているその写真を見てモニターの前で一人でほほ笑みました。ふとコンピューター・ラボの大きな窓から外を見ると、明るい空と遠くにキラキラ雪を光らせているオリンピック山脈が見えました。自分はたった今あの山の頂上にいるみたいだ。季節は秋も本格的になった頃。文通3週間目。あちこちにはメープル・ツリーの紅葉して落ちた葉が積もっていました。シェア・ハウスから大学までの道も街路樹の落ち葉で埋もれていました。曇り空で雨が降ったあとらしくその落ち葉も濡れています。普通なら冷たい空気と葉のほとんど落ちた木々とで寒々しく感じる時期です。でもその時の私は違いました。その落ち葉を踏みしめながら私は幸せを感じました。落ち葉があってもなくても幸せだったのでしょうが。この広い世界の何千キロもの彼方に私の「運命の人」が存在している・・・。そのことを発見しただけでも私はなんて幸運なんだろう。この思いを彼に伝えたい。私がこんなに幸せだと彼に言ってみよう。私がこんなに彼のことを好きなんだと伝えよう。マリュシュへのメールに詩を添えました。...of the rainA drop of it on my skinchills my whole bodyI shiver and look up in the skythen I receive more drops on my cheekWhy is that you try to caress me so gently?A carpet of leaves on the streetdecorate the way ahead of meI listen to my steps as I walk then I feel the wet surface on each leavesWhy is that you try to lubricate my way?A darkness in the skyheavily lowers above my headI feel the weight with all my sensesthen I realize it’s even nearer to meWhy is that you are so close to me?I knew from the beginning you are in love the gentleness of you touched my heartyou can see from the way I receive youI , too, must be in loveNobody knowshow much I enjoy your touchand how much my body feels the warmthjust from one drop of you on my cheek...訳:「雨の雫」「雫が一つ私の肌に落ちる私の体はひやりとなる身震いして空を見上げるすると私の頬にはまた数滴落ちるどうしてそんなに私を優しく愛撫するの?落ち葉を敷き詰めたじゅうたん私の行く先を鮮やかに装飾してくれる歩きながら自分の足音を聞く落ち葉の一枚一枚が雨に濡れているどうして私の行く道を潤してくれるの?空に一点の黒い雲重々しく頭上に垂れこめる私の全ての感覚でその重みをとらえるするとますますそれは私に近づいているどうしてそんなに私のそばにいたいの?あなたが私を愛してるって最初から分かっていたわあなたの優しさが私の心をとらえたのあなたを受け入れる私を見て!私だってあなたを愛してるに違いないこれは誰も知らない秘密あなたの愛撫に私はうっとりするのそして頬に落ちた冷たいその口付けが私の体を熱くするの」