もっと近づいて
先日の事故で死について考えさせられたのですが、実は死について考えるのは今に始まったことではないです。ただ、自分の死をイメージするという意味ではないです。自分の死については具体的に考えた事ないです。その代わりよく考えるのは、先日と同様に「死は突然やってくる」ということです。だってボーリャがそう言ったから、「人は不死ではないからね。」、って。もちろん自分のことをそう表現したわけで、持病の癲癇ことを言ってます。実際はもっと長い文章(英語)を言ったのですが、↑では日本語に訳しにくいので単純化してます。彼の言った文章がすごくボーリャらしい知的な言い方だな、と思ったのでその瞬間に暗記してしまいました。↓普段からボーリャは間接的に、それもややこしい言い方でモノを言う人なのです。「The matter is that a man is not immortal, but he is suddenly immortal.」(訳:問題は人が不死でないことではなく、突然にそうなってしまうことだ。)= 人は突然に死んでしまう事もあるんだ。それは最初から分ってました。ボーリャが持病のことを打ち明けてくれた時、「死」については直接話し合ったりしなかったけど、彼の言いたいことのうちに「死」が含まれているのにすぐ気が付きました。でもボーリャに出会うまで私はまだ死を身近に考えた事がなかったので、はっきり言って考えるのはちょっと恐ろしかったです。その後は少しずつ考える機会も増えました。ボーリャがお医者なのもあってこれまで人の死を見てきたこともあり、それを当然のことのように話してくれたし、自分の持病のこともそうだし。その間私も死について本で読んで納得することもあったし。人の死についても考える機会があったし。死がグッと身近になったという感じです。そんなに恐れるものじゃないんだと思えるようになりました。自分から死のうという意味ではないです。どんな辛い状態にあっても生き抜くことに意味がある、と本にあるのにも納得したので。一方ボーリャは、持病が始まった子供の時分から死について考えてきたのです。いつ死がやってきてもおかしくない病気なので。だからでしょうね、哲学などたくさん研究しています。死を恐れないように心を鍛えているのでしょう。そんなのに比べたら、私はなんと未熟!ボーリャはなんて大人!(←時々子供ですが)私がボーリャと出会って死についてたくさん考えるようになったことをボーリャはあまり知らないと思います。彼のレベルに比べると格段下ですから分らないでしょう。それもあってボーリャは「僕と一緒になったらいけない」と考えているのでしょうね。楽天的でチャランポランしているから、ね。こんなんで突然死に出会ったらパニックして路頭に迷うだろうから、って。楽天的でチャランポランしてるのは今も変わりないけれど、死について身近に考えるようになったのは以前とは違っているところ。これはボーリャは気付いていない。死と同時に生きることについても考えるようになったのよね。これもボーリャは気付いてないかも。それとも実は全部気付いてるかも?そうかも知れない。書きまくったメールにそういうこと見えてたかも?気付いていたってボーリャはどうせ「僕と一緒になったらいけない」って言うのでしょうけどね。彼は自分よりも私を優先させようとするでしょう。ボーリャに近づけるように今後も続けたいと思います。そして私が少しずつ近づいていることも知ってもらわなくては。彼が今よりもっと安心できるように。ブログランキングに参加しています↓にほんブログ村