「自由になるということは」(自由になるための学び)
「自分が自分のリーダーになる」ということは「自由になる」ということでもあります。自分の人生のハンドルを自分で握るということですから。「自由である」というのは単に「他者からの束縛がない」という状態ではないのです。自分の人生のハンドルを、ちゃんと自分の手で握っているかどうかなんです。誰かに従うのも、従わないのも自分の意志で行っているのなら自由です。極端なことを言うと、自分の意志で牢屋に入るのなら、牢屋の中にいても自由なんです。でも、誰からの束縛も受けていなくても、人目を気にして生きている人は不自由です。自分の中の不安や恐れに支配されている人も不自由です。何も知らない人、何も出来ない人も不自由です。ダンスを学んだことがない人に「自由に踊ってもいいよ」と言っても、自由には踊れないものです。本人は自由に踊っているつもりでも、しばらくすると同じ動きを繰り返すだけになってしまうのですから。それが「癖」というものなんですが、「癖」もまた人から自由を奪っている「檻」なんです。でも、癖に囚われている人は自分が不自由な状態であることに気付きません。癖は、見ることも触れることも出来ない空気みたいな存在だからです。自分勝手なことをやっている子も実は不自由なんです。それ以外の方法を知らないのですから。だから自由になるためには「学び」というものが必要になるのです。そして、子どもの育ちに必要なのも「競争に勝つための学び」ではなく「自由になるための学び」なんです。<明日に続きます>