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能動的に考えることが出来る人と、受動的にしか考えることが出来ない人の違いを考えてみます。
子どもの場合ちょっと見て分かる問題なら挑戦しても、ちょっと見ただけでは分からない問題の時にはすぐにあきらめてしまう子がいます。そういう子に「考えてごらん」と言っても「分からない」と繰り返すばかりです。「難しい=分かんない=思考停止」という連鎖です。そして、少しも行動とつなげようとはしません。 こんな時、能動的に考えることが出来る子はまず色々なやり方を試してみます。現場での試行錯誤です。どんな場合でも、分からなくても分からないなりにやってみることは出来るわけです。 持っている知識を動員してとにかく色々とやってみるのです。その過程で解決への糸口を見つけることが出来る場合もあります。ただ失敗を繰り返すばかりの時もあります。ですから、失敗を恐れる子は能動的に考えることは出来ません。 それはこんがらがってしまった毛糸玉をほぐすようなものです。とにかくあっちをひっぱたり、こっちをひっぱたりしているうちにどこがどうなっているのか見えてくることがあるのです。それを何にもしないでただ眺めていても決して糸口は見えてきません。 能動的に考えることが出来ない子はただ眺めて、悩むことしかしません。 それでも分からないときには人に聞くか、本やネットで調べようとします。つまり、自分とは違う知識や視点を得ることで問題を解決しようとするのです。自分の力で出来ないときには他者の力を借りるのです。ただし、そこで相手に任せてしまうような人は自分で考えることが出来ません。「私には出来ないから代わりにやって」ではダメだと言うことです。 それはつまり、ネットの答えを丸写ししたり、本の引用だけで誤魔化してはいけないということです。回答を見てその回答を書き込めば確かに正解です。でも、それでは考えていることにはなりません。ですからなんにも学ぶことが出来ないのです。でも、そのような作業しかやっていない大学生がいっぱいいます。マニュアルで問題を処理しようと考える人も同じです。育児書通りに子育てをしようとする人も同じです。 マニュアルは能動的に考えることが苦手な人にとっては救世主かも知れません。自分の頭で考えなくても、考えている人と似たようなことが出来るからです。 でも、それに頼っていたら他人に依存するだけの人生しか送ることが出来ません。会社を解雇されたら立ち直れないということです。マニュアルに依存することに慣れている人はマニュアルに書いていないことが起きたときには途方に暮れるばかりなんです。 自分の頭で考えようとするのなら、とにかく調べて学んだことを使って再度色々とやってみるのです。偉い人が言った言葉だからといってそれをそのまま信じてはいけません。自分の心とからだと頭で納得するまではあきらめずにそれを繰り返すのです。それが「能動的に考える」ということなのです。 能動的に考えることが出来る人(子)は頭だけでは考えないのです。 ですから、能動的に考える人は行動することに躊躇しません。思いついたらすぐに行動に移します。それは一種の「癖」ですから、苦手な人でも意識してそれを繰り返していくうちに無理なくそういうことが出来るようになります。癖として身に付くまでは苦しいかも知れませんがそこで逃げてしまっていてはいつまで経っても能動的に考えることが出来るようにはなりません。 実は、問題に突き当たったとき、「分かるか分からないか」という事にはたいした意味はないのです。大切なのは「分かるようになるためにはどうしたらいいのか」ということを考え、それを行動に移すことなんです。そうすればいつか分かるようになるのです。 でも、学校では「今分かるか分からないか」、「正解か正解ではないか」しか大切にしていません。そして正解を教えてはくれますが、正解の求め方を教えてはくれません。(そんなことを教えている時間もないようですけど) だからマニュアルに依存することしか出来ない人ばかりが増えてしまうのです。 そしてそれは先生達自身がマニュアルに依存しているからでもあります。学校の先生達はマニュアルが大好きなんです。(もちろんそうでない先生もいますが、マニュアル依存の先生の方が圧倒的に多いようです。) マニュアルがあると、自分の実力以上のことが出来るからでしょうか。 でも、それは先生達だけの責任ではありません。政府が先生達に政府が作ったマニュアル通りに授業を進めるように求めているからでもあります。ですから、自分の頭で考えようとする先生達は非常に苦しい状態に追い込まれてしまうのです。 そのことが日本の教育の平均値を引き上げているのかも知れませんが、同時に日本の教育の可能性を狭めてしまっていることも事実です。 欧米の試験ではどれだけ自分の独自の考え方を持っているのか、どれだけしっかりと考えたのかと言うことが採点の重要なポイントだと聞きます。それが正解であるかどうかではないというのです。ですから、試験でも参考書や辞書や電卓の持ち込みが許されていることも多いようです。 参考書や辞書を見ればすぐに分かることをどれだけ多く覚えたのかと言うことだけを学力の基準にしている教育では、自立した人間を育てることは難しいでしょうね。 だから、日本では自由に考えることが好きな人は海外に出ていってしまうのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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