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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2014.09.17
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カテゴリ:カテゴリ未分類
最初にちょっとお知らせです。

9月21(日)に茅ヶ崎市勤労市民会館4Fの練習室で「遊びの会」をします。
10:00~11:50


次回のテーマは「音で遊ぼう」です。みんなで太鼓を叩いて演奏したり、踊ったりします。

「遊びの会」は毎月一回やっている活動で、幼稚園や小学校に入った子ども達に、テレビやゲーム以外の遊びの楽しさを体験してもらう会です。

大人も一緒に遊びます。

参加費は一家族1000円です。

いつもはMLで情報を流しています。

ご興味のある方はご参加下さい。

********************


皆さんはお子さんがどこかで花を摘んできて「お母さんあげる」と渡されたらどのように反応しますか。

これはワークなどでもよく聞く質問なんですが、一番多い答えは「ありがとう、と言って受け取る」というものです。

でもこれではそこで話が終わってしまうのです。

子どもと遊ぶのが下手なお母さんは大抵このように答えて終わりです。

この時、「どこで摘んできたの?」と聞き返せば、その場所の情景や、摘んだときの様子なども話してくれるかも知れません。
さらには、「今度お母さんも一緒に行こうよ」という話に発展するかも知れません。

「このお花、なんていう名前かしら?」と言えば、一緒に図鑑を見る遊びが始まるかも知れません。

「どの花瓶が似合うかな」と答えれば、一緒に花瓶を探したり、生け花のように生けて遊ぶ遊びが始まるかも知れません。

匂いを嗅いでみて匂いの話をしたり、色の話をしてみるのも面白いです。

造形が好きなお母さんだったら「押し花」にして遊ぶことも出来るでしょう。

お母さんが子どもの行為を肯定的に受け取り、その反応を子どもに返して上げることで、子どもはまたそれに反応して色々なことを言ったり、やったりするのです。

そこから「遊び」が始まるのです。


「ありがとう」だけではそこで終わってしまうのです。

そして子どもは寂しい思いをするでしょう。

子どもはお母さんが「何か」を返してくれることを期待して、お母さんに話しかけるのですから。

皆さんも、お父さんが仕事に出かけている間に起きたことを、お父さんが帰ってきてから報告することがありますよね。

そんな時、「そう、それで」とだけ返事をされたら寂しくなりませんか。


実は、「子どもとの遊び」はキャッチボールのようなものなのです。

お母さんが、子どもが投げてきたボールを子どもが喜ぶように返して上げれば、子どもは必ずそのボールを返して来るのです。

子どもはキャッチボールをしたくてお母さんにボールを投げるのですから。


そして、その繰り返しが「遊び」になるのです。

でも、多くのお母さんが、そんな子どもの気持ちを理解せず、ただ「ありがとう」と言って子どもが投げてきたボールをそのまま受け取ってしまいます。

それではキャッチボールは始まらないのです。

確かに、「ありがとう」も言わず、「バイ菌が付いているかも知れないから外でこういうものに触れてはいけません」と叱りつけるよりはましですが、でも、子どもの想いを理解していないという点では同じです。

これは子どもの「イタズラ」においても同じです。

ちなみに、どんなに「イタズラ」ばかりしている子でも、本人はそれを「イタズラ」だとは認識していません。

子どもはただ、自分の興味や好奇心に従って行動しているだけだからです。

洋服をドロンコだらけにしてしまうのも、障子を破るのも、壁や自分のからだにお絵描きをしてしまうのも、髪の毛や洋服をハサミで切ってしまうのも、食べ物を手でグチャグチャやってしまうのも、みんな「子どもが楽しく遊んだ結果」であって、「イタズラ」を目的として行動しているわけではありません。

最初に書いた「お花を摘む」という行為も、「汚いものに触れるイタズラ」として子どもを叱っているお母さんもいるかも知れませんが、子どもにしてみれば「汚いもの」に触れたのではなく、「綺麗なお花」を摘んだだけです。

そのため、なんで叱られたのか理解出来ません。

そんな時、子どもが感じるのは、「何だか分からないけどお母さんが突然怒り出した」という驚きと恐怖だけです。


実は、そのようなお母さん達が「イタズラ」として叱るのは、「お母さんが困ること」ばかりです。

お母さん達は「自分が困ること」を全部「イタズラ」と決めつけてしまうのです。そして、イタズラばかりしている子を「悪い子」だと言います。

でも、その子どもの行為を「遊びのきっかけ」として受け取ってしまえば、それは「イタズラ」ではなくなってしまうのです。

子どもは障子を破って「悪いこと」や「イタズラ」をしているのではなく、ただ「障子を破って遊んでいる」だけなのです。

そう考えるだけで子どもは「障子を破る悪い子」ではなく、「よく遊ぶ子どもらしい子」に変わるのです。

そして、そのような認識が子どもの自己肯定感を育てるのです。


だからといって、障子を破られたら困ります。ですからそれをそのまま肯定することは出来ません。

でも、子どもが「破る」という行為を遊んでいるのなら、新聞紙などを使ってその「イタズラ」を「破り遊び」につなげることも出来るのです。

子どもの行為を「イタズラ」や「悪いこと」と認識してしまえば、止めさせるしかないのですが、「遊び」と認識すれば、それを別の形に発展させることが出来るのです。

「イタズラ」もまた、子どもがお母さんに投げたボールなのです。


それをどう投げ返すのかが大切なのです。「怒り」で返すか「遊び」で返すかです。

そこから「遊び」も、「仕付け」も、「子育て」も始まるのです。






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Last updated  2014.09.17 08:27:45
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