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昨日からの続きです。
そもそも「オモチャ」という概念は大人が作ったもので、子どもにはその概念はありません。 これは「食べ物」とか、「お金」とか、「約束」というような言葉でも同じです。 大人はこのような「脳が創り出した概念の世界」に生きていますが、「感覚が創り出す心の世界」に生きている子ども達には、そんなもの存在していないのです。 ですから、お母さんが「約束しなさい」などと言っても無駄です。「約束」という概念が理解出来ないからです。その時、「分かった?」と聞けば「わかった」と答えますが、それはお母さんに「わかった」という答えを求められたから、そう言っただけのことです。 「食べ物で遊んではいけません」と叱っても無駄です。「食べ物」という概念が理解出来ないからです。 子ども達は「オモチャ」という「物」で遊ぶのではなく、「感覚」と「ファンタジー」(心の世界)で遊ぶのです。 逆に言えば「感覚」と「ファンタジー」に響くものは、小石でも水でも食べ物でも、大人の概念とは無関係に全て「オモチャ」なのです。 もっと言えば、空想の怪獣やお友達といった「心の中にしか存在していない相手」とだって、あたかもその相手が目の前にいるかのように遊べるのが子どもなんです。(大人がこれをやったら「危ない人」という評価がつきます。) 大人は「食べ物はオモチャじゃない」と考えますが、子ども達にとってはグチャグチャが楽しければ、それはちゃんとした「オモチャ」なのです。 ですから、「食べ物ではなくオモチャで遊びなさい」などと子どもを叱っても、子どもにはその意味が理解出来ません。 また、「感覚」と「ファンタジー」(心の世界)に響けば、森の中で拾ってきた「どんぐり」も立派なオモチャになります。逆に、お母さんやお父さんが買って来た何千円もした「オモチャ」でも、子どもの「感覚」と「ファンタジー」(心の世界)に響かなければ、大人にとっての「どんぐり」と同じ無意味なものに過ぎません。 私は子どもとの遊びで、よく布を使います。そして子ども達は布で遊ぶのが大好きです。 「布」や、「どんぐり」や、「小枝」のような「自然を感じるもの」は、子どもの「感覚」や「ファンタジー」(心の世界)に働きかけやすいのです。 でも、「布」を「オモチャ」だと思っている大人は多くありません。 ただし、ただ「布」や「どんぐり」を置いておくだけではそれは「オモチャ」にはなりません。それが子どもの「感覚」と「ファンタジー」(心の世界)に響くような働きかけが必要になるのです。 日常的に、お母さんとの関わり合いを通してそのような働きかけを受けている子どもは、「布」や「どんぐり」のようなものでも充分に遊ぶことが出来ます、でも、その働きかけを受けていない子は、そのようなものでは退屈してしまいます。 そして、テレビやゲームのような「刺激が強いオモチャ」や、「遊び方が分かるオモチャ」や、「遊んでくれる人」や、「遊んでくれるオモチャ」を求めます。 その「働きかけ」とはどのようなものかというと、例えば、宮沢賢治の「どんぐりと山猫」という童話を読んでもらっている子と、そのようなお話を聞いたことがない子とでは物理的には同じ「どんぐり」でも、子どもの感覚やファンタジーの世界への働きかけ方が全く異なってきます。 「お話」や「物語」には、子どもの「感覚」を活性化させ、「ファンタジー」(心の世界)を豊かにする働きがあるからです。 ですからお話をいっぱい語ってもらったり、絵本をいっぱい読んでもらっている子は遊び上手に育つのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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