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今日で、この面倒くさい話を終わりにします。
私はこういうことを考えるのが好きなんですが、でも多分、そんな人間は少ない思うので・・・。 ********* 生き物にとって「感覚」は、常に周囲の状況を感じ、その場、その時に最適な反応や、最適な行動をするためのものです。 これは植物でも、昆虫でも、動物でも、人間でも同じです。 そのため、常に自分の「外側の世界」に向けられています。 「疲労感」や「空腹感」のように、「自分の内側」を感じる感覚もありますが、でもそれらは自分を「他者」として感じる感覚ではありません。 そして、人間は「他者」として認識出来る対象しか意識化することができません。 「他者」でないものは、見えても見えず、聞こえても聞こえず、感じても感じないのです。 それは目の中の「盲点」と同じです。脳には見えているのですが、意識化出来ないのです。 だから、「相手のこと」は分かるのに「自分のこと」は分からないのです。 それは、月や太陽が動いていることは認識出来ても、自分が乗っている地球が動いていることは認識出来ないのと同じです。 そして、「自分のこと」が分からないのですから、「自分」を変えることも出来ません。 多くの人が「自分」を変えたいと思っていますが、でも、「知らないもの」を変えることなど出来ないのです。 それにしても人間は不思議な生き物です。 自然界には無数の種類の生き物がいますが、「自分で自分を変えたい」などと思っている生き物は人間だけです。 それは、人間だけが「意識」という不思議な働きを持っているからです。 この「意識」の働きがあるから、人は「自分」というものを認識することが出来るのです。 そしてその働きによって、「自分の心」「自分のからだ」「自分の記憶」「自分の生命」「自分のプライド」といった「自分の・・・」というものを持つようになったのです。 だから「自分を変えたい」などと思うのですが、でも実は、この「自分」という意識が人間の全ての「心の苦しみ」の原因でもあるのです。 「自分」という意識が、「自分」と「他者」を分離し、対立や、戦いや、競争の原因にもなっています。 「自分」を守るために他者をやっつけたり、競争に勝とうとするのですが、相手も同じことをしているわけですから、相手にしたことは自分に返ってくるのです。 でも、本当は「自分」というものは実在していないのです。それは意識の働きが作り出した錯覚に過ぎません。 それは、「意識」という「鏡」に写った像のようなものです。 みんなが一人一個ずつ「鏡」を持っていて、それぞれが、そこに写っているものを「これが自分だ」と言い合っているのです。 よく、「死ぬときには何も持って行けないんだよ」などと言いますが、「鏡」に写っているだけのものを持っていくことが出来ないのは当然のことです。 それなのに、人は常に「自分」を基準にして、考えたり、感じたり、行動しています。 そして、「自分」は常に変わることがない存在だ」と思い込んでいます。 それは「地球」を基準にして星の動きを観察しているようなものです。 確かに、地球上の人間が地球を見れば静止しています。 それと同じように、「自分」という意識から観た「自分」もいつまでも変わりません。 でも実は、客観的な視点では「自分」は常に変化しているのです。 「昨日の自分」と「今日の自分」は同じではないのです。 「心」の状態も、「からだ」の状態も異なります。 「細胞」も日々入れ替わっています。 絶対だと思い込んでいる「記憶」すら日々変わっています。 実は、人間の記憶は簡単に変わってしまうのです。でも、どういうわけだか、本人にはその変わったことが認識出来ない仕組みになっているのです。 「意識」すら消えたり現れたりしています。でも人間は、「意識」が表れているときしか自分を意識出来ませんから、「意識」が消えている時間がいっぱいあるのにもかかわらず、「意識」が消えている時間を意識することが出来ないのです。 それはCMを勝手にスキップして再生するビデオのようなものです。 私は子どもの頃3年間ぐらい柔道の道場に通っていたのですが、時々5段以上の人が来て指導してくれました。 そうすると、不思議なことが起きるのです。立って歩いていたはずなのに、気付くと畳の上に倒れているのです。いつ倒されたのかが分からないのです。 意識の隙間を狙われたのでしょう。 でも、初段とか三段ぐらいの人ではそういうことは起きませんでした。倒される瞬間の記憶があるのです。 ですから、頑張って練習して上達すれば抵抗することも、反撃することも出来るでしょう。 でも、知らないうちに倒されてしまうのは、単に技術が上達するだけでは解決出来ない問題です。 人間の「意識」は自分に取っては絶対ですが、でも、あまりそれに依存しすぎると足をすくわれます。 地球が動いていることを知るためには星の観察をして、その動きの合理的な仕組みを考える必要があります。 見たまま、感じたままを信じるのではなく、他者との関係性の中でそれを理解するのです。 相手の状態を「自分の状態の鏡」として理解してみるのです。 子どもがイライラしているのは、お母さんがイライラしているからかも知れないのです。 その繰り返しの中で、「自分のこと」が分かってくるのです。すると、「自分」が変わっていくのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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