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森の声

森の声

2019.06.07
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カテゴリ:カテゴリ未分類
大人から見たら子どもは未熟で不完全な存在です。

だから、「ちゃんと教え、ちゃんと鍛え、ちゃんと導かなければならない」と考えているのでしょう。

でも実際には、子どもは「子どもとして」完全な存在であって、決して「未熟な大人」ではありません。

大人が大人を基準にして子どもの状態を判断しているからそう見えてしまうだけのことです。

陸上の動物が、陸上の動物を基準にして水の中の生き物を判断したら、陸上で暮らすことが出来ない水の中の生き物はみんな未熟な存在です。

でも逆に、水の中の生き物を基準にして陸上の動物を見たら、水の中では生きることが出来ない動物たちは未熟な存在です。

ですから、これは「どちらを基準にするか」というだけの問題であって、客観的に見て「どっちの方が優れていて、どっちの方が劣っている」という問題ではないのです。

同じような勘違いは男性と女性の間にも、国と国の間にも起きています。
日本人を基準にして外国人を見たらみんな「未熟な人間」でしかありません。
靴のまま家に入ったり、机に座ったり、箸が使えなかったりするのですから、子どもと同じように、ちゃんとしつけなければなりません。

でも、日本人がそのような文化の国に行ったら、日本人の方が未熟な人間になってしまうのです。

若者は老人を「自分たちより劣った存在だ」と考え、老人は若者を「自分たちより劣った存在だ」と考えています。

そしてお互いに上から目線で相手と関わろうとします。だからトラブルが起きるのです。

どんな場合でも、自分を基準にして相手を判定すれば当然そういう結果になってしまうのです。

それと同じことが大人と子どもの間にも起きています。

大人を基準にしたら何にも知らない、何にも出来ない子どもは未熟な存在です。でも、子どもを基準にしたら、歯も抜け替わらない、からだも成長しない、夢中で遊ぶことも出来ない大人は未熟な存在です。

「どっちを基準にするか」というそれだけのことなんですが、大人達は「自分たちの方が子どもたちよりも完璧で、正しくて、偉い」と考えてしまっているのです。

そしてその誤解や思い込みが、「子育て」や「教育」をおかしなものにしてしまっているのです。


確かに、子どもは大人が創った世界のことは知りません。大人のルールも、大人の技術も、大人の知識も知りません。

そして子どもが子どもの世界の中で遊んでいるときにはそういうものは必要ありません。
でも、子どもはやがて大人になります。だから、大人になるための準備が必要になります。

子どもも本能的にそのことを知っています。だから大人のことをよく見て真似をしようとします。無理に教えようとしなくても、自分の意思で大人の言葉を学び、大人の知識を覚え、大人の技術を身につけようとします。
そういう「成長への意欲」という点では、大人は子どもに敵いません。

そして、その手助けをするのが子育てや教育の役割でもあります。

ただ問題は、大人が子どものことを「未熟な存在」と決めつけ、上から目線で、大人のやり方をそのまま子どもに押しつけてしまっていることです。

それは例えば、日本に来た外国人に、「なんで日本語を話さないんだ」「なんで箸をちゃんと持てないんだ」「なんで靴のまま家の中に入ろうとするんだ」「なんで敬語を使わないんだ」と、日本語だけで、しかも上から目線で非難、否定し、一方的に「日本人としての正解」を押しつけるのと同じ行為です。

でもそんなことをされたら、せっかく日本が好きで日本に来た外国人でも、日本人に対していい印象は生まれませんよね。
日本のことを学びたいという気持ちも萎えてしまいますよね。

英語しか話せない人には可能な範囲で英語で説明する必要もあるでしょう。「どっちが上」という意識ではなく、「単なる文化の違い」として、相手の文化を肯定しながらも日本人のやり方を教える必要もあるでしょう。

そして、子どもと関わるときにも、同じような意識の使い方が必要になるのです。
子育てや教育に関わる人は、子どもの立場に立って子どものことを理解し、子どもの言葉に耳を傾ける必要があるのです。

そして、子どもは「子ども」として尊敬される必要があるのです。
大人が子どもを尊敬するから子どもは大人を尊敬し、大人の言葉に耳を傾けるのです。
そこで、子どもの成長につながるような子育てや教育が成り立つのです。


大人でも、自分のことを馬鹿にしている人から学びたいと思う人はいませんよね。
それと同じです。





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Last updated  2019.06.07 15:33:58
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