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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2019.07.14
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カテゴリ:カテゴリ未分類
人は嬉しいときには笑い声を上げ、悲しいときには泣き声を出します。他の人と共感したいときにも声を出します。驚いたり、感心したり、ビックリしたり、喜んだときにも声が出ます。相手を脅かすときにも、愛をささやくときにも声を出します。

自然界も多くの音を出しています。

風の音、雷の音、水の音、葉っぱと葉っぱがこすれる音、歩く音・・・・

書き出していったら切りがありません。

そして、その自然界の音も「人の声」と同じように「人の感情」に働きかけます。

雷の音が聞こえると驚いたり、恐怖を感じたりします。
海の波の音を聞いていると心が落ち着きます。
風が強い日の風の音を聞いていると、心は遠くまで飛んでいきます。

私は、「風の音」が大好きです。

「アルプスの少女ハイジ」の映画を見ていて、都会に出て石造りの家に住んでいたハイジが、風が強い日に突然「風の音が聞こえる」と窓を開けるシーン(私の記憶ではそうなっていますが、もしかしたらちょっと違う描写だったかも知れませんけど・・・)を見てジーンとなりました。

他のシーンの記憶はないのですが、そのシーンの記憶だけがあるのです。

私は庭がそのまま山につながっているような家で育ちました。庭には普通に沢ガニが歩いていました。蛇や蛙やモグラもいっぱい出ました。

日常的に自動車が通っている道からは何百メートルも離れていました。

で、いつも聞こえていたのは風に揺れる木の葉の音だけでした。私は「風に揺れる木の葉の音」を子守歌に育ったのです。

そのためか「風の音」を聞くだけで、心が遠いところに飛んで行ってしまうのです。


これは私の個人的な体験に過ぎませんが、その個人的な体験を超えて、「声」や「音」には相手の感情を巻き込む働きがあります。

その際、心とからだの中にその音と似たような波長を持っている人ほど強く、その声や音の影響を受けます。気質も関係しています。

心の中に「風の波長」を持っている人は「風の声」を聴くことが出来ます。でも、「機械の音」に対する波長しか持っていない人は「風の音」に共鳴することはありません。「風の声」を聴くことも出来ません。そのような人にとっては「風の音」はただの「音」です。


赤ちゃんの泣き声は、お母さんの感情やからだにダイレクトに響きます。お母さんのからだは赤ちゃんのからだとリンクしやすい状態になっているからです。

そのため簡単に「赤ちゃんの泣き声」によって「お母さんの感情やからだ」が「赤ちゃんの感情やからだ」とリンクしてしまうのです。

だから「お腹がすいた」という泣き声を聞くだけで自動的におっぱいが張るのです。

赤ちゃん泣き声は、頭の働きを介さないと理解出来ない大人の言葉とは違い、頭を通さずいきなりお母さんの感情とからだの中に入ってきてしまうのです。だからこそ、言葉を持っていない動物たちでも適切な子育てが出来るわけです。

でも、お父さんは赤ちゃんと共鳴する波長を持っていないので、お父さんにとっては赤ちゃんの泣き声はただの「音」に過ぎません。ですから頭で解釈しないと、その意味が分かりません。お母さんのその苦しみも分かりません。

だからこそ「解釈しようとする努力」が必要になるわけです。

人は自分の中の波長に共鳴する音楽を聴きたがります。子どもはキーが高くハイテンポの曲を聴きたがります。年を取ってくると、キーがあまり高くなく、ゆっくり目のテンポの曲の方を聴きたくなります。

人は音を頭ではなく、感情やからだで聞いているので、感情やからだの状態が違ってくると聞こえてくる音や、聞きたい音が変わってくるのです。

老人になってくると、高い音が聞きにくくなるようです。ただ問題は、その高い声があるレベルを超えると、ものすごく攻撃的に聞こえてしまうそうです。
だから、老人の中には、子どもの甲高い声に異常に反応する人がいるのです。

老人でなくても、ストレスが溜まっている人ほど「子どもの甲高い声」を不快に感じます。

ストレスが溜まると、人のからだは緊張でガチンガチンになります。そのガチンガチンのからだが「子どもの甲高い声」と不自然に共鳴してしまうからです。

からだが緩んでいるときには聞き流せるのですが、ストレスが溜まっているときには、感情やからだが勝手に共鳴してしまうため聞き流せなくなってしまうのです。

また、素晴らしい音楽に出会ったときは、解釈などしようとしなくても、ただ聞いているだけで感動してしまいますよね。逆に、解釈しようとしてしまうと感動しないものです。

「頭の働き」が「感情の働き」を阻害するからです。

自分の趣味で読んだ本には感動することが出来ても、「後で感想文を書きなさい」といって読まされた本には感動しにくいのです。

「感情の働き」は「頭の働き」阻害し、「頭の働き」は「感情の働き」を阻害するのです。だからこそ、豊かな感情が育つべき幼児期には頭に働きかけることはあまりしない方がいいのです。
まただから、幼児期の子どもには頭に働きかける「文字言葉」ではなく、感情やからだに働きかける「声言葉」を伝えるべきなんです。


でも、その性質をうまく利用することも出来ます。
たとえば、どこかに痛みを感じたようなときは、痛みから逃げようとすればするほど痛みは大きくなります。

苦しみでも同じです。

その時、その痛みや苦しみと冷静に向き合って分析しようとすると、急に痛みや苦しみが小さくなってしまうのです。

子どもの言葉や行動に振り回されている人は、それをコントロールしようとするのではなく、冷静に観察するようにしてみて下さい。

コントロールしようとすると振り回されてしまうのですが、冷静に観察しようとすると、何が問題なのかが見えてくるのです。

でもこれは幼児期の子どもに必要な能力ではありません。

幼児期は、思いっきり笑って、思いっきり泣いて、ケンカして、ケガをして、ハラハラドキドキする毎日を過ごせばいいのです。

そうでないと、他者と共感する能力が育たなくなってしまうからです。





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Last updated  2019.07.14 10:48:09
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