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最近、「社会人」としては問題がなくても「親」としては問題がある人が増えて来ているような気がします。
1才の我が子をエアーガンで撃って遊んで、結局は死に至らしめてしまったというニュースをテレビで見ましたが、やることが実に幼いのです。 最近は「趣味はゲーム」という大人も増えて来ましたが、精神性が子どものまま大人になってしまっている人が実に多いような気がするのです。 (子どもも大人も、〝ゲームも好き〟というのならいいのですが、〝ゲームにしか興味がない〟というのは問題です。) 幼児性が抜けないまま小学生、中学生、高校生になっている子も増えて来ています。 というかその延長に今の大人の状態があるのですから、それは当然のことなのでしょう。 「バイトテロ」などをする若者も同じです。 犯罪を犯しているところを自撮りしてSNSにアップしたり、仲間をいじめているところを動画で撮ってアップしたり、死んでしまうような危険を冒しながら自撮りをして、結局死んでしまう子も結構います。 やることが実に幼いのです。 昨日も書いたように昔の若者は反社会的な行動をすることが多かったですが、今の若者は「反」ではなく「非」社会的な行動をします。つまり、「社会」というもの自体に対する理解が足らないのです。 そのような子どもたちは指示や命令があれば行動できるのですが、自分の頭で考えて行動しなければならないような場面では途方に暮れてしまうのです。 自分で目的を見つけて、計画的に考えて、自分の責任で行動するということがなかなか出来ないのです。 確かに昔から困った子どもや困った大人はいっぱいいました。 幼児虐待だって昔からいっぱいありました。 イジメだって昔からありました。(学級崩壊はありませんでしたけど・・・) だから「昔の子や大人の方が素晴らしかった」などと言うつもりは全くありませんが、でも、最近の問題行動をするような子や大人の特徴はとにかく「幼い」のです。 「悪い考えを持った悪い子だから問題行動をする」のではなく、幼さ故に自分が何をしているのか分からないまま欲求に従って行動してしまうのです。 学級崩壊はその表れのような気がします。 私が子どもの頃は「悪いことをする子」は、(変な言い方ですが)ちゃんと問題児でした。成長して「ヤクザ」になった子もいました。 でも、今では、一対一で話をしていると普通のいい子なんですが、悪意もなく普通の感覚で困ったことをしてしまう子が多いのです。 万引きも、仲間イジメも、教員イジメも「遊び」に過ぎないのです。 教員による生徒イジメも同じです。 相手が苦しんでいるのに悪意がないのです。だから、いじめられてしまった子が死んでしまっても「なんで?」という感覚しか持てないのです。 また、周囲が困っていてもその事に気付きません。指摘されても「わざとじゃないから、自分のせいじゃない」などと言います。 また、失敗すると誰かのせいにします。 「嫉み(ねたみ)」の感情も強く、「ずるい」などということもすぐに言います。 平等にしても「ずるい」と言うし、平等にしなくても「ずるい」と言うのです。 とにかく、自分が一番でなければ「ずるい」と言うのです。 昔から、兄弟の間ではこういうことは良くありますが、今では、結構普通にみんなこんな感覚なんです。(ネットのコメントを見てみると、この感覚に溢れています。) 「仕付け」と称して、子どもを裸でベランダに立たせたり、食事を与えなかったり、ぶったり叩いたりしても、「それは子どもが悪いからであって自分のせいではない」と平気で言います。 それでいて、自分の子がレストランで騒いでいるような時に他の人に注意されると、「私の子育てに干渉するな」と怒ったりします。 他の人に我が子が叱られると、普段自分はそれ以上のことを言い、それ以上のことをやっているのに、「子どものやることなのに」などと食ってかかってきたりします。 昔の子が他の子に暴力を振るう場合は、そこに何らかの原因や目的がありました。大人が困ったことをする場合にも、そこには何らかの原因や目的がありました。 でも最近は、単に「気に入らないから」とか「自分がやりたいから」という理由だけで平気で周囲が困ることをしてしまう人が多いのです。 そして、この自己中心的感性こそが幼児性の表れでもあるのです。 このような子どもや大人でも、指示や命令を与えられればそれなりに行動することは出来ます。だから、学校生活や社会生活も普通に営むことも出来ます。 でも、指示や命令がなく、自分で考え、自分で感じ、自分で判断して行動しなければならないような場では気分だけで行動してしまうのです。 今、政治家も幼児化しています。 教師も幼児化しています。 親も、親でない人も幼児化しています。 もちろんそうでない人もいっぱいいますが、そういう人がどんどん増えて来ているような気がしてしょうがないのです。 英語の受験問題のアタフタ、オリンピックの問題のアタフタなどを見ていても「大人のやること」とは思えません。 この流れを何とかしないと、大変なことになります。 大人になりきれていない親に育てられている子どもも苦しいですが、自分で判断できず、どうしていいのか皆目分からない状態で子育てしている親もまた苦しいのです。 大人になってからでも遅くはありません。大人になりましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
森の声さん
毎日、示唆に富む記事をありがとうございます。とても共感し、心が動きました。 幼稚な大人や精神年齢の低い子どもが増えたのは、一般には以下の原因でしょうか? *甘やかされているから(責任を学べない) *親の過保護・過干渉(主体性を発揮出来ない、試行錯誤の機会を奪う) *その一方で、躾が出来ていない(社会性や良い価値観を学び損ねる) また、環境要因で言えば、以下のことが影響していますか? *遊びの喪失(場所、人)から、成長出来ずにいる *管理教育の行き過ぎから、主体性が育たない(忖度ばかり学ぶ) *大人中心の生活スタイル(成長をさまたげる) 親も、子どもも、先生も困っているならば、どうしたら良いのか? 成熟した大人になるには? どこに、成長のチャンスがある? いま、身近なところに「繋がり」があったら、良いのかな?と考えています。 素の自分で安心出来て、失敗OKでやり直しを応援してくれる、あたたかい人や場所。昔ながらの同調圧力の強い集団ではなく、お互いの多様性を認め合える関係。孤独を愛する人だって、助けが必要なこともあるはず。 コミュニティカフェや、地域活動センターに集う方々は、コミュニケーション能力が高くボランティア精神あふれる素敵な方が多いです。そんなマインドで、地域をつなげて行けたら、、、困っている人たちの助けになるかしら?? (2019.11.09 17:09:20)
あーやん2さんへ
>*甘やかされているから(責任を学べない) >*親の過保護・過干渉(主体性を発揮出来ない、試行錯誤の機会を奪う) >*その一方で、躾が出来ていない(社会性や良い価値観を学び損ねる) これは全部違います。 全く違うと言うことではないのですが、主観的しか判断できないことなのでこれは外します。 「甘やかし」にしても「子どものためになる甘やかし」と「子どものためにはならない甘やかし」があります。 親の過保護も必要な場合もあります。 仕付けも「子どものためになる仕付け」と「子どものためにならない仕付け」があります。 >*遊びの喪失(場所、人)から、成長出来ずにいる >*管理教育の行き過ぎから、主体性が育たない(忖度ばかり学ぶ) >*大人中心の生活スタイル(成長をさまたげる) これらも、「一般論としてはその通りです」としか言えません。 私が一番の大きな原因として考えているのは「伝承から切り離されてしまっている」ということです。 あーやん2さんが書かれていることは全て「方法論」ですよね。 そして「方法」は使い方次第です。 でも、「伝承とつながっているかどうか」は「人間として存在出来るか出来ないか」という問題です。 (2019.11.09 18:56:22)
森の声さん
返信ありがとうございます。 私が書いた要因は「主観的な方法論」なのですね、、、 勉強になります。 「伝承から切り離されている」と言うのが、実感としてよくわからなかったのですが、過去記事を読んで少し理解が進みました。 小手先の対応では、変えようの無い現実なのかも知れません。でも、自分は何が出来るのか考えたい。 自分はどうしたいのか、またそれは何故なのか…心と身体に聴きながら、在り方を決めたいと思います。 (2019.11.10 00:04:09)
今の学校システムは虐待に近い気がします。子どもの人権が守られていないと感じます。学級崩壊は、その空気感を子どもが無意識に感じ取り、行動に現れた、悲痛の叫びのようにも思えます。学校が暴力で子どもをコントロール出来なくなった分、子ども達が暴れるのも無理はないかなと感じます。
まぁ...幼い子は多いですよね。ゲームやりすぎが原因かな、、、目を見て話そうとしても目があっちこっち向いちゃって、あんまりリアルな会話が出来ない感じです。話が通じない。先天的な場合はまた違うのでしょうが。 学級崩壊は学校システムに問題があるから起きる、学校側の問題だと思います。 確かに子どもも大人も幼い人が多いなぁと感じます。でもそのような子ども達の状態は子どもには責任がありませんし、彼らにあった教育環境を用意してあげることが大人の責任であると思いますが、今の学校にはその力も人材も無いような気がします。自分の頭で考えて自分で感じることが出来る、子ども達のそれらも尊重して対等に信頼関係を作っていける教師がいても、今の学校システムの中でその関係性を維持できるようには思えません。 大人の言うことを聞く子が良い子、聞かない子は悪い子、と評価されるシステムは、同調教育に思います。 (2019.11.11 08:52:51)
虐待って何でしょう?厳しさが虐待になるのなら学校どころか社会が崩壊しても致し方ないと思います。
人間界も含め自然界は厳しさがあってこそ、様々な知恵が生まれ、守りたいという思いやりが芽生え、強く生きようという意志が働くのではないでしょうか? 個人の人権や権利、主張を声高く発して、〜が悪いから、〜の管理体制がおかしいからと言うのは責任転嫁だと思います。今の時世、大人達自身が自分自身を甘やかしてそれを見ている子供たちが真似をしているんじゃないでしょうか? 私が小学生の時に心底大嫌いだと思っていた先生が卒業式の時に一人一人にしおりを作って配ってくれました。そこには「我以外皆師なり」と書かれていました。しおりはすぐに無くしてしまいましたがその言葉だけが忘れられません。もらった時はなんのこっちゃ意味もわかりませんでしたが、今はとても良くわかります。 (2019.11.11 09:40:14)
私は自然界に存在する厳しさに対して言っていたのではなくて、子どもに対して上下関係や押さえつけ、支配、コントロールについて話していました。
今の一般的な学校教育システムは、子どもをコントロールしないと続けることが難しいものではないかな、と感じています。褒めて叱って子どもをコントロールすると、子どもは自分の頭で考えたり自分の感覚を感じることよりも、どうしたら褒められるのか、何をしたら叱られるのか、ということばかり考えて育ち、それを「自分の頭で考えている」と勘違いした大人を量産しているのではないかな、と。 この支配社会の構造は、子どもと大人が対等ではなく上下、子どもを支配下に置くところから始まっているのではないかな、と。 子どもの権利を尊重されずに育った人達が無意識に縦構造を作り出しているのではないかな、と考えていました。 人を厳しくしないで甘やかして、何でもかんでも好き勝手にやらせたらいい、というような意味で、厳しさを否定したつもりではありませんでした。 (2019.11.11 10:12:41)
支配下に置かれて、厳しく躾けられて、コントロールされる生き方は自分の頭で考えなくていいし、ある意味楽ですよね。ご褒美も貰えたりするし。
自分の頭で考えて、自分も他者も尊重しながら、話し合って物事を進めていく人間関係や生き方は、私はある意味、厳しい生き方だと思っています。そのような家族関係や子育ても、まわりから「甘やかし、我儘にさせている」と見られてしまいやすいです。 (2019.11.11 10:23:53)
学校という括りで見てしまう事に問題があるように思います。大まかに学校と言ってもそこにいるのは一人一人の人間です。生徒一人一人もこの先生が好きと言う子もいれば、嫌いだと感じる生徒もいるでしょう。
学校が好きと言って毎日楽しく通学する子もいれば、毎日行くのが苦痛になっている子もいる。 一人の人間が全ての人にとっての良い人間にはなれない。学校や社会に理想を求めすぎな大人が増えている。どんな状況でも自分ならさぁどうする?という思いが足りない。発達障害を持っているので、それ相応の対処をお願いします、と学校に丸投げする親、いじめられているのでイジメが無いようにして下さい、と言う親。そういう大人が増えてきているんです。社会に目を向けると忙しくて銀行に行けないという大人がいる。じゃあ、わかりました、インターネットバンキングを始めましたので24時間手続きできます。今度は個人情報が流出した。客はどうしてくれるんだ!と体制を咎める。 周りを見ているとアホくさく感じます。 (2019.11.11 11:24:48)
学校に関して言えば、今の学校には問題は山積みだと思います。いじめが無くならないのも、発達障害を持った子どもの対応が出来ないのも、学校システムの問題であるように思います。学校がその子その子がそれぞれ求めている学びが出来る場所なら、今学校の中で起きている問題の多くが問題ではなくなるのではないかなと思います。
不登校もそうですが、その子や親の問題ではなく学校の問題だと思います。 人を虐めることはやってはいけないことですが、多くの子ども達が家庭や学校の中で尊重されず、子どもの権利を主張出来ず、下に扱われ、親や教師に虐められているような関わり方なら、子ども達にだけ「いじめをするな、仲良くしろ」と言っても、無くなりません。 学校で競争させたり、ランク付けしたり、みんなと同じを子ども達に求めたりしているうちは、学校でのいじめは無くならないと思います。 個人情報の漏洩は、ネットバンクの責任で、お金を預けた人の責任にはならないし、お金を預けた人が被害を受けたのなら、きちんと訴える権利はあると思います。 (2019.11.11 14:38:26)
一人一人が自分の目の前にある問題をどう捉えるか、どう対処していくかが問題なのであって、制度や体制有りきではないと言う事です。学校が社会の縮図であれば、家庭もまた社会の縮図です。社会に変わってほしい、学校に変わってほしいと願う前にまずは家庭からであって親の意識、大人一人一人の意識だと思っています。そこをすっ飛ばして大人たちが便利な社会、楽しい社会を目指しているからおかしくなっていると思います。
縦社会、権力と支配が蔓延している時代は現代に限ったことでは無いはずです。古代からずっとありました。日本の歴史を見たって権力争いが無かった時代なんてありませんよね。それでも人々の間には秩序があったんです。それが崩れたのが現代です。個人の自由やら権利というものを乱用するようになったからではないでしょうか。 もし仮にマシュマロさんが今、校長先生なり教育関係に携わるお役についたら明確にどう学校を変えればいいという指針はあるのでしょうか? 結局のところ学校を責めたって学校の先生が苦しくなるだけです。 私は自分が親としてできうる限り我が子に真摯に向き合う以外に道は無いと思っていますし、社会がおかしな方向に進んでいても今の私の価値観で正しいと思う方向に取捨選択しながら進むまでだと思っています。 (2019.11.11 17:46:52)
マシュマロさん
フィービーさん お二人のご意見は分かりました。 で、お二人はご自分の立場で、どのような行動を通して問題を解決するような活動をなさっているのですか。 今度は、「どう思っているのか」ではなく「実際に何をなさっているのか」をお聞きしたいです。 (2019.11.11 18:14:46)
森の声さんへ
名前を間違えてすみません。 私も学校は社会の縮図だと思っています。今の学校システムを望んでいて、違和感を持たないご家庭が多いのも分かっています。それは親子関係にも上下関係が根深く浸透しているからだと思っています。 子どもと大人が横に繋がり、尊重した関わりの出来る人達と繋がって、子どもの居場所を作っていこうと思って情報収集中です。 弁護士団体の子どもの権利を知る勉強会なども考えいました。同じような考えを持つホームスクールしているご家庭と少しずつ繋がり、ほんとに少しずつですが今動いていました。 (2019.11.11 19:01:42)
フィービーさんへ
フィービーさんへ 〉一人一人が自分の目の前にある問題をどう捉えるか、どう対処していくかが問題なのであって、制度や体制有りきではないと言う事です。学校が社会の縮図であれば、家庭もまた社会の縮図です。社会に変わってほしい、学校に変わってほしいと願う前にまずは家庭からであって親の意識、大人一人一人の意識だと思っています。そこをすっ飛ばして大人たちが便利な社会、楽しい社会を目指しているからおかしくなっていると思います。 私もそう思っています。まずは家族から親子関係から、自分自身の子ども時代にまで遡って見直す過程は私も通りました。それを踏まえて、学校システムにも問題がある、この社会にも、子どもの人権が無いなぁ、と感じている、ということです。 もし仮にマシュマロさんが今、校長先生なり教育関係に携わるお役についたら明確にどう学校を変えればいいという指針はあるのでしょうか? 世田谷の桜丘中学校はご存知ですか?先日にウワサの保護者会にも出演されました。共感することが多かったので、西郷校長先生のお話は聞いてみたいなぁ、と思っています。 今の学校システムで、どこまで子ども一人一人を尊重した関わりが出来るか分からないけれど子ども達の為にチャレンジしてくれている先生達の背中は子ども達は見ているんじゃないかな、と感じました。 近くにはありませんが、サドベリークスールなども興味があります。息子がとにかく主体性を持った学びを望んでいるので、子どももスタッフも一人間として尊重されお互いにフェアな関係性であることは絶対条件です。 近くにそのような場所がみあたらないので、私も子育てに一段落がついてきたのでそのような人達と繋がって知恵を頂きたいと思って動いていました。 学校で一生懸命関わっていらっしゃる教師の方を否定したつもりもありません。 ただ、この社会の縦構造と、それの縮図となっている学校システムと、それに違和感持たずに育つ子ども達を、私はものすごく危惧している、ということを書きたかったのです。 不快に思われてしまったら申し訳ありません。 (2019.11.11 19:20:38)
マシュマロさん
森の声さん 私こそ一方的にマシュマロさんの意見に対抗するような書き方をして申し訳ありませんでした。 私は週に3回学校の授業に入らせていただいています。授業だけでなく休み時間は運動場で子供たちと鬼ごっこをしたり給食時間と掃除時間も一緒に子供たちと活動しています。 色んな話をしたり悩みを聞いたり、もちろん叱ったりしています。私は子供たちと繋がることを第一に考えています。私が小学生の時に遠足があったのですが、雨で中止になりました。それなのに間違えてお弁当を持って行ってしまいました。クラスの皆んなにからかわれて恥ずかしい思いをしましたが、その時の担任の先生が「先生も間違えてお弁当持ってきてしまってん。放課後に一緒に食べよう」とコッソリ言ってくれました。一緒に食べているときに先生の名前がなんで『おさむ』っていうか知ってる?と聞かれ、えー、わからない。と言うと先生が2月の寒い時期に「おーさむ、おーさむ」って産まれてきたからお母さんがおさむって名付けた、という会話をしたのを覚えています。とても良い思い出だし死ぬまで一生忘れないと思います。学校の管理体制がどうであろうと、一対一の人間の間には色んなドラマがあると思います。私も子供たちにとってそういう存在でありたいと思って接しています。 子供たちと話していると、家族との間でそんな他愛もない会話すらしていないんじゃないか、と思うような子供たちがいます。遊園地や映画につれていってもらったり、物をたくさん買ってもらっているかもしれませんが、基本的な繋がりが家庭環境から消えてしまっている。 子供たちが荒れているのは学校のせいだけではない、と現場を見て感じることです。 (2019.11.11 20:49:26)
マシュマロさん
フィービーさん お二人ともちゃんと自分の考えに基づいて行動しようとなさっているんですね。 方法論は多少違うようですが、お二人とも「真剣に子どものことを考えている」という点では同じような気がします。 そして大事なのはその部分なような気がします。 子どものことでこんなにも熱くなることが出来るお二人とも素敵です。 (2019.11.12 06:20:03)
森の声さん、いつもありがとうございます。森の声さんが毎日ブログを書いてくださって、そこから沢山の気づきをもらって悩みながら現在がありますが、私の主観的な価値観に沿った理解になって子供の本質をまるで理解できていない自分になっている事にも気づきます。学校でのお手伝いの時にも、『私が子供だったら』このシチュエーションでどう思うか、どうして欲しいか、とか考えようとしますが、とても難しい。
そんな事考えずに自然体で接すれば、と思ってやっても思わず自分の我が出る。方法論にこだわってるんでしょうね。それでも朝の見守り活動で子供たちに「おばちゃん、今日学校に来てくれるん?」と聞かれるとうれしくなります。 子供たちに嫌なことも辛いこともあるけど、それでも悩みながらでも自分の足で一歩ずつ前に進める力があるんだよ、ということを伝えていけたらという気持ちでやっていきたいです。 (2019.11.12 10:34:20)
マシュマロさん
このコメント欄を通じて、お話ができたこととても有意義だと思っています。こんなふうに意見交換できる人は私の身近にはいません。「何熱くなってんの?」と思われることと思います。 マシュマロさんのコメントを読み返して見ると、マシュマロさんが子供の目線に立って言われていたんだな、と今更ながら思いました。 私は在日韓国人です。小さいときはそれなりに差別をうけたこともあります。家では両親から(主に父親)どんなに苦労したか、屈辱的な思いをしたかという話をよく聞きました。その頃は私は韓国人だと漠然と思っていただけでした。高校生の時に私はアメリカに留学しました。韓国人には日本人扱いされ、日本人には韓国人扱いされて居場所が無くて苦しい思いをしました。でもしばらくして私はアメリカ生まれの台湾人や香港人と友達になれました。それ以来、私は無国籍人だと思っています。我ながら強かったな、頑張ったなと思います。子供ってそんなものじゃないかな?って私は思います。高校生と小さな子供を比べるのは間違っていると思いますが、、、。 環境づくりはもちろん大切だと思います。でも子供も今ある環境でも何とか道を見出して行けるんじゃないかな、と感じます。 私は私が通ってきた道に沿った価値観があるけど、他の方もそれぞれ通ってきた道に沿った価値観がある。 子供達も色々な価値観と出会って受け入れたり拒否したりして成長して行くんだろうなと思います。 お互い、頑張りましょう! (2019.11.12 11:15:57)
フィービーさんへ
〉「何熱くなってんの?」と思われることと思います。 いいえ思っていませんよ。私も昔からこちらのブログで恥ずかしいくらい吐き出させてもらって前に進むことが出来ました。篠先生に感謝しています。 子ども達がいち人間として対等に扱われて、尊重されて、心地の良い人間関係の中で育ち、幸せな子ども時代を過ごす事が出来た人達が少しでも増えていくといいなと願っています。それがこの社会の中の差別や格差を無くす方法だと思っています。 私は、自分が親から精神的な虐待を経て、その後子どもが産まれたことで、たくさんの大切なことを我が子から知る事が出来ました。子ども達には私の子ども時代と同じような親子関係を経験して大切なことに気付くのではなく、本当の人との関わりがどんなものなのか、本当の自分の幸せな生き方はどんなふうなのか、一緒に模索しながら、大切な事に気づいていける毎日だと嬉しいと思っています。 私も体制にこだわってはいないんですよ、体制だけいくら変えたところで、中の人が変わらなければ同じことだと思っているので。そういう部分ではフィービーさんと同じ想いだと思います。 ちなみに私の親戚に韓国の方がいます。気持ちの良い方で大好きです。差別は悲しいですよね。我が家も学校を利用しなくなった当初、白い目で見られて経験しました。同調圧力は人を死に追いやることを知りました。 こちらこそありがとうございました。 (2019.11.13 07:02:30)
マシュマロさん
https://edupedia.jp/article/5d90499a2731cf0000571221 学級崩壊はとても根深い問題です。 上にリンクしたページを見るとすごく胸が痛くなります。 マシュマロさんが言われていた東京都の桜ケ丘中学校の「ウワサの保護者会」、私も見ていました。あんな校風の学校が全国に広がれば良いのかも知れません。子供の自主性が尊ばれて子供の本領が思う存分試せる場が日常にあるならば良いですね。 上のサイトを読んでいると学校の先生も生徒たちも苦しみもがいているようで悲しみしか感じられないです。私も学校のお手伝いでは同様の苦しみを感じながら何かに抗いながらやっているように思います。 (2019.11.13 20:52:59) |