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「頭の論理」を支えている人間の意識や思考は「現実」に束縛されません。
いかなる物理法則にも、因果の法則にも、社会的ルールにも束縛されません。全く自由です。 だからこそ「現実」を超えたことを考え、現実を変えていくことが出来るのです。文明はその「頭の論理」を使って社会を、そして自然を変えて来ました。 「現実」とは無関係な「頭の論理」の世界だからこそ、「突然の小中高の休校要請」などという、「現実」や「民主主義のあり方」を全く無視したことだって考えることができるのです。 でも、それが「頭の中」にあるだけのうちならいいのですが、それを現実世界で行おうとすると、「頭の論理」は「現実の論理」に合わせなければならなくなります。 そうでないと「頭の中の論理」は何一つ現実化できないからです。 そこで議論や試行錯誤や妥協や調整が必要になるのですが、「現実の論理」のことを知らない人や、大切にしない人たちは、無理矢理「絵に描いた餅」を食卓に並べ、「さあ食え!食わないと罰を与えるぞ」的なことを言い始めます。 そして日本の「お偉い人」の多くはそのような方法が好きです。そしてその命令を受ける中間層の人たちは、ただそれを下に流すだけです。そういう役割しか与えられていないからです。 そして、最終的には現実世界の中で生きている末端にいる人たちが、「絵に描いた餅」を前にして苦しむ事になります。 過労死と呼ばれる現象も「絵に描いた餅」を食べ過ぎることで起きる現象です。 一人の人が勝手に描いた「絵に描いた餅」でも、無理矢理口に入れ、水で流し込めば食えないことはありませんが、そんなものを食べ続けたら、当然からだを壊します。成長も出来なくなるし、そのうち栄養失調で倒れてしまいます。 でも今、学校は子どもたちに、政治は国民に「絵に描いた餅を食え」と迫っています。 そして、現実世界に存在している「からだ」が悲鳴を上げています。 現代の日本の教育では「頭の教育」しかしていません。しかも、「正解」と「正解を得る方法」だけを覚えさせています。 そのため、「頭の論理」だけで考える癖が付いてしまっています。 「頭の論理」を押しつけられて苦しんでいる人たちも、自分の「頭の論理」で自分の心とからだを苦しめています。 だから、逃げればいいのに逃げられないのです。 失敗したら「私の努力が足らなかったんだ」などとバカなことを考えるのです。 でも子どもたちはまだ「からだの論理」で生きています。だから、「自分の心とからだが苦しくなるようなこと」からは逃げようとします。 でもそれをすると、「頭の論理」で生きている親や先生から叱られます。 でも、このままでは子どもも大人も、みんなおかしくなってしまいます。 だから私たちは「からだの論理」を取り戻す必要があるのです。 その時、子どもたちが大人達の師匠になってくれます。 子どもたちが生き生きとしている社会では「からだの論理」も大切にされているのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2020.03.01 08:10:13
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