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今、スーパーなどでトイレットペーパーや食料品などの買い占めが流行っています。
これは不安と本能の働きが「頭の論理」を狂わせ、「からだの論理」が暴走してしまっていることの表れだろうと思います。 このような時は、上の方の人がいくら「頭の論理」で対策を考え、「頭の論理」で行動するように求めても無駄です。 それが「パニック」の恐ろしさです。 いくら論理的に正しい方法を考えても、人々が論理的ではなくなっている時には、そんな「正しさ」にはなんの意味もないのです。みんな「抜け道探し」に血眼になってしまうからです。 だから「パニックにならないような方法」を考えないことには意味がないのです。 でも、「からだ」との対話が出来ず、「頭の論理」だけでしか考えることが出来ない人にはそれが分からないのです。 絵に描いた餅を押しつけ、冷静さを求めることしか出来ないような人は政治家としての能力がない人です。 実は、普段「頭の論理」にこだわっている人ほど、実際の行動は「からだの論理」に支配されているのです。頭がからだの言うことを聞いてくれないので、からだはしょうがなく、自分の判断だけで行動するようになってしまうからです。 ですから、そのような人が何かの原因でパニックになって「頭の論理」が働かなくなってしまうと、急に不安によって「からだの論理」が暴走してしまい、自己保全に走ってしまうのです。 このような状況でも、比較的落ち着いて、パニックにならずにいることが出来る人は、普段から「自分のからだ」との対話をしている人たちです。 「からだの声」を聞くことが出来る人たちです。 戦国時代の武士などは、様々な修行や、禅や、茶道などを通して、「からだとの対話」を繰り返していました。だから、殺し合いの場でも、パニックにならずに済んだのです。 そして、「パニックにならない」というのが、最終的に生き延びるためには絶対的に必要な要素だったのです。 でも、「頭の論理」ばかりを大切にしている現代人は、「頭の論理」が通じないような自体になると、簡単にパニックになってしまいます。 そして自滅的な行動に走ります。 「正解」ばかりを言うような人がそのような人です。 ちなみに「からだとの対話」が出来る人は「子どもとの対話」も出来ます。「子どもの言葉」は「子どものからだの声」でもあるからです。 ************ 明日からまた「気質」の話を始めます。 茅ヶ崎でやっている気質の勉強会の宣伝もかねて・・・ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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