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気質によって、世界の見方やその世界との関わり方が違います。
時間や空間の性質も、色や音の性質も異なります。 同じ「赤」でも、多血質の人にとっての「赤」と、胆汁質、粘液質、憂鬱質の人にとっての「赤」は同じではありません。 動物たちはみんな色や音に対する感受性が違いますよね。コウモリは超音波を聴くことが出来るし、昆虫は紫外線を見ることが出来ます。 そして、同じ人間でも、色や音に対する感受性は人それぞれです。(全ての感覚に亘って個人差があります) でも人はそれを知りません。 そして他の人も自分と同じ音を聞いて、同じ色を見ていると思い込んでいます。 自分が生きている世界に関しても、他の人も自分と同じ世界が見えていると思い込んでいます。 でも、実際にはそうではないのです。 実際、美人コンテストの写真を見ても、優勝者よりも負けた人の方が美人に見えることはよくあることです。 誰でもが三つ星レストランの料理を美味しいと感じるわけではありません。 紫が好きな人もいますが紫が苦手な人もいます。(私です) そこには「相性」というものがあるからです。 そして気質はその「相性」という現象と関係しているのです。 ただ、「気質が異なっているから相性が悪い」とか、「気質が似ているから相性がいい」ということではありません。 人は、お互いに補い合うような関係になっている時に「相性がいい」と感じるのです。 遊びの場でも、相性がいい子同士が遊んでいる時は、遊びがドンドン広がって行きます。お互いに補い合っているからです。 でも、補い合う関係が持てない場合はぶつかり合うか、気持ちが離れてしまい、遊びが成り立ちません。 そしてお互いに「退屈だー」という結果になります。 お母さんが子どもと遊ぶ場合でも、お母さんが意識して子どもの気質を補うような関わり方をしてあげると、遊びが発展します。子どもも、自分とは異なる気質の体験が出来るので、気質の成長が起きてきます。 でも、子どもと遊ぶのが苦手なお母さんほど、子どもと遊ぼうとする時、子どもと同じことをしようとしてしまうのです。 子どもがピョンピョン跳ねて遊んでいたら、そのリズムに合わせて歌を歌ったり、それをゲームにしてあげると、ピョンピョンが「楽しい遊び」になります。 食べ物でも、「自分のからだに必要なもの」は美味しく感じるものです。 自分と同じ気質の人と関わると気質が増幅します。 多血の人が多血の人といると、多血が増幅します。でもやがて苦しくなります。何も流れないし、何も動かなくなってしまうからです。 これは粘液質や、憂鬱質や、胆汁質の人の場合でも同じです。 逆に、自分の気質を補ってくれるような気質の人と出会うと、気質が安定し、気質が成長していきます。 お母さんが子どもと遊ぶ時も、お母さんが子どもの気質に足らないところを補ってあげていると、遊びがドンドン発展していきます。 子どもが主役を演じている時、お母さんも主役になろうとしたら子どもは嫌がりますよね。そんな時はお母さんは脇役や、演出や、大道具や、小道具などという立場で参加すると遊びが発展します。 逆に、自己主張が弱い子の場合は、お母さんが主役になってあげると遊びが発展します。 ちなみに胆汁質が強い人は主役をやりたがります。 多血質の人は「目立ちたいけど主役はイヤ」と言います。 粘液質の人は大道具や小道具などの裏方をやりたがります。 憂鬱質の人はお話しを作ったり、演出に興味を持つのではないかと思います。 憂鬱に胆汁が入っていると監督をやりたがるのではないかと思います。 このような色々な気質の人がお互いに補い合うことで演劇は成り立っています。 社会もまたおなじです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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