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森へ行こう(心とからだと子育てと)

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森の声

森の声

2021.03.24
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カテゴリ:カテゴリ未分類
ぎりぎりですが、3月27日(土)の「気質の1日講座」(10:00~16:00、6000円)、まだ空きがあります。ご興味にある方はお問い合わせ下さい。会場はJR茅ヶ崎駅の近くです。

あと、今朝、27日の会場などに関して詳しい内容をお申し込み頂いた方に流したのですが、「申し込んだのにメールが届いていない」という方がいらっしゃいましたら、ご連絡下さい。

***********************

昔の人は「かわいい子には旅をさせろ」と言いました。
また、「獅子は我が子を千尋の谷底に突き落とす」という言葉もありました。

今ではそういうことをすると「虐待」が疑われてしまいますが、子どもの意識や能力は必要に応じて目覚め、成長していくように出来ているので、安全で安心で不自由がない生活ばかりしている子は、自分の意識を高めることも、自分の内側に眠っている可能性や能力に気付くことも、高めることも育てることも出来なくなってしまうのも事実です。

最近では、しつけと、安心・安全・便利を子どもに与えることだけが「子育ての目的」や「お母さんとしての義務」になってしまっているお母さんがいっぱいいます。
また、そういうものを与えていると「ちゃんとしたお母さんだ」と言われます。

でも、そのような子育てで子どもが求められているのは「お母さんや周囲の大人の期待に応えること」だけであって、「自分らしさ」でも「子どもらしさ」でもありません。また、様々な体験を通して自分の内側に眠っている可能性に気付き育てることも求められていません。

そのため、そういう状況の中で育てられている子は、「親や周囲の人の期待に応えるような生き方」は学ぶことが出来ますが、「自分のために生きる生き方」は学ぶことが出来なくなります。

意思の働きを育てることも、自分の思考や感覚やからだの使い方を学ぶことも出来ません。
責任感も育ちません。


そもそも、自由意志に基づく判断や行動が許されていない状況で、責任感が育つわけがないのです。

子どもが本来自分が持っている様々な可能性に気付き、自分らしさとつながった能力や責任感を育てるためには、自由に考え、自由に行動出来る環境と多様な体験が必要になるのです。

でも、子どもに自由を与え、多様な環境と体験を与えようとすれば、そこには必ず危険が伴います。それは避けることが出来ません。「危険」と「自由」は常にセットになっているのです。

だからナイフを持たせるためにはナイフの使い方を見せ、やらせるだけでなく、言葉でも危険性について伝える必要があります。

そして実は、子どもたちが「危険なこと」から学べることは非常に多いのです。
まず「自分がケガをしない方法」を学ぶ必要があります。その場合、知識だけでなく、考え方や、感覚や、からだの使い方なども学ぶ必要があります。

次に「他の人をケガさせない方法」や「周囲の人に恐怖感を与えない方法」を学ぶ必要もあります。
本物の刃物を知らない子にノコギリやナイフなどを持たせると、ゲームや漫画の中のようにかっこ付けて振り回すこともあります。
でも、そういうことをすると自分はケガをしなくても、周囲にいる子がケガをする可能性があります。

それで「危ないから止めなさい」と言うのですが、そういう子に限って「大丈夫 大丈夫」と言い返してきます。自分がどんなに危険なことをしているのかを子ども自身が知らないのです。

「危険なこと」についてちゃんと伝えようとするなら、「自分の身を守ること」だけでなく「周囲の人を守ること」や「起こりうる可能性」まで伝える必要があるのです。

道具や武器オモチャなどを不用意に扱うことで、わざとではなくてもケガや事故が起きてしまう可能性があることも伝える必要があるのです。

子どもはすぐに「わざとじゃない」と言い訳をします。他の子が作ったものを勝手に触って壊しても、わざとじゃなければ許されると思っているのです。
いじめでも同じです。いじめられた子が学校に来ることが出来なくなっても、悪意がなければ自分のせいではないと思っているのです。

弓矢や鉄砲を作ると平気で人に向ける子も多いです。でも、たとえ冗談でも、そのような行為を見たら私はすぐに止めます。

本人は「うつ気はないから大丈夫」とか「じょうだん」などと言うのですが、でも、危険なオモチャや遊びでは、本人には攻撃の意思がなくても、相手が身の危険や恐怖を感じたら、それだけでアウトなんです。「じょうだん」は通じないのです。

ですから、「君はうつ気がなくても○○くんは怖いから止めなさい」と言って止めます。「アメリカだったら、恐怖を感じた相手に撃ち殺されたって文句は言えないんだよ」などと言うこともあります。

でも、安全な遊びの体験しかない子にはこういうことを伝えようがありません。
焚き火などをしたことがない子に、火の怖さや、危険性を伝えることは出来ません。知識としては伝えることが出来ますが、感覚的なものが伝わらなければ実際の場では役に立ちません。

「知識の世界」と「現実の世界」は全く別の世界だからです。
子育ての本をいくら読んでも我が子の子育てにはあまり役に立ちませんでしょ。それと同じです。そして子どもが生きて行かなければならないのは、「危険がいっぱいある現実の世界」の方です。

今、ゲームの中だけでしか武器を見たことがない子も多いです。そしてゲームの中の武器は相手を殺すためのものです。そして、その相手には心も命もありませんから、その使い方に「思いやり」は必要がありません。武器を向けられた相手の気持ちなど考える必要もありません。

最近、危険なオモチャや武器オモチャが嫌いで子どもに与えないお母さんは多いですが、でも、身近にあるハサミや傘や鉛筆といったような日常的なものでも、使い方を間違えると「危険なもの」になってしまうのです。

実際、格闘技では「いざという時は身近にあるものを武器として使え」ということを教えられます。

ですから、子どもの周りから「危険なもの」は排除出来ないのです。ナイフや弓矢のようなものだけが危険なわけではないのです。椅子だって、花瓶だって、ランドセルだって武器になるのです。

だからこそ、逆に弓矢やナイフのような「危険」が分かりやすいものを与えて、危険について一緒に考えたりする必要があるのです。

「危険」について知らないということは、逆に非常に危険なことなんです。

写真の「ボウガン」は少し壊れています。
あとDIYで売っている竹ひご(平)でも工夫次第で結構威力のある弓矢を作ることが出来ます。

鉄砲も色々作れます。
男の達は大好きです。








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Last updated  2021.03.24 13:03:03
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