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現代人は「簡単で便利」が大好きです。
でも「簡単で便利な生活」には充実感がありません。だから、ゲームをしたり、スマホを見たり、○○ランドのような所に行ったりして、「生活の場」以外のところで「充実感」を得ようとしています。 山登でも、自動車やロープウェイが整っている山ならば、汗水垂らして苦労して登らなくても、簡単に頂上まで行くことは可能です。 そして、汗水垂らして登って見た景色も、車やロープウェイで簡単に登って見た景色も物理的には同じです。写真に撮れば何の違いもありません。 でも、「心とからだの中に残るもの」や「充実感」は確実に違います。想い出の量も違います。頂上から見える景色の精神的な見え方も違います。 それは、「山登りという体験から学ぶこと」の量の違いでもあります。 そしてその「想い出の量」と「精神的な見え方」の違いが、言葉の量と質の違いにもつながってきます。 「車やロープウェイで簡単に登った人」と「自分の足で苦労して登った人」の両方を呼んでその山について語らせたら、「簡単に登った人」よりも「苦労して登った人」の方が、長く、豊かに、生き生きと、魅力的に話しをすることが出来るでしょう。 「体験」が「言葉」に変換されるからです。 ご飯の炊き方でも、「炊飯器でご飯を炊いた人」と「羽釜を使って薪で火をおこして炊いた人」を呼んで子ども達に「ご飯の炊き方」についての話を聞かせたら、子ども達はどちらの人の話の方に魅力を感じるでしょうか。 子育ての勉強会などで、お母さん達にご自身の子ども時代の話を聞くことがあります。自分自身の子ども時代のことを思い出すことで、今目の前にいる我が子のことが理解しやすくなるからです。 でも、「子どもの頃のことをあまり覚えていない」という人が結構いるのです。まだ20代を思われる若いお母さんから「そんな昔のことは覚えていない」と言われて驚いたことがあります。 それでも、「どんな遊びをしていましたか」とか、「誰と遊んでいましたか」とか、「どういう所で遊んでいましたか」などと具体的に聞いていくと、「そういえば・・・」と少しずつ思い出すことも出来るのですが、思い出そうとしなければ思い出せないレベルなんです。 その一方で、50代、60代、もっと年を取った人でも、まるで昨日のことにように生き生きと「子どもの頃のこと」を話すことが出来る人もいます。 そしてその両者の話には決定的な違いがあるのです。 なかなか思い出せない人の話には仲間や自然や、ハラハラ・ドキドキ・ワクワクした体験が出てこないのです。 それに対して、昨日のことにように話せる人の話には、仲間や自然や、ハラハラ・ドキドキ・ワクワクした体験がいっぱい出てくるのです。 当然、記憶の量や質も違います。それが言葉の量や質の違いにも表れます。 これは「記憶法」などでも言われるのですが、「感覚や感情の働きとつながった記憶」は定着しやすいのです。それに対し、そういうものとつながらない記憶した記憶はすぐ消えてしまうのです。 一人で、室内で、物や機械だけを相手に遊んでいたら、感覚や感情はあまり活性化しないでしょう。そのため、そういう記憶は簡単に消えてしまうのです。その結果、子ども時代の記憶が「空っぽ」になってしまうのです。 そして、それはそのまま言葉の量と質の低下につながります。言葉の量と質の低下は思考力の低下にもつながります。 私は年に数回、薪と羽釜でご飯を炊きます。(マイ・カマドとマイ・羽釜を持っています) 年に数回だけですから、毎回ドキドキします。 人に任せても気になって仕方ありません。実際、人に任せて真っ黒になってしまったこともありますから。 子どもの頃の遊びも超ローテクでした。七輪で鉄を焼いて金床の上で金槌で叩いて、やすりで削って、砥石で研いで、殺傷能力があるような弓矢のヤジリやナイフを創っていました。 そういう体験や想い出が私の言葉を創っています。 ちょっと手間暇かけて生活する、手間暇かけて遊ぶようにすると、それだけで生活に対する充実感、遊びに対する充実感が格段にアップするのです。 自動車で遠くに出かけるより、自転車でちょっと遠くに出かける方がズーッと記憶に残るのです。 幼児期に、デジタル機器や便利なオモチャに依存せず、自然の中で仲間といっぱい遊んだ子は充実した幼児期を過ごすことが出来ます。 そういう子は、小学生になって一度はゲームに夢中になっても、ゲームに取り込まれることなく、中学生頃から少しずつ自分で抑制できるようになるのです。「ゲームは楽しいけど充実感がない」ということが分かってくるからです。 あと、大人になり、親になって「子育て」が始まっても、「子育て」を楽しむことも出来るでしょう。 子育てに簡単便利を求めると、子どもも親も後で後悔することになるのです。 「子育て」を楽しむこつは、「不便を楽しむ工夫」をすることです。 いつもは自転車で行く買い物も、のんびりと歩いて行けば、お散歩が出来ます。色々なお話が出来たり遊んだりすることも出来ます。 お料理も、お母さん一人で手早く終わらせるのではなく、子どもと一緒にやれば、家事の他に子どもと遊ぶ時間を作る必要がなくなります。 そしてそれは、子どもにとっても、お母さんにとっても充実した時間になるでしょう。その「充実した時間」が子どもが幸せに生きる手助けをしてくれるのです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.02 13:14:05
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