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私は、人間にとって一番本質的な「幸せ」とは、「つながる幸せ」と「成長する幸せ」の二つなのではないかと思っています。
子どもにとって「遊び」はこの二つの「幸せ」を満たしてくれます。 お母さんと遊べば、お母さんとつながることが出来ます。 仲間と遊べば、仲間とつながることが出来ます。 そして、遊びを通して成長する事が出来ます。子どもにとっての遊びは、単なる「消費行動」ではなく、自分自身の成長とつながる「創造行動」だからです。 コマ回しでも、竹馬でも、縄跳びでも、基地作りでも、成長する事によって更に楽しく遊べるようになるのです。 子どもは遊びを通して、仲間とのつながりや、自分自身の成長を楽しんでいるのです。そしてそのことに幸せを感じているのです。だから、いっぱい遊んでいる子は満たされた顔をしているのです。 でも、近年、ゲームのように他者とつながらなくても、遊びを通して成長しなくても、お金さえあれば楽しく遊べる遊びが増えて来ました。その遊びでは、頑張って努力して成長しなくても、お金さえ払えば高い能力を得ることが出来ます。 ゲームの世界では「自分の成長」をお金で買うことが出来るのです。でも、その成長はゲームの中でしか有効ではありません。 「オンラインでもつながりは作れる」という意見もあるかも知れませんが、顔を見せないオンライン上でのつながりは、「見かけのつながり」であって「本当のつながり」ではありません。 それは、仮面舞踏会のようなものです。仮面舞踏会では、一緒に踊ったり、話したりしても本当のことは話さないものです。仮面舞踏会は、現実世界から切り離された状況の中で、ただその時だけを楽しむための場だからです。 ゲームの世界も同じです。ゲームの世界の中にいると現実世界を忘れさせてくれるから楽しいのです。でもだから、そればかりに浸っていると現実世界を生きる能力を育てることが出来なくなったり、現実世界を生きる楽しさが分からなくなってしまうのです。 「他者とつながる能力」も「成長する能力」も育たなくなります。 「つながる幸せ」は「横の世界」とつなげてくれます。人だけでなく、様々な文化や、自然や、生き物や、草花ともつなげてくれます。それは、「つながりの中の自分」への気付きにつながります。 「成長する幸せ」は「縦の世界」とつなげてくれます。そして、自分の可能性や、自分の価値や、自分が生まれてきた意味とも出会わせてくれます。「個としての自分」への気付きにつながります。 この二つの「幸せ」を求める衝動によって、人間は人間らしさに目覚め、様々な文化や文明を築き上げてきたのです。 ですから、このいずれの「幸せ」が失われても、人は虚無感と不安を感じるようになります。 「成長する幸せ」を失うと、生きる意味や目的を失います。すると、その代償として、「お金を得ること」や「競争に勝つこと」に、自分の価値や幸せを求めるようになります。 でも、お金を得たり、競争に勝つことによって得ることが出来る幸せは一時的なものです。また、その幸せはすぐに「得たものを失うかも知れない不安」に移行します。 さらに、仲間ではなく敵を作ったり、妬みや恨みを買うことにもなります。 一方、「成長する喜び」を知っている人は、一生成長を求めます。そして、「敵」ではなく「仲間」が増えていきます。 子どもは自分の成長を感じた時、幸せと喜びを感じます。だから、お母さんに「ママ見て!」と見せに来るのです。 学校の勉強がつまらないのは、学校の勉強が子どもの成長につながっていないからです。 「つながる喜び」を知っている人は、活動的に自分の世界を広げようとします。相手に勝とするのではなく、相手を支えようとします。だから「仲間」が増えます。仲間が増えれば安心も、自己肯定感も増えます。 人間だけでなく、群れて生活する動物たちも「つながる喜び」は知っています。仲間と一緒に居ると安心します。 でも、「成長する喜び」を知っているのは人間だけです。 人間だけが、「見えない世界とのつながり」を感じることが出来るからこそ、成長する事を喜ぶことが出来るのです。 「成長する」ということは「出来なかったこと」が出来るようになることだけではありません。 「分からなかったこと」が分かるようになる、「見えなかったもの」が見えるようになる、「聞こえなかったもの」が聞こえるようになる、「感じることが出来なかったもの」を感じることが出来るようになることが「成長」の本質なんです。 「出来なかったこと」が出来るようになるののはその結果に過ぎません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.03 16:16:52
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