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皆さんは、幼い子どもの子育てにおいて「お母さんにしか出来ないこと」は何なのかということをご存じですか。
衣食住の世話をすることはお母さんでなくても出来ます。 オッパイですら、ミルクを使えばお母さんでなくても可能です。実際、自分自身のオッパイをあげていないお母さんもいっぱいいます。 仕付けや教育もお母さんでなくても出来ます。 でも、幼い子どもに「安心を与える」というのはお母さんにしか出来ないのです。 実際、子どもがケガをしたとき、お腹が空いたとき、眠いとき、悲しいとき、苦しい時にはお母さん以外の人がなだめようとしても、子どもは泣き止みません。 「ママー」と泣き続けます。お父さんですら手に負えません。 でも、お母さんに抱かれるだけで、ピタッと泣き止んでしまいます。すぐには泣き止まなくても、しばらくすると落ち着いてきます。 この「安心を与える」というのはお母さんにしか出来ないことであると同時に、一番、子どもがお母さんに求めていることでもあるのです。 そして、子どもの「心の育ち」に欠かせないものでもあります。 子どもが自らの成長本能で周囲を模倣し、様々な体験から「自分の育ちに必要なこと」を学び、成長していくためには、とにかく「安心」が必要だからです。 その「安心」が満たされない状態で生活している子は、自分を守ることばかりに必死になってしまい、成長への意欲が目覚めないのです。 そのため、「自由に生きるための能力」が育たなくなり思春期が来ても自立が困難になります。 それでも、身を守るための技術は学びます。自分の置かれた状況の中でどう生きたらいいのかも学びます。 ですから、普通に生活出来るようにはなるし、勉強だって叱られないため、見捨てられないために頑張ります。 さらには、安心や自由を与えられている子よりも、仕付け的には「良い子」に育つかも知れません。成績も良いかも知れません。(少なくとも思春期頃までは・・・) でも、自分のために勉強することが出来ません。自分らしく生きることも出来ません。そのため、人間としての成長も困難になります。 優秀な労働者にはなることが出来ても、「自分を生きる」ということが出来なくなくなります。 そして、自分を生きることが出来ない人は他者と共存することも困難になります。 夫婦生活や子育ても困難になります。 「義務としての夫婦生活」や、「義務としての子育て」は出来るのですが、夫婦生活や子育てを楽しむ事が出来ないのです。 子どもに安心を与えることも出来ません。 自分のことだけで精一杯だからです。 また、極度に「安心が満たされない状態」で育った人は、心やからだの深いところに「満たされない想い」や、「強い不安」や、「孤独から来る緊張」が固まりとして残ってしまいます。 それでも、生活や仕事がうまく行っているときはいいのですが、何らかの「うまく行かないこと」が起きた時に、なかなか自分の力でそれを乗り越えることが出来ないのです。 「安心」がない人は「自信」もないからです。 そして、その苦しみを和らげるために、何らかの「苦しみを忘れさせてくれるもの」を求め始めます。 買い物や食べることに癒やしを求める人もいます。 ゲームなどに癒やしを求める人もいます。 お酒や麻薬に癒やしを求める人もいます。 万引きなどの犯罪行為に癒やしを求める人もいます。 イジメやDVという行為の中に癒やしを求める人もいます。 子どもに対する犯罪やストーカーのような行為に走ってしまう人もいます。 でも、その状態が続けば簡単に依存症になります。 何らかの犯罪を繰り返し依存症になってしまっているような人は、その背景に強い不安があるので、いくら罰則を厳しくしても効果がありません。 確かに、安心に満たされた育った人でもゲームは好きになるかも知れません、お酒も好きになるかも知れません。子ども同士の遊びとしての万引きもするかも知れません。 でも依存症にまでは行く人は多くないと思います。 それに対して、安心が満たされない状態で育った人は簡単に依存症になりやすいのです。 そして現代社会にはその「依存症予備軍」がいっぱいいます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.09 06:55:34
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