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気質の違いによって「求めている自由の形」が異なっていることは昨日書きました。
さらに、「求めている安心の形」も、気質によって異なっているのです。 胆汁質と粘液質の人は「安心」を他者に依存しません。そのため比較的精神的に安定しています。 ただ、胆汁質はいくら行動しても「自分が予想したとおりの結果」を得ることが出来ない時に不安を感じます。 粘液質の人は自分のリズムが壊されると不安を感じます。 つまり、両者とも、自分の長所が生かせないような状況で「不安」を感じるのです。 それに対して、多血質や憂鬱質の人は他者の影響を受けやすいです。 不安が強い人が傍にいるだけで不安を感じます。 でも、ハッピーな人が傍にいると自分もハッピーになります。 ちなみに、思春期前の子ども達は、全般的にみんな多血質が強いので自分の周囲にいる大人の気分の影響を受けやすいです。 どの気質の人でも子ども時代はみんな多血質が強いのです。それがいわゆる「子どもらしさ」と言われる状態です。 ただしそれは、「子ども時代はその人の人生の中では多血質が強い時期だ」というだけで、本来の「多血質の子」とはその状態が異なります。 一番「子どもらしい子ども」は「多血質の子ども」です。 一番「子どもらしくない子ども」は「憂鬱質の子ども」です。 胆汁質の子は「やりたいこと」ばかりをやりたがります。粘液質の子どもは素直ですが反応が鈍いです。 気質は「入れ子」になっているのです。だから分かりにくいし、「発達心理学」のように科学の対象にはなりにくいのです。 多血質の人は、いつでも「楽しいこと」に意識を向けていたいのです。そして、「楽しいこと」をやっていたり、「楽しいこと」を考えていると心が落ち着くのです。 他の人の目には「落ち着きがない」ように見えるのですが、本人的には「楽しいこと」をあれこれやっていたり、考えたりしているときが一番落ち着いているのです。 でもそれ故に、結婚しました、友達がいないところに引っ越しました、妊娠しました、子どもが産まれました、その結果、「外に出ることが出来なくなりました」、「友達とも会えなくなりました」、「自由に行動することが出来なくなりました」という状況では必然的に不安が強くなってしまうのです。 その結果、擬似的な憂鬱質になってしまう人もいます。 気質の講座などやると「私は苦しくて苦しくてしょうがないので憂鬱質でしょうか?」と聞いてくる人がいるのですが、そのような人に「結婚する前のこと」や「子どもが産まれる前」のことを聞くと、全然憂鬱質ではないことが多いのです。 ちなみに、元々の憂鬱質の人は「私は憂鬱質でしょうか?」などと聞いては来ません。 このように多血質の人は自由を失うことで不安を感じるようになるのですが、憂鬱質の人の場合はあれこれ考えすぎることで、自分で不安を創り出してしまいます。 憂鬱質の人は「食べたことがないから食べない」とか、「やったことがないからやらない」とか、「行ったことがないから行かない」などというような判断をよくします。また、失敗を恐れるので、失敗する可能性を感じるようなことには手を出しません。 でもその結果、世界がドンドン狭くなっていきます。そして不安も狭くなります。 また、多血質の人は「変化するもの」を楽しむことが出来るのですが、憂鬱質の人は「変化するもの」信用しません。「変化するもの」ばかりに取り囲まれていると不安を感じるのです。 でもそれ故に、「変化しないもの」を求める傾向があります。 だから、スピリチャルな世界にあこがれるのです。 変化しない「普遍的な世界」を心の中に持つことで、「変化する世界」の中でも不安を感じないで生きることが出来るようになるのです。 ただし、胆汁質が入っている憂鬱質の人は周囲に対して支配的になります。自分が支配者になることで安心を得ようとするのです。 ただし、上に書いたようなことは「そういう傾向がある」「そういう状態になりやすい」というだけのことですからね。「○○質の人はみんなこうなる」ということではないのでその点はご了解下さい。 **************** 茅ヶ崎で毎月「気質の勉強会」をやっています。土曜日や日曜日などの休日の午前です。 ご興味のある方は「しの」までお問い合わせ下さい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2023.05.08 07:11:26
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