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森の声@ Re[1]:「魂のはなし」(もう一人の自分)(06/10) めげぞうさんへ >6年生の子どもたちが、…

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森の声

森の声

2023.05.11
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カテゴリ:カテゴリ未分類
みなさんは人間にとって一番苦しいのは何だと思いますか。

人を苦しめるものとしては、お金がないこと、食べるものがないこと、愛するものと別れたり、愛するものを失うこと、理解されないこと、受け入れられないこと、否定されること、病気、イジメ、虐待、失敗、思い通りに生きることが出来ないこと、自己肯定感を持つことが出来ないこと、死ぬことなどなどいっぱいありますよね。

ここに書いたことは具体的な表現ですが、実はこれらを抽象化すると、「食べるものがないこと」のように身体的な苦しみは別にして、ほとんどの場合苦しみの原因はたった一つのことに帰結していくのです。
それは「孤独」です。人間にとって一番根源的な苦しみは「孤独」によってもたらされるのです。

お金がないから苦しいのではなく、お金がないことが人を孤独な状態に追いつめてしまうから苦しくなってしまうのです。そして、現代社会はそのような仕組みになっています。
だから、現代人は、孤独から逃れるために必死になってお金を稼ごうとするのです。

実際、みんながつながり合い、支え合って生きている社会ではお金がなくてもそれだけで苦しくなることはないのですから。
時には、つながりに支えられている時、人は死ぬことすら苦しみではなくなるのです。

でも、衣食住には不自由がなく、便利で豊かな生活をしていても、つながりに支えられず孤独ならば、とくに苦しみの原因は存在していなくても、生きていること自体が苦痛になるのです。
それは、「つながり」から切り離されることで、魂が孤独になってしまうからです。

ただし、その「つながる相手」は人間でなくてもOKです。動物や草や木でも、心の底からつながることが出来る相手が傍にいるのなら、一人ぼっちでも孤独は感じません。

でも逆に、お母さんやお父さんが傍にいても、虐待などされていなくても、お母さんやお父さんが優しくても、そのお母さんやお父さんとの間に「心のつながり」を感じることが出来なければ、子どもは孤独を感じ、生きることに苦しみを感じるようになってしまうでしょう。

見守りカメラを設置して、常時子どもの状態を監視していればお母さんは安心を得ることが出来るかも知れませんが、子どもの方は孤独を感じ、生きることが苦しくなってしまうのです。
そして、その苦しみは虐待を受けて育った人の苦しみと同じです。打たれなくてもこれは立派な虐待なんです。だから、「身体的虐待」にこだわってしまうと、本当の苦しみの原因が見えなくなってしまうのです。

最初に書いたような「苦しみの原因」はみな「苦しみのきっかけ」に過ぎません。つながりを失ってしまっている人たちは、その「苦しみのきっかけ」が直接「苦しみ」に転換されます。でも、「つながり」に支えられている人は、その「苦しみのきっかけ」からも多くを学び成長することが出来るのです。時には「自分に与えられた苦しみ」に感謝する人すらいます。

だからこそ人は、同じような状況にあっても「苦しむ人」と「苦しまない人」がいるのです。
また、つながりを得ることで苦しみから救われていく人もいるのです。
(そこにつけ込む宗教も多いです)

いじめられたから苦しいのでも、虐待されたから苦しいのでもなく、共感し、つながり、支えてくれる人が傍にいないから孤独を感じて苦しくなるのです。

苦しみを癒やすためには「つながり」が必要になるのです。でも実際には、人が競争に勝ち抜いて一人で生きていかなければならなくなってしまった現代社会では、みんな自分を守ることに精いっぱいです。
昨日書いた「マスク」もその象徴なのでしょう。

そのような状況の中では、人は利害関係に敏感になり、人が人を信じるということが困難になります。今では、夫婦や親子といった家族の間ですら「無条件のつながり」を失い、利害関係によってつながり、そして対立しています。その利害関係に捉われず「無条件のつながり」を求めているのは思春期前の子どもたちだけです。

思春期前の子どもたちは、まだ神様や仏様を信じることが出来る感性を持っています。ですから、人を信じることも出来ます。ただしそれは、信じるに足る大人や仲間がいるときに限られます。

その「信じるに足る大人」とは、「子どものことを信じてくれる大人」のことです。子どもは自分たちのことを信じてくれる大人を信じるのです。そして、そのことで「つながる喜び」を感じ、孤独を乗り越える力を得ることが出来るのです。

ちなみに、マスクは孤独の象徴です。孤独だからマスクを外さなくても大丈夫なのです。でもだから「孤独」や「苦しみ」から抜け出すことが出来ないのです。
でも、本人はそのことに気づいていません。





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Last updated  2023.05.11 08:13:26
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