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よく「子育てに正解はない」と言われます。でも、実際には本屋さんに行くと子育て関連の本がいっぱい並んでいます。そしてそれらの本には「正解」が書いてあります。
でも、ここで問題になるのはその「正解」が本によってみんな違うことです。ですから、子育てに悩んでいたり、一生懸命子育てをしようとして色々な本をいっぱい読みあさる人ほど混乱して、子育てへの自信を失っていきます。 すると子どもの状態はますます手が付けられなくなり、お母さんはますます自己嫌悪が強くなります。 人間にとっての「子育て」とは、何にも知らない、何にも出来ない状態の赤ん坊を、「一人前の人間」に育てる行為です。 これが「子育て」の原点です。ここに異論を挟む人は滅多にいないと思います。 問題は、その「一人前の人間」とはどのような人間なのか、という「人間像」が一人一人違うことです。 経済的に自立した人間を「一人前の人間」と考える人がいます。 また、自分の頭で考え、自分の感覚で感じ、自分の意志と責任で行動することができる人間を「一人前の人間」と考える人がいます。 きちんとした仕事が出来る人間を「一人前の人間」と考える人がいます。 人格的に優れた人を「一人前の人間」と考える人もいます。 みんなと助け合うことが出来る人間を「一人前の人間」と考える人もいます。 有名人や社会的地位の高い人を「一人前の人間」と考える人もいます。 子育てが出来る人を「一人前の人間」と考える人もいます。 実際にはもっともっと色々な「一人前」があるでしょう。 これだけ色々な「一人前」があったら、一人前の人間を育てるための方法にだって色々な種類があって当然です。 さらには、(例えば)「経済的に自立した人間」を育てるための方法論にだって色々なやり方があるでしょう。 「小さい時からびしびし鍛えた方がいい」と考える人もいれば、「小さい時は充分に遊ばせた方がいい」と考える人もいます。その結果、本屋さんには数知れぬほどの「子育て書」が並ぶことになります。 そして、人は自分の好みに合わせて、子育て書を選んでいきます。 つまり、自分の人間像を肯定してくれている本を選ぶわけです。 多くの場合、人は自分が育てられた方法を肯定してくれるような子育て方法を肯定します。厳しく育てられた人は「厳しく仕付ける子育て」を肯定します。優しく育てられた人は、「優しく育てる子育て」を肯定します。 時に、厳しく育てられたが故に「厳しく育てる子育て」を否定する人がいますが、でも感覚的に、「厳しくしない子育て」がどのようなものか分からないので、色々本を読みあさることになります。そして、不安になります。 「自分が受けた子育て」を肯定することが出来ない人も、色々な本を読みあさり、不安になります。自分が受けた子育て以外の子育てのイメージが分からないからです。人は体験したことのないことをイメージすることは出来ないのです。 親が、自分を肯定するための子育て方法を子どもに押しつけると、子どもは「おれはあんたじゃない」と反逆します。 逆に、子育て方法に不安を感じながら子育てをしていると、子どもも不安を感じ不安定になります。 でも、ここで見落とされている大事なことがあるように思うのです。それは、「子どもは親の思い通りに育つようには出来ていない」ということです。これは子育てを終えた人なら誰でもが知っている事実なのではないでしょうか。 でも子どもがまだ小さい時には、お母さん達はこの事実をよく知りません。「自分が頑張れば子どもは思い通りに育つ」と思い込んでしまっているお母さんもいっぱいいるように思います。 その思い込みが間違えであったと気付くのは、子どもが中学生頃になってからです。 改めて言いますが、子どもは親の思い通りに育つようには出来てはいないのです。そのことを理解していないと、理想通りに育てようと頑張れば頑張るほど子どもはお母さんやお父さんの理想から遠ざかっていきます。 子どもは自らが育ちたいように育つのです。その育ちを支えているのは「あこがれ」です。子どもは「あこがれ」に導かれるように育っていくのです。 ですから、子どもはいつでも「あこがれ」を探しています。それは本能です。小さな子どもはアンパンマンやウルトラマンにあこがれを感じます。そして「アンパンマンになりたい」などと言います。時にはそれはお母さんかも知れません。テレビの中のアイドルかも知れません。 でも、大人になってまで「アンパンマンになりたい」などという人はいません。小さい時には「アンパンマン」であっても、成長するにつれ、それがもっと現実的なスポーツマンや、お花やさんや、学者などに変化していきます。 子どもは自分の成長に合わせてちゃんと「あこがれ」も変えて行くのです。だから、お子さんが「アンパンマンになりたい」などと言っても心配する必要はありません。 そんな風に「あこがれ」を持つことが出来た子どもはまっすぐ育ちます。でも、あこがれを持つことが出来ない子は不安になり、迷子になり、苦しみます。 それは多くの場合、親の期待を押しつけられてしまった子どもたちです。親の期待を押しつけるということは、子どもの「あこがれ」を否定することになってしまうのです。でも、それでは子どもは自分が育つべき方向を見失うことになってしまいます。 子育て書の多くは大人からの視点ばかりで書かれています。子育てが楽になるような方法ばかり書かれています。親の期待通りに育てる方法ばかり書かれています。 でも、子どもを「大人の製品」ではなく、「一人前の人間」に育てたいのなら、子どもの視点に立った、子どもの「あこがれ」を育てる子育てが必要になるのです。 ちなみに、私が言うところの「一人前の人間」とは、自分の大切さも、仲間の大切さも知っていて、自分一人でも、またみんなと一緒にでも色々な活動をすることが出来る人間のことです。 難しく言うと「全体から切り離された個でも、全体に縛られた個でもなく、全体とつながりながらも縛られず自由に生きることが出来る個」ということです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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